トップへ

庵野秀明、山崎貴に続くのは山田洋次と黒沢清!? 『海賊とよばれた男』が示す日本映画とVFXの関係

2016年12月31日 21:11  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2016「海賊とよばれた男」製作委員会(c)百田尚樹/講談社

■デジタル技術を掌握する者が映画界の主流になる
 12月29日、NHK-BSプレミアムで『日本のVFXを変えた男 ヒットメーカー 山崎貴の挑戦』というドキュメンタリー番組が放送された。現在上映中の『海賊とよばれた男』の製作準備から完成までの1年にわたって密着した手のかかった番組で、これまでの山崎貴監督作品の歩みから、映画界入りした後、伊丹十三監督の作品でVFX(Visual Effects)を担当していた時代に原点を見つけ出す構成も申し分なく、山崎監督が所属する制作会社・白組の3DCG制作現場も垣間見える。山崎組では「広い駐車場とグリーンバック(合成用の背景)さえあれば映画が出来る」と冗談めかして言われることがあるが、実際、『海賊とよばれた男』の多くのシーンがスタジオのグリーンバックではなく、自然光のもと、駐車場か限られたセットだけで撮影され、本物と見分けがつかないほど巧妙に合成されていく過程を前後で比較しながら映し出していた。先日発売された白組の社史とも言うべき『白組読本』(風塵社)と併せて見るかぎり、今や白組は、かつての円谷プロダクションにも匹敵する日本のVFXで抜きん出た存在であることをうかがわせる。
 
 今の時代に生きる映画監督に欠かせない能力は、VFXをどう活かせるかを判断する力にかかっていると言っても過言ではない。現実の世界には存在しないものから、失われた風景や建物の再現に至るまで、全篇にわたってCG処理を行う作品、ちょっとした1カットに特殊効果や修正が加えられる作品など、VFXが必要とされない作品は皆無と言っていいほどだ。もちろん、VFXを統括するスタッフがいるのだから、監督によっては専門家にお任せということもある。今の技術なら低予算映画でも、そこそこチャチにならないCG処理が可能なのだし、監督が余計な口を挟むよりスムーズに事が進むだろう。ところが、映画全体の印象を左右する重要なシーンがCGの場合、事前のイメージの共有、クオリティの見極めを監督が判断できなければ悲惨なことになる。


 森田芳光監督は〈デジタル技術を掌握する者が映画界の主流になる〉と20年近く前に予言していたが、その森田ですら『模倣犯』(02年)のラストで不出来なCGの首が吹き飛ぶというシーンによって映画を台無しにしている。後に自身でも「あれがもう少しリアルにできていれば、ずいぶん印象が違っていたんじゃないかなと思う。結果的に、僕が抱いていたイメージとはかなり違った。(略)ちょっとCGが残念だった。時間的に間に合わなくて」(『森田芳光組』キネマ旬報社)と後悔を口にしていたが、ことほどさように映画の成否がかかる場面でも、リテイクする時間的余裕がないためにそのまま使用せざるを得なくなるという問題は、今に至るまで解決されていない(『模倣犯』の場合は他にも問題があるのだが)。


 その意味で『シン・ゴジラ』(16年)は、撮影前にシミュレーション映像のプリヴィズ(Pre Visualization)を全篇にわたって作成し、それに合わせてCGが作成されていくことで効率化ならびに総監督・庵野秀明の特徴でもある緻密な画面構成がVFXにも反映させることを可能にした(実際にはプリヴィズからCGに移し替えるだけでは終わらず試行錯誤があったようだが)。


 更に庵野が画面のレイアウトへの1ピクセル単位に至る微調整、コマ送りで画面を見ながら爆発シーンなどで特定のコマを抜くように指示したりと、まさにアニメーション演出の手法で判断を下したことで、従来の日本映画でVFXが監督の演出意図とかけ離れてしまう問題を乗り越えてみせた。度重なるCGへのリテイクによって公開ギリギリまで作業が進められるなど、庵野の粘り勝ちとも言えるクオリティ・コントロールが、日本製ゴジラをリブートさせることに成功したとも言えるだろう。このVFX作業の中心を担ったのも白組である。


