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レースの素人が見せた、時速421キロへのホンダ・スピリッツ:ボンネビル挑戦記前編

2017年01月10日 14:21  AUTOSPORT web

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10kmに及ぶ走行路。速度計測地点を過ぎての減速にはパラシュートを使用
ホンダがS660の軽自動車用のエンジンで自社の四輪最高速を更新することとなった、アメリカのユタ州で開催されたFIA公認イベントのMike Cook's Bonneville Shootout。

 わずか1年足らずの期間に、未知の領域に挑んだ、山あり、谷あり、涙ありの本プロジェクト。16人のスタッフを率いた本田技術研究所、蔦佳佑エンジニアに話を聞いた。

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 このボンネビルのプロジェクトは、S660のプロジェクトに続く社内公募のプロジェクトだった。若手の人材育成を目的として、社内の一般公募としてスタッフの募集が始まった。

 「公募でスタッフを募集したこのプロジェクトには、ふたつだけ決定していた項目がありました。ひとつはボンネビル(スピードチャレンジ)の速度記録の大会に出ること。もうひとつは軽自動車のエンジンで出ることでした」と話す蔦エンジニア。

 結果的に、このまったく未知のチャレンジに、ホンダ内で約100人の応募があった。研究所の社員がこのプロジェクトに応募するには、まずは上司の許可が必要。約100人のスタッフは自ら上司に掛け合い、立候補の許可を得なければならなかった。

 最終的には16人のスタッフが選ばれたが、事務局として選考に関わった本田技術研究所の広報を勤める冨澤潤(現在、モータースポーツ部)は「こんな風変わりなチャレンジに、自ら上司を説得して100名もの応募があったことに驚いてうれしかったのですが、その意思の強さがあった反面、スタッフの選考を始めてからは選ばれなかった方からの問い合わせも多くて、本当に心苦しい思いをしました」と、当時を振り返る。

 趣味としてレースに関わっていた蔦エンジニアも上司を説得し、「本当に入社試験のように履歴書を書いて、書類審査を受けて、役員面談を受けました。私の部署で受かったのは自分だけでした」と、プロジェクトへの参加が予想以上に難しくて驚いた経緯を振り返る。

 公募には量産業務との兼任と、このプロジェクトだけに取り組む専任のふたつを事前に希望しなければならない。蔦エンジニアは当初は兼任の形でエントリーしていたが、選ばれた後は専任という形でこのS-Dreamプロジェクトの開発責任者を務めることになった。

 このボンネビルのチャレンジには、ホンダの四輪マシンとしては2006年、BARホンダがBAR007(2005年型F1マシン)のリヤウイングを外した状態で参加し、398km/hの最高速を記録していた。今回のプロジェクトは軽自動車のエンジンでその速度だけでなく、目標となる430km/hを超えなければならなかった。

「集まった16人のメンバーは人材育成が目的だったので20代から30代が中心。一番若いスタッフは当時19歳、最年長で35歳という構成でした。この若い16人のメンバーが1年間でゼロからクルマを設計して作って、それからテストをしてチームの運営をして、そしてレースに出なければならい。それまで社内の業務では担当が細分化されているんですけど、それまでの所属先とか各個人の技量は関係なく、全部、自分たちでやらなければなりませんでした」

 まったくゼロからのスタート。どんなクルマを作らなければならないのか、各メンバーの個人の能力や適正をどう活かして、担当と役割を決めるのか、課せられた業務は山積みだった。

「430km/hを出すには、極端に言ってしまえばエンジン馬力と空気抵抗のふたつがクリアできば達成できます。S660に搭載されている量産の軽自動車エンジンは100馬力が限界ですが、カリカリにチューニングしてなんとか200馬力が出せれば、空気抵抗がCdA値0.1だったら理論上は450km/h出ることが分かりました。でも、それはあくまで理論上なので、目標としてはエンジンで250馬力、車体の空気抵抗もCdA値で0.09を目標に作ることを決めました」

 CdA値0.09はほぼロケットの空気抵抗と同じ数値であり、一般的な量産車0.2~0.3の半分以下の数値となる。ちなみに、F1マシンはコーナリング時のダウンフォースが重要なため前後のウイングなど空気抵抗は大きく、CdA値は0.4~0.5と数値は高い。

 エンジンに関しても、S-Dreamと名付けられたこのプロジェクトのマシンにはS660のベースエンジンが使用されることになったが、660ccの排気量で250馬力を出すには、リッターあたりに換算すると出力は約380馬力になる。この数値はほぼ、F1のエンジンと同じ出力だ。

「エンジンチームは6名いたのですが、図面を書けるのはひとりだけで、そのスタッフも入社4年目という若手でした。車体側でも設計を専門として作業したことのあるメンバーはほとんどいなくて、たまたま学生時代に航空機の設計をしたことのあるスタッフがいて、そのスタッフに車体開発をお願いしました。チームは図面を書けるスタッフがわずか3~4人という形で、工具も分からないスタッフたちでスタートしました」と蔦エンジニア。

 そんな手探りの状態でも、最終的にはエンジンチームで1000枚以上の図面を書き、車体開発チームも剛性や耐久性能、クラッシュ時の想定解析、そして風洞テストなどを同時並行させながら設計を行い、約半年でマシンを作り上げた。

 エンジンはS660の最高回転数7700rpmをボア×ストロークを変更して1万0000rpmまで上げ、ターボはF1に匹敵する3bar以上の高過給圧を設定し、ベンチテストで250馬力の最高出力を実現させた。その中でも特に配慮したのが、マシンの安全性だった。

「メーカーとして参戦するからには安全性の確保は必須です。その対策を行いながらエンジン、車体を設計してテストしながら解析して、また設計に反映させてと、いろいろなものを同時並行で行っていたので、途中で何がどうなっているのか分からなくなる状況もありました(笑)。時間も人も本当に限られた中での開発でしたが、2カ月遅れで完成することができました」

 当初予定された3月から遅れて、5月にS-Dreamは完成。早速、シェイクダウンのテストを迎えることになったが、プロジェクトリーダーの蔦エンジニアには、ある自信があった。それはポジティブな自信ではなく、ネガティブなものだった。

「シェイクダウンは最初、絶対、トラブルが起きると思っていました(笑)。エンジンは掛からないだろうし、車体もトラブルが出ると。普通のクルマでさえ、シェイクダウンではマイナートラブルがいくつも出ますからね」

 ところが、この予想は裏切られることになった。

「不思議と、まったくトラブルが出なかったんです。うれしいサプライズでした。F1でもスーパーGTでも、レースカーのシェイクダウンではプログラムを全部こなせるということはないと思いますが、S-Dreamは走る、止まるが普通にできて、予定していたテスト項目を奇跡的にすべて終えることができたのです。ひと安心しました」
 
 暗中模索でスタートしたS-Dreamプロジェクトだが、ひとまず、半年でクルマを完成させることができた。そしていよいよ、ここからはアメリカでのテスト~レース参戦となるが……蔦エンジニアをはじめとした16人のメンバーは、まさかの連続となる、過酷な現実に襲われることになったのだった。

 後編へつづく