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サイプレス上野が考えるヒップホップとの向き合い方「普通のヤツが知恵と工夫でサバイブしていく」

2017年01月02日 17:01  リアルサウンド

リアルサウンド

サイプレス上野

 サイプレス上野とロベルト吉野のマイクロフォン担当として活躍するサイプレス上野(以下:サ上)が、2016年11月21日に『ジャポニカヒップホップ練習帳』を上梓した。同書は著者の今までの歩みを振り返りつつ、ヒップホップから学んだことやその学びを活かした体験をまとめ、「日本ならではヒップホップ(ジャポニカヒップホップ)」を体現し解説したものとなっている。リアルサウンドでは同書の発売を機に著者へインタビューを行い、同書に掲載されている自身の経験を元にしたエピソードや90年代のヒップホップシーンについて語ってもらった。(編集部)


(関連:DABO × サイプレス上野、「90年代ヒップホップ」語るオリジナル映像公開!


■「めちゃくちゃな奴が多くて、本当に面白かった」


ーー『ジャポニカヒップホップ練習帳』は、いわゆるラップの教科書みたいなものではなく、サ上さんの体験を通してヒップホップ的な考え方を伝える読み物になっています。特に地元・ドリームハイツで過ごした少年時代のエピソードが強烈でした。こうした形式にした理由は?

サ上:ラッパーになるためのハウツー本ではないですね。単純に、俺が日本のヒップホップとかから吸収したものを、今どうやって出してるかを伝えたかった。そのためには、ドリームの話は避けて通れないところで。俺と吉野は、子どもの頃から知っているドリームの仲間たちの中で、音楽をやっているふたりっていう感覚なんです。ドリームの仲間はもちろん、中高時代の友達はいまも仲良くて、もともとは俺の友達だったのが、いつの間にか吉野と仲良くなっていて嫉妬することもありますね(笑)。20歳くらいの頃は毎週末に横浜ドリームランドの駐車場に集まっていて、冬の寒い日に車のエンジンをガンガンに熱くして、ボンネットあけて焼肉をやったこともありました。そりゃあドリームランド潰れるわって感じなんですけれど、めちゃくちゃな奴が多くて、本当に面白かったんですよ。いま考えると、よく死人が出なかったなって思うことをたくさんやっていました。

ーーサ上さんたちが活躍し始めた時期は、地方の日本語ラップシーンが活気付いてきた時期と重なっていて、そういう意味でもドリームをレペゼンする姿勢は理にかなっていた印象です。

サ上:近田春夫さん、いとうせいこうさんたちから始まった日本語ラップは、90年代にはスチャダラパー、雷、RHYMESTER、キングギドラなどによって方法論やシーンが確立されていった。俺らは地元でもその電波をインプットすることができたし、それを自分たちのやり方でアウトプットできるようになったのが、00年代だったんだんじゃないかな。90年代は東京が中心だったけれど、地方でやってもいいじゃんって。たぶんそこには、どうせ東京には届かないし、それなら地元の小さいクラブでヒーローになった方が格好いいでしょっていう気持ちもあったと思う。それが意外にも売れちゃったというか。地方のラッパーとかと話をすると、同じような経験をしていたりしますね。

ーー地方だと不良同士がすごく結束していたりして、ある意味では都会より過激だったりしますね。吉野さんのお兄さんも、かなり個性的な方のようで。

サ上:吉野の兄貴はヤバかったですね。一匹狼のど不良でカッコよかった。でも、俺たちがいじめられるとかはなくて、むしろ自分より年上をシメたりするタイプで、よく言えば正義のヒーローみたいな。ドリームの兄貴ですね。最近も吉野くんのことを話していたら、「お前、俺のこと笑い者にしてるだろ!」って怒られて口喧嘩しました(笑)。

ーーサ上さんの少年時代はまだバブル景気の余波が残っている時期で、少し上の世代では暴走族文化も残っていましたよね。それがだんだん、景気が悪化して街の風景も変わっていく。02年には横浜ドリームランドも閉園しました。