 『シン・ゴジラ』から半年を経ずに、白組と山崎の最新作となる『海賊と呼ばれた男』は公開されたが、同じ白組でも異なるチーム編成になっており、『海賊とよばれた男』は山崎率いる白組調布スタジオが、『シン・ゴジラ』は白組別働隊の手によるものである。ちなみに『Always 続・三丁目の夕日』(07年)の冒頭に登場するゴジラは調布スタジオが作ったもので、同じ白組によるフルCGゴジラでも全く別物と考えていい。白組スタッフの証言によると、庵野秀明がCG作業を終えた後、「調布のスタッフ、悔しがるでしょうね」(『別冊映画秘宝 特撮秘宝vol.4』洋泉社)と声をかけたというのも、そうした因縁があったからだろう。


■“脇役”として渋い活躍をみせるCGとVFX
 『海賊とよばれた男』は終戦間際から幕を開け、店主の鋳造が戦後の焼け跡から石油商・国岡商店の再起を図ろうとする。30数年前の事業を立ち上げて間もない若き日を回想しつつ、復興期の日本でたくましく成長を遂げていく姿が描かれる。VFXは大正・昭和、戦前・戦中・戦後と、文字通り大きく変貌する背景を担う。こうした過去の失われた風景をCGで再現する作品は、監督がVFXをどう活用し、どう撮るか、演出意図とも密接に絡み合う。


 単にCGで背景を作ってその手前で芝居を撮るだけでは、『スパイ・ゾルゲ』(03年)の様に書割というか銭湯のタイル絵みたいなショボいCGをそのまま使って、昭和初期が再現できたと喜んでいるだけの平面的なカットばかりが連続する作品になってしまう。かと言って、やたらとCGで作ったことをひけらかすような不必要にキャメラが動きまくるのも鬱陶しい。その点、流石に山崎監督は現状を熟知しており、「現在CGはごく当たり前の存在になっていて、それだけじゃお客さんを呼べない時代になりました。一方でCGやVFXは居てもらわないと困る、そんな中堅どころの良い役者になってきた感があります」(『CG WORLD vol.221 January 2017』ボーンデジタル)と語る。


 実際、この映画のCGやVFXは実に渋い脇役なのである。冒頭の東京大空襲と焼け跡への空撮から崩れた建物をくぐり抜けるキャメラワークを除けば、基本的に固定画面か緩やかにパンするぐらいで、背景が主張しすぎないように留意されている。観ている間は、かなりの部分がCGなのだろうなと思いつつ、ほとんど気にならず、上映後、パンフレットを開いて、あれもこれもグリーンバックと最小のセットだけで撮ったのかと驚かされた。これまでも『リターナー』(02年)の海上油田や、『Always 三丁目の夕日』で画面の手前を走るSLをミニチュアで作るなど、観客の目線が向かうポイントや重量感が必要な場面ではフルCGに頼らずに実写やミニチュアへ振り分けて活用する試みが成功していた。今回もセット、ミニチュア、3DCG、マットペイントなどを組み合わせる技法を駆使して充実した画面を作り出している。


■『海賊とよばれた男』は山崎貴には不向きな題材?
 だが、冒頭の東京大空襲でB-29の爆弾倉からクラスター爆弾が落下するのに合わせてキャメラも一緒に落下し、空中で数十本の焼夷弾が開いて地上へ降り注ぐという3DCGで作られたシーンは、これまでにない見せ方を意図したとのことだが、逃げ惑う人々が俯瞰で一瞬映されるものの、これでは敵側の視点でしかなく、地上の視点から木造家屋や人体が炎上するといった灼熱地獄的描写もないので恐怖が伝わってこない。この空襲が主人公の戦後の原動力となるだけに、この描き方ではアメリカへの敵対心は生まれない。


 この作品はVFXがなければ成立しないシーンが多くあるとは言え、これまでの山崎作品の中でも最もドラマが主体となる作品である。殊に鋳造が北九州で国岡商店を立ち上げた若き日々は、最も情熱的な時代となるはずだ。新規参入業者の鋳造と取引をする者がおらず、もはや万事休すという時に伝馬船で海上まで石油を売りにいくことで形勢逆転する。しかし、旧来の業者からは反発を食らい、海上で一触即発の危機となるが、船と船の間をすり抜けて対立を回避する。これが戦後、国岡商店が所有する大型タンカーがイランへ赴いた際、イギリス艦隊と一触即発になるシーンへの伏線となるが、構図としては過去と現在の対比になるとしても、若き日の鋳造が既得権益を貪る者たちを跳ね除ける〈海賊とよばれた男〉たる海での暴れぶりが描かれないのが物足りない。史実はどうあれ、ヤクザの出入りに近い荒っぽい対立があってもおかしくないのではないか。


