トップへ

【特集:F1の人気向上策を考える】「スプリントレース化」でファンの心をつかめるのか

2017年01月03日 11:11  AUTOSPORT web

AUTOSPORT web

2016年ハンガリーGPスタート
F1の人気向上を図る必要性が叫ばれるなかで、いくつか週末のフォーマット変更案も出てきている。たとえば、ジェンソン・バトンは、より若い世代に訴求するために、F1の決勝をもっと短くすべきだと提言した。確かにレース時間の短縮は、比較的簡単にできる「対策」かもしれない。だが、それではF1が抱えている問題そのものは解決されないと、英AUTOSPORTのローレンス・バレットは考える。 

* * * * * * * * * * 

■「若いファン獲得のためにレースを短縮すべき」とバトンは言うが…

 グランプリウイークエンドのフォーマット変更について、以前から議論がなされており、土日のみの開催にする、予選をレース方式にする、レースを短縮して2回行うなど、さまざまな案が唱えられている。

「F1の何かを変えられるとしたら何を変えるか」と質問されたバトンは、若い視聴者に訴えるためにレースをもう少し短くすべきではないかと答えた。

「10年とか20年とか、ずっとF1を見てきた筋金入りのファンは、簡単には離れて行かないし、これからもグランプリレースを最初から最後まで見てくれるだろう。だけど、追い求めている相手は、そういった層ではないからね」

「観客を1時間半もレースに引きつけておくというのは、ものすごく難しいと思う。集中力がそんなに長くは続かないのが普通だ」

「子供と同じで、それほど長時間、じっと座ってひとつのことをしていられないんだ。どうしても別のどこかへ移動して、何か違うことをしたくなる」


 彼の言うことにも一理ある。F1が、もっと若い観客に訴求していく必要があるのは確かで、しかも人々の余暇の過ごし方において、F1観戦と競合する選択肢は増える一方だ。

 だが、世間の人の集中力の持続時間が短いという見方には、疑問の余地がある。一般の人々が退屈なものに不寛容であるのは、昔も今も変わらない。また、筋金入りのファンはグランプリレーシングのターゲット層ではないというのも、不当な見解ではなかろうか。

 長年にわたって熱心にレースを見てきた忠実なサポーターも、F1にはなくてはならない存在だ。現在、サーキットへ観戦に来るのは主にそうした人々であり、自分の子供たち(つまり次の世代)をレースに連れてきて、F1に興味を持つ機会を与えているのも、彼らなのだから。

 つまり、F1には筋金入りのファンと、より若い世代の観客の両方が必要なのである。そして、グランプリのレース時間を短くしても、この2つの層の両方にとって魅力的なものにはならない。

■短縮版スポーツが人気なのは確か

 どんなスポーツでも、「短縮版」が娯楽として受け入れられやすいのは間違いない。イギリス人以外にはわかりづらい例えで恐縮だが、約2時間半で終了するクリケットの「トゥエンティ20」マッチの観戦は、確かに楽しい夕べの過ごし方になりうる。トゥエンティ20ではほぼ一球ごとにドラマがあり、その点において、球数に制限がなく、食事とお茶の休憩を挟んで1日6時間の試合を5日間続ける伝統的な「テスト・クリケット」とは対照的だ。

 また、プレミア・リーグ・ダーツも、セット数を減らして試合時間を短くすることで、大勢のファンを集めることに成功してきた。スヌーカー(ビリヤード)でさえ、競技者に時間制限を課したシュートアウト・トーナメントを導入しているほどだ。

 それでもなお、クリケットではテスト・マッチが、ダーツやスヌーカーでは従来のルールの世界選手権が、それぞれの世界の頂点として存続している。結局はそれらの方がファン層が厚く、忠実な観客に支持されているからだ。

 そして、短縮されたフォーマットのゲームは、どちらかと言えば、毎試合欠かさずに観るというよりも、気が向いた時に観戦するといった雰囲気のイベントだ。一方、テスト・クリケットはF1と同様に、観客にもある程度のコミットメントを要求する。

