今年も各地で成人式が開催された。毎年、この時期になると「ああ、もう正月気分もおしまいだな」と思ってしまう。
さて、例年話題になるのが"荒れる成人式"。出席する新成人たちの暴れっぷりがテレビで流される。今年も茨城や大分、沖縄で成人式関連の逮捕者が出た。
僕はこの手の若者の暴走が好きだ。DVDでリリースしてくれれば買うぐらい好きだ。好きというのは、憧れとか、愛着とか、「元気があって結構!」みたいなもんじゃなく、低俗な見世物として好きという意味である。(文:松本ミゾレ)
反響があるから、という理由で取り上げるマスコミも問題だ
例年、珍妙な格好をして、「なめんなゴラァ~!」と大声を出して、周囲のまともな新成人に迷惑をかけ、壇上に上がってパイプ椅子を蹴り倒すような若者が、必ず出てくる。そんでもって早速警察のご厄介になって実名報道される。この一連の流れを以って、起承転結が綺麗に成り立っているのが面白い。
ああいう残念な人たちを、実は楽しみにしている人も結構いるだろう。みんな憤っているふりをしつつも、手を覆う指の隙間から、ああいったものを見るのが好きなのだ。
だからこそマスコミも、撮れ高を期待して成人式の会場に張り込んでいるわけだ。反響があるから毎年、特に治安の悪い地域の成人式の取材をするのだ。
成人式で暴れちゃう若者というのは、みんな普段からあんなにめちゃくちゃなんだろうか。僕は違うと思っている。ある種、成人式のかもし出すあの空気が、若者をこう、なんというかイキらせて、調子付かせているみたいなところもあるだろう。
なんせ何百人もの同世代がいて、喧騒も凄い。テンションが上がらないはずもない。後ろを振り返れば取材のカメラも入ってる。「ここで暴れれば伝説に残るべ」と、そういう考えがあるからはっちゃけているともいえそうだ。
普段一人きりでいるときは別に大声も出さず、それなりに平穏に暮らしているのに、こと成人式となると一気にバカが加速をする。雰囲気に呑まれていき、何か問題を起こしても実名報道されずに育ったこれまでの20年間がバックボーンとなり、最後に大暴れをしようとするんだろう。だから、いちいちああいう場所で暴れてしまうというわけだ。
気の毒なのは成人式の思い出を汚されるまともな子たち
現場には、こういう一部の連中にうんざりする新成人が大勢いる。彼らの多くは、家族から祝福をされ、成人式会場に向かう前に写真を撮ってもらい、ワクワクしながらこの日を迎えていたはず。そういうまともな若者に、あまりスポットライトが当たらないのが、現在の成人式なのだ。
久しぶりの友達との再会、新成人として気持ちを切り替えようとする心、ちょっと普段とは違う衣服を身に着けて高揚するやら気恥ずかしいやら、そういう真っ当な思いが、本来であれば成人式の会場を覆ってしかるべきだった。
だけども、いつからかそういうまともな成人式よりも、マスコミは下品な成人式ばかり特集するようになった。
下品な成人式の報道を観たい、僕のような下品な人間ばかりが喜び、また「こういうのが許されるっぽいから、俺らも暴れようぜ」と、バカな次期新成人がベクトルを履き違える。負の連鎖。こんなものに振り回される真面目な新成人は、さすがに気の毒に感じてしまう。
低俗な需要に巻き込まれないまともな成人式が、日本中どこへ行っても当たり前という時代は来るのだろうか。