 鋳造を店主と呼んで慕う店員たちとの関係も、この時代ならばヤクザまがいの親分子分の関係に近かっただろう。鋳造のもとへ雇ってくれと入店してくる若い男たちにしても、台詞以上には鋳造のどこに惹かれたのかが分からない。かつて東映が高倉健主演で製作した『山口組三代目』(73年)は、後に山口組三代目組長となった田岡一雄を主人公にした作品だが、山口組が斡旋する港湾の荷揚げ作業の仕事にありついた田岡がわらじを脱ぐきっかけは、転がり込んだ時に食べさせてもらった白米である。貧しかった田岡が白米を大泣きしながら口にかきこむ印象深いシーンによって、彼のその後の忠義に納得がいく。これはヤクザの世界ではあるが、この作品の店主と店員の関係はあまりにも近代的すぎるのではないか。


 また、伝馬船の海上販売のシーンの描写不足と同様に、映画の軸になりそうなシーンがことごくスキップされてしまうのが物足りない。満鉄への車輌油の売り込みで、機関車を使っての実験に成功するが、「この後、国岡商店は大陸に販路を広げ、めざましい発展を遂げた」という字幕のみで終わってしまい、映画の中で絶頂期が描かれない。戦後、旧海軍の備蓄タンクを空にさせる業務を国岡商店が請け負った時も、最初に雇っていた人夫があまりの匂いで頭痛を起こして逃げ出し、店員たちが自ら作業に当たらねばならなくなる。このプロジェクトこそは、国岡商店の戦後復興を象徴するエピソードになるはずだが、吉岡秀隆が『Always 三丁目の夕日』(05年)の茶川竜之介みたいな芝居で事に当たるので、まるで深刻な作業に見えない。こうした肩すかしがクライマックスとなる大型タンカーとイギリス艦隊の場面にまで影響する。それ以前の絶頂期が描かれないので、緊迫感あふれる状況の中で、コトの成り行きを日本から見守る鋳造が自らの若い頃の〈海賊〉時代に重ね合わせて盛り上がる――とはなってくれない。


 VFXが不可欠な作品でありながら、VFXが作品を象徴しないというこの映画の特性からして山崎貴には不向きな題材だったのではないかと思えてならないが、それでは誰がこんな映画を監督できるのか? という話になる。ドラマ部分を重厚に描く手腕を持つ監督はいるだろう。だが、VFXへの判断はどうか。今後、こうした作品が増えていくならば、VFXへの知識は専門家に任せるとして、演出意図をVFXに組み込み、事前のイメージの共有、上がってきたCGへのジャッジが可能な監督が、アニメ・VFX畑以外の実写監督にどれだけいるだろうか。現在、そうしたVFXと演出意図を最も意欲的に接合させているのは、山田洋次監督と黒沢清監督ではないかと思う。


■山田洋次と黒沢清のVFX
 実際、この2人の監督は、意外に特撮好きなのではないかと思わせるフシがある。山田作品で特撮絡みのシーンと言われて思い出すのは、『男はつらいよ 寅次郎真実一路』(84年)の冒頭で恒例の夢のシーンにギララを登場させたことがあったが、あの特撮は『宇宙大怪獣ギララ』(67年)からの流用にすぎないので、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(07年)冒頭のゴジラほどの意図は感じられない。


 VFXを山田洋次が意識するようになったのは、長年組んでいた撮影監督の高羽哲夫がCGによる革新的な液体表現を見せた『アビス』(89年)、『ターミネーター2』(91年)にいたく感銘を受けたことから始まる。90年代前半からそうした研究を始め、詳細不明ながら〈人が霧の中からどんなふうに現われて、どんなふうに見えなくなるかがポイントとなる話〉を企画していたというが、『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(95年)では『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94年)を模倣したニュース映像の中に寅さんが登場して居間でテレビを眺めていたくるまやの人々を仰天させ、『虹をつかむ男』(96年)と『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』(97年)には亡くなった渥美清がデジタル寅さんとなって登場した。当時の感覚では山田作品で大々的にVFXを活用することなど無いのではないかと思っていたので、何故こんな試みをするのかが理解できなかったのだが。