 トゥエンティ20もひとつのカテゴリーとしては良いものだが、それが成功すれば引き換えにテスト・クリケットが廃れても構わないというものではない。テスト・マッチは、まったく違う種類のスキルが求められるスポーツなのだから。

 具体的に言えば、前者では自分のショットに自信を持ち、短い時間枠内にリスクを取らなければならないのに対し、後者ではきわめて高いレベルの集中力、スタミナ、そして長時間に及ぶゲームを把握する能力が必要だ。


■本当の意味で最高レベルの技能を競い合うレースとは言えない

 グランプリ・レースを上位のポジションで完走するのは、一般の人が思っているよりずっと難しいことであり、ひとつの特殊技能とも言える。シンガポールの夜間照明の下で、2時間にわたって集中力を保ち続け、あるいは高温多湿のマレーシアで、たとえドリンクボトルが途中で壊れても、レースを最後まで走りきるのは、本当にキツい仕事なのである。

 たとえば、レースを14位でフィニッシュしたドライバーのコメントが、優勝者と同じくらい満足気に聞こえることがある。それは、彼が最善の結果を得るために、自分にできることはすべてやったと感じているからにほかならない。


 GP2のようにもっと短く、激しいレースでは、求められる技能も違ってくる。ドライバーはより多くのリスクを取らざるをえず、結果としてミスも増えるだろう。よって、その意味では「面白く」なるかもしれないが、そうなると本当の意味で最高レベルの技能を競い合うレースとは言えない。

 2016年のGP2のスプリントレースでは、確かにすばらしい勝負が何度か見られた。しかし、大部分のF1ファンが見たがっているものがそこにあるのなら、彼らはF1ではなくGP2を観に行けばよいことになるが、実際にそうするファンは少ない。


■F1に必要なのは感動を共有できるような瞬間

 これほど多くの選択肢がある世の中で、観戦に90分から2時間近い時間を要求するスポーツは、人々の関心を引こうとする数多くの番組やイベントとの競争に直面する。実際、それだけの時間にわたってレースを見続けるには、相当なコミットメントが必要とされる。

 いまや人々は、テレビのニュース番組を見たり、新聞を買ったりせずに、アプリやウェブサイトを通じて単発的にニュースを得ることが多くなっている。ビデオにしても、大ヒットするのは長尺のドラマではなく、ほんの数分の作品だ。そして、ツイッターやフェイスブックのようなソーシャルメディアも新たなニュースソースになっていて、それを唯一の情報源としている人さえいる。

 とはいえ、時間のかかるものは、一切受け入れられなくなったというわけでもない。まだ映画館へ出かけていく人は多いし、何時間も続けてコンピュータゲームに興じる人もいる。あるいは、ゆっくりと腰を落ち着けて友人と食事を楽しみ、夜更けまで話し込むことだってあるだろう。

 要するに、長時間におよぶ視聴体験の難しいところは、それでも観ようと思わせるだけの強い魅力がないと、飽きられてしまうことにある。


 しかし、だからと言って、周回ごとにあちこちでオーバーテイクが見られ、何度もピットストップがあり、スピンやクラッシュが頻繁に起きればよいということにはならない。ハプニングが多すぎるのは、かえって興ざめだ。むしろ、観ている人の誰もが思わず「ワォ!」と声をあげるような瞬間が、どのレースにも2、3回ずつあれば十分なのだ。

 それは、何周もかけて相手を追い込んだ末の見事なオーバーテイクかもしれないし、トップを争うバトルかもしれない。あるいは、異なるレース戦略を選んだライバル同士の、長く緊迫した駆け引きと頭脳戦でもいい。

 たとえば、2016年のイタリアGPは、正直に言って、あまりエキサイティングなレースではなかった。だが、ダニエル・リカルドがバルテリ・ボッタスに仕掛けて成功させたオーバーテイクは、あのレース最大の話題となり、「オーバーテイク・オブ・ザ・イヤー」と称して絶賛した人も少なくなかった。

 つまり、F1が必要としているのは、ファン同士が「あれはスゴかったね!」と感想を述べ合い、その感動を「共有」できるような瞬間なのである。


■変える必要があるのはレースの長さではない

 最近ではスタート直後にアクションがあるだけで、その後は何ごとも起きないレースが多すぎる。実際、いまやそれほど熱心ではない人々は、スタートを見た後、1時間ほど別のことをしてから、誰が勝ったか確認するために最後の数周だけ見ようとテレビの前に戻ってくる。そんな観戦の仕方でも、重要な場面は見逃していないことの方が多いからだ。

 そして、もしそうした人々がスタートだけを見て、もうテレビの前には戻らず、結果をスマートフォンでチェックするだけになったら、彼らはいずれ完全に興味を失って、F1のテレビ中継を見なくなってしまうに違いない。

 変える必要があるのはレースの長さではない。もっと面白いものになるように、レースのあり方そのものを変えなければならない。現在の2時間近いレースが退屈だとしたら、他には何も手を加えずに時間だけを短くしても、興行としての魅力が劇的に高まることはおそらくないだろう。スタート直後以外はそれほどエキサイティングではないとわかっていても、レースが30分で終わるのなら、最後まで観ていようと思うものだろうか。私にはそうは思えない。


■拙速な変更でなく、抜本的な改革プランの検討を

 2017年の空力レギュレーションの大幅な変更が、狙いどおりの効果をもたらさなかったとしても、F1のボスたちは思慮に欠ける拙速な反応をしてはならない。

 メルセデスの元チーム代表、ロス・ブラウンは、F1の抱える諸問題に対して長期的な計画をもって取り組まず、即効的な解決を探すことにばかり熱を上げすぎていると、警鐘を鳴らしている。彼は近著「Total competition: Lessons in strategy from Formula 1」で、それを「短期的な答えなどない問題に、短期的な答えを求めている」と表現した。

 新たなオーナーがF1を運営していくことが決まり、現在の各チームとの二者間協定が2020年で期限切れを迎えることを考えると、2021年に向けて今から抜本的な改革のプランを考えていくのが、賢明なやり方ではなかろうか。

 4年と少しの年月など、それこそあっという間にすぎてしまうだろう。それでも、どうすればレースが面白くなるか、F1をよく知る人々の洞察力を用いながら慎重に考え、アイデアのテストと解析を行っていくには、4年もあれば十分だ。

 2016年初めに取り入れて、わずか2戦で廃止されたあの予選フォーマットの変更のように、一時の思いつきでルールを変えるのは最悪のやり方だ。また、現在の新しいエンジン規定を決めるにあたっては、コスト制限が不十分という問題があったが、ルール変更は熟慮を重ねた末に行わなければ、また同じ轍を踏んで新たな問題を生み出すだけだ。


 F1は、10秒間の瞬発力を競う100m走のような激しさでレースをすることはできないし、そのように設計されてもいない。むしろ、グランプリは「ローストディナー」(注:ローストした肉、ジャガイモ、ヨークシャー・プディング、詰め物料理、野菜とグレイビーソースからなるイギリスの伝統的な食事で、日曜の昼食に供される)のようなものかもしれない。

 毎日食べるわけではないし、準備にはある程度の時間がかかる。肉が見事にやわらかく、ポテトはサクサクに仕上がり、付け合せの野菜も上出来なら、大いに満足できるだろう。
 時には肉が上手に焼けなかったり、ポテトがイマイチだったりするかもしれないが、それでも翌週にはまた同じ料理を用意する。それと同様に、F1も当座の好不調と成績はどうあれ、シーズンの終わりまでレースを続けるしかない。

 短時間で勝負がつくレースは、人気を呼ぶ甘いお菓子にはなるだろう。だが、それはあくまでメインコースの添えものにすぎないのだ。