サ上:見てきた場所が狭かったこともあって、だんだんと店が潰れていくのは実感としてありましたね。でも、昔からやっている小さな商店とかは未だに残っていたりするんですよ。実は地元の信頼を勝ち取っているのは、そういう店だったりするんですよね。

■「ナレッジがあるのとないのとでは、音楽性が全然違う」


ーー当時のヒップホップシーンの捉え方も、すごく腑に落ちるところがありました。

サ上:さんピンCAMPと大LB夏祭り、どっちに行けば良いか悩んで、引き裂かれる思いをしたりね(笑)。実際はみんな仲良かったみたいですけれど、情報が少なかったこともあって、なぜかファンは仲が悪いと思い込んでいたんですよ。俺自身は、さんピン勢の男気もかっこいいし、LBのお洒落さも捨て難いみたいな感じで。ファン心理でいうと、Dragon Ashに対する気持ちも複雑だったな。それまでヒップホップなんて聴いていなかったのに、Dragon Ashを聴いて調子に乗っているヤツが許せなくて。Dragon Ashというより、そいつがムカついていただけなんですけれど、俺は聴かない!って決めていました。いま聴くと、日本語ラップの曲としても完成していて、すごく良いんですけれどね(笑)。

ーー日本のヒップホップシーンが発展している最中だったからこそ、ナイーブな部分もありました。

サ上:そうですね。だからこそ、どこかのクルーに属すのは違うんじゃないか、みたいな疑問は持っていました。イケてるレーベルに入りたいって気持ちはもちろんあったけれど、いや、それよりもオリジナルでいよう、自分たちのスタイルを大事にしようって。高校三年のときに、雷のライブを観に行って、YOUちゃん(YOU THE ROCK★)に弟子入りしようとしたときもあったんだけれど、もしライセンス2DEFに入れてもらっていたら、逆に埋もれてしまっていたかもしれない。まあ、YOUちゃんに何故か叱られて約束をブッチされたんですが(笑)。あれで吹っ切れて、自分たちなりにやったことが結果的には良かったなって思います。東京よりも、まずは横浜でやってやろうって思いましたし、横浜で認められるのがまず大変なことでしたから。ダンスでは昔からFLOOR MASTERSがいましたし、DJだったらTAIJIさんが、ラップでは風林火山、OZROSAURUSが一時代を築いていましたからね。


ーー横浜では当時からレゲエのシーンも盛り上がっていました。

サ上:横浜にはMIGHTY CROWNがいますからね。それにドリームハイツは地域的に湘南も近くて、湘南乃風やMURDER ONEやケツメイシもいました。ドリームラップスはどちらのシーンにも顔を出していて、意外に食い込んでいたんですよ。横浜でも湘南でも藤沢でもない、そういう場所だったからこそ、いまのスタンスになったのかもしれません。だってドリームランドのキャッチが『湘南遊びヶ丘』ですよ! 横浜なのに(笑)。

ーー本書ではサ上さんのマルチな姿勢についても、丁寧に語られています。

サ上:俺はたぶん、いろいろ幅広く学ぶのが楽しい世代だったんですよ。情報は今より少なかったけれど、追求のしがいがあったし、だからこそナレッジ(知識、経験)も増えていった。その楽しみを知っているからこそ、どんどんほかのジャンルにも挑戦しているんです。たとえばバンドやアイドルとかと一緒にやるのも、学ぶことが多くて楽しいからなんですよね。いまの若手のラッパーは、フリースタイルを即興でやるのが楽しいってタイプが多いのかなって思うけれど、ナレッジがあるのとないのとでは、やっぱり音楽性は全然違いますよ。

ーー派手でよく出来ているんだけれど、すぐに飽きてしまうタイプの曲も多いですよね。

サ上:派手な曲って食らい過ぎちゃうんですよ。結局、そのあとに残るのは虚無感だったりして。刺激の強いものが多すぎて、じっくり味わう曲とか、アルバムの曲順だとか、そういう繊細な部分が抜け落ちちゃっている。本にも書いたけれど、俺はやっぱり音楽に偏差値が求められる時代に戻したいって気持ちがあって。ただフリースタイルが巧くて勝負強いってだけじゃなくてね。そういう意味では、俺自身がいま一番刺激を受けるのは、バンドのシーンだったりする。WANIMAとか、いまみたいに売れる前から友人で、彼らが勝ち上がっていくところをずっと見てきたから。ヒップホップシーンの中だけでの勝った負けたじゃなくて、バンドとかと同じフィールド、広く音楽シーンの中で戦っていかないとダメだって、すごく思いますね。そのためにもナレッジは重要。

ーーサ上さんにとって、ジャンルを越えて活躍しているヒップホップアーティストというと?