 それから十数年を経て、VFXが徐々に山田作品に使用され始める。戦中から戦後にかけての東京を舞台にした『母べえ』(08年)には白組が参加しているものの、家の前の道を抜けた大通りをCGで作った程度だったが、同じく戦争を挟んで描かれる『小さいおうち』(14年)には舞台となった家屋が終盤、B-29の焼夷弾の直撃を受けて崩壊、炎上するシーンがある。ここで用いられたのは意外にもミニチュアだった。手がけたのは戦隊シリーズや『男たちの大和/YAMATO』の特撮研究所。寓話に出てくるような家として映画に登場するだけに、ここでは意図的にミニチュアを用いて描かれたと推察されるが、それ以上に山田の同時代性を読み取るカンの良さを感じさせる。というのも、CGにいち早く注目したように、『小さいおうち』の準備中は『館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』や、同展示で短篇の樋口真嗣の監督、庵野秀明の脚本による『巨神兵東京に現わる』(12年)が上映され、ミニチュア特撮への再評価が行われていた時期だったからだ。


 戦中から戦後の長崎が舞台となる『母と暮せば』(15年)では、山田作品としては最大級のVFXが使用された。冒頭で二宮和也が飛び乗る市電の背景に当時の風景が合成されるなど、これまでの固定画面で遠景に映る程度のCG使用から飛躍的に目立つ形となった。スタジオに市電の一部をセットで作るだけで合成可能なカットでも、現存する市電を走らせてその後ろにグリーンバックを張り巡らすなど、完成した映像からも市電の重量感が伝わるように実写ベースでの撮影を選んでいる。そして原爆投下のシーンを机上のインク瓶がグニャリと溶けていくことで表現するためにCGで試行錯誤を繰り返したというのも、演出意図とVFXの理想的な関係を思わせる。


 もう一人、意外に特撮好きな監督が黒沢清だ。「人生どこかで違っていたら、特撮専門家になっていたかも、と夢想することもある」と言う黒沢は、ハリウッドから特殊メイクアーティストのディック・スミスを招いた『スウィートホーム』(89年)を商業映画3作目にして監督している。この映画のラストに登場する昇天する夫人の合成カットは若き日の山崎貴が担当したという。。


 黒沢清の映画に特撮が本格的に導入されるのは、CGが一般映画に普及した90年代後半まで待たねばならなかった。その最初の1作となった『カリスマ』(99年)では、カリスマと呼ばれる巨木などでCGが活用されるものの、ラストカットで役所広司が見下ろす炎と煙につつまれた街の上空を、凄まじい速度で飛行するフルCGのヘリが複数機登場する。しかし、このヘリが公開当時の感覚でもあまりにもチャチなGGにしか見えず、肝心のラストカットが締まらないものになってしまった。


 黒沢作品のVFXが一変するのは、黒沢の初期作『神田川淫乱戦争』(83年)のスタッフを経てVFXプロデューサーとなった浅野秀二が参加するようになってからだろう。『カリスマ』のCGに感じたような不満が、崩壊していく世界を描いた『回路』(01年)以降、一掃されたのは浅野の存在を抜きには考えられない。『リアル 完全なる首長竜の日』(13年)ではフルCGの首長竜を登場させ、主人公たちを襲撃するという難易度の高いシーンが登場する。原作には首長竜が実際に出現して襲撃するという設定がないところからして、黒沢が意図的に用意したことになるが、プロデューサーからは心配する声が挙がったという。だが、浅野から「やります、やってみせましょう」(『nobody ISSUE39』)という返事を得て完成したのは、首長竜の動きからどう見せるかに至るまで、特徴的な黒沢の演出が見事に反映されたものだった。黒沢の演出を熟知、理解した上でVFXを提案できる稀有な存在が傍にいたからこそ、黒沢は首長竜の大暴れをクライマックスに設定したのだろう。


 森田芳光が予言した〈デジタル技術を掌握する者が映画界の主流になる〉を立証してみせたのは、庵野秀明、山崎貴というアニメ・VFXに出自を持つ監督たちと思えたが、実写監督たちの追い上げも始まったばかりである。(モルモット吉田)