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クーラ・シェイカー、ステレオフォニックス……90年代UKロック立役者たちの「充実の現在」を考察

2016年12月26日 18:11  リアルサウンド

リアルサウンド

クーラ・シェイカー

 いい年の取り方をしている、と嬉しくなった。


 かつては「王子」と呼ばれるほどアイドル的人気も博したクリスピアン・ミルズ。彼が率いる90年代UKロック界のエトワール、クーラ・シェイカーが再びの帰還である。今年は折しもデビュー・アルバム『K』発表から20年、そして2006年の再結成から10年という、バンドにとっての節目の年。2月には6年ぶり5枚目の新作『K 2.0』をリリース、7月はフジロック・フェスティバル出演、そして11月には単独来日公演と、この一年、彼らは精力的に活動して自らのアニバーサリー・イヤーを盛り上げた。とりわけ、11月の単独来日で敢行した『K』の再現ライブは、往時よりぐっと一体感を増したバンドのアンサンブルに、20年という歳月の重みと、紆余曲折によってもたらされた妙味までが滲む素晴らしいものだった。


 件の新作は当初、そのタイトルからデビュー・アルバム『K』(96年)のアップデイト版かと思ってしまったが、実際聴いてみるとそうではなく、むしろクーラ・シェイカーがこれまで培ってきたものすべてを、ありのまま、心のままに表現した自然体の作品という印象。「ラヴ・ビー(ウィズ・ユー)」といったストレートなメッセージがこめられた曲など、クーラらしい純真さは変わっていないな、と思う一方で、べテランになったことによって“聞こえ方”が変わってきた部分もある。例えば「オー・メリー」の冒頭、〈In your head, you can go anywhere~(空想の中ではどこにだって行けるんだ)〉という語り。昔ならば“王子の無邪気さ”と捉えたところだが、今はその言葉に、「酸いも甘いも噛み分けてきたけど、それでもやっぱり夢とか希望は必要だよね」という、ある種の“達観”を感じるのだ。


 日本盤ラスト曲の「ドリームズ・オブ・ロックンロール」まで、タテノリを誘発する爆発力のある曲は少なくなった印象ながら、ギター・ロックにこだわり、聴くほどに味わい深くなるシンプルなサウンドで、成熟したバンドの姿を見せてくれた彼らである。


 そして今、このクーラ・シェイカーをはじめ、90年代のUKロック・シーンを盛り立てたバンドたちが、また存在感を示している。


 デビュー20周年を迎えるステレオフォニックスは、昨年、9作目となるアルバム『キープ・ザ・ヴィレッジ・アライヴ』を発表。「セ・ラ・ヴィ」「シング・リトル・シスター」といったアップリフティングなナンバーから「ソング・フォー・ザ・サマー」「マイ・ヒーロー」といったバラードまで、大らかで情感豊かな楽曲が詰まった本作は高い評価を受け、6作目となる全英1位を獲得もした。オーセンティックなギターが牽引するバンド・サウンドは徹頭徹尾、ロック。彼らがこの20年一貫してこだわり続けてきたバンドの“芯”の部分である。


 そして彼らもクーラ同様、今夏のフジロックに登場、その直後の単独公演と合わせてフォニックスの胆力を見せつける骨太なパフォーマンスを披露した。いずれもオープニング・ナンバーが「セ・ラ・ヴィ」を含む新作からのナンバー2連発で、彼らが「今」に一番自信を持っている様子が伝わって来た。


 筆者が彼らを最初に観たのは、1996年、ザ・フーをサポートしたアールズ・コート公演。当時無名の新人トリオが放った瑞々しくも堂々とした演奏に、観客が大喝采を送った光景を覚えている身としては、今の彼らの変わらなさーー時代の空気に流されず、ただ己のロックを愚直に追究する姿ーーはひときわ胸に迫る。諸行は無常だが、変わらないものもあるのだという希望に深い感慨をおぼえる。


 1986年に結成し、今年で30周年を迎えたマニック・ストリート・プリーチャーズも「アニバーサリー・イヤー組」のひとつ。今年は、現在のトリオ体制になってから初めて作った作品ーーすなわちマニックス再生の記念碑的作品である『エヴリシング・マスト・ゴー』の発売から20周年ということで、20周年記念エディションがリリースされた。


 それまでニッキー・ワイアーとともにすべての作詞を担っていたリッチー・エドワーズが1995年に失踪、今でも彼の行方はようとして知れない。しかし喪失の後でどんなに心を痛めても、残された者たちの人生は続くーー『エヴリシング・マスト・ゴー』はまさにそんなアルバムだった。特に日常をひたむきに生きる人々の心象を描いたシングル「ア・デザイン・フォー・ライフ」は、今やUK庶民達のアンセムとなっている名曲だ。


 最新のリマスターを施され、1997年5月にマンチェスターで行なわれたアリーナ・ライブの音源を完全収録した20周年記念エディションは、当時を知るファンにとって特別なものであることはもちろんだが、デヴィッド・ボウイやプリンスをはじめ、多くのロックの偉人を失った2016年の気分とも合致して、今また力強く響く。


 11月には本作の再現ライブで来日。バンドにとってのマイルストーンである「エヴリシング~」を第1部できっちりと、それ以外の曲を第2部でたっぷり、という出し惜しみなしの2部構成で披露した。


 3年ぶりの新作『カオスモシス』を発表したプライマル・スクリームは80年代デビュー組だが、ブレイクしたのは90年代初頭のこと。前述したバンドたちとは同期ではないが、彼らと並走するかたちで常にシーンの第一線にいた。


 『カオスモシス』は通算11作目のアルバムだが、随所にちりばめられたエレクトロ・サウンドが華やかな軽みを添え、過去作と比べてもひときわポップな印象を受ける。しかしそこには初期の代表作『スクリーマデリカ』にあったような屈強なグルーブ感も健在で、スカイ・フェレイラやハイム姉妹など、ゲストに迎えた女性ボーカルたちと最新のプライマル・サウンドとの相性も抜群。海千山千といってもいいほど様々な経験をしてきて、老獪さも身につけているはずの彼らが、一方で、いまだこんなフレッシュな感性を保っている事実に驚かされる。


 1985年デビューの彼らのキャリアは早30年を越えるが、正直いって、このバンドがこんなに長い間活躍し続けるとは思ってもみなかった。度重なるメンバー・チェンジ、所属レーベルの解散等々、プライマルの周辺には常に“危うさ”が漂っていたが、それらすべてを“ロックンロール”の体現者として消化し、自らの魅力にしてしまった感がある。


 10月の来日公演も、その“ロックンロールのコア”をまざまざと見せつけるものだった。今さらではあるが、「クライ・マイセルフ・ブラインド」と「スワスティカ・アイズ」が同じバンドの楽曲だということの驚き! しかし、それらが同じライブの中で演奏されても違和感をまったく感じないことは、もっと驚きだ。コアがしっかりしているから、何をやってもぶれることがない。


 ここまで来てお気づきの向きも多いと思うが、紹介したバンドの殆どが、結成○○年、デビュー○○年、代表作リリースから○○年など、なにかしらの「アニバーサリー・イヤー」を迎えている。CDが売れなくなって久しい昨今、キリの良い周年を迎えたものをリマインドして興味や消費を促進しようという手法は早、定番化した。


 また、それに伴い、前述したクーラ・シェイカーの『K』、マニックスの『エヴリシング・マスト・ゴー』再現ライブなど、特に2000年以降、ある特定のアルバムを1枚通して演奏するライブは、ヒット作を持つバンドの人気レパートリーとなっている。


 観客にとっては、自分の好きなアルバム/思