サ上:RHYMESTERとスチャダラパーは、頭抜けていますね。頭抜け過ぎていて、どうすれば同じステージに上がれるか、ずっと考えています。あの人達はフェスとかに出ても、デカいステージでちゃんとリスナーをロックできていて、俺たちはまだまだだなって思い知らされます。MIGHTY CROWNもすごいですね。マイティとはMONGOL800のフェスで一緒だったんですけれど、最初はレゲエかけていて、だんだんとロックバンドのダブに繋いでいって。BRAHMANかけた時は、袖で見ていたTOSHI-LOWさんもダイブしたりしていました。かかってるのはレゲエじゃないんだけれど、MIGHTY CROWNがかけるとちゃんと説得力がある。たとえばどこかのチャラいDJが金を出して、いいバンドのダブを録ったとしても、あんな風には盛り上がらないですよ。その説得力って、やっぱり彼らの経験がものを言っているんですよね。


■「俺と吉野は今までこれっぽっちも勝っていない」


ーーヒップホップ界の名A&Rとして知られる、P-VINEの故・佐藤将さんのエピソードも印象的でした。

サ上:佐藤さんは俺にとって友達でもあるし、恩人でもあるって感じですね。俺たちのことをすごく気にかけてくれて、やりたいことやっていいからって。川崎に住んでいたけれど、いつもドリームまで送ってくれたりして。俺たちが出ている雑誌をカラーコピーして、それを冊子にしてみんなに配り歩いていることを知ったときは、「この人は変態だな」って思いましたけれど、すげぇ嬉しかったですね。フットワークが軽くて、新しい音楽を見つけるのが好きで、どんどん世に出したいっていう人でした。気付いたら、俺の地元の奴とも仲良くなっちゃって、麻雀でカモにされていたときは、さすがにちょっと怒りましたけれど。一緒にフジロックに行ったときは笑ったなぁ。車で行く途中、渋滞に巻き込まれて、「お前たち、新幹線に乗って先に行け。俺は諦める。お前たちのライブを信じている」って言ってくれて。佐藤さん、気合い入れて山用の服とかいっぱい買っているのに。それで、新幹線代をもらって俺たちだけ先に行って、佐藤さんは帰ったんですね。でも、その後に続いていた俺の地元の奴らは、途中で渋滞が解消されたみたいで普通に間に合っていて(笑)。

ーーちょっと天然なところがある方だったんですね。

サ上:愛すべき人でしたね。火事で亡くなったから、燃えていたりしたら嫌だなって思っていたんですけれど、すごく綺麗な顔していて。一緒にお世話になっていた漢くんは「草吸ってそのまま寝ちゃったんじゃない?」って言っていたけれど、たぶん佐藤さんらしいズッコケだったんじゃないかな。ショックはショックだったけれど、最期まで愛嬌がありました。


ーーほかにも、貴重なエピソードが盛りだくさんで、伝記モノとしても面白かったです。逆説的ですが、ヒップホップの話にとどまらないところが、すごくヒップホップな一冊だと感じました。

サ上:そういう風に読んでもらって、ヒップホップって面白いなって感じてくれたら、すごく嬉しいですね。本にも書いたけれど、俺と吉野は今までこれっぽっちも勝っていないんですよ。特別でもなんでもない、普通の人間だし、ビッグヒットもない。でも、普通のヤツが知恵と工夫でサバイブして、オリジナルを見つけていくのが俺にとってのヒップホップで、まだまだこれからです。もっと上を目指して頑張っていくので、本を読んで興味を持ってくれた方は、俺たちのこれからの動きにも注目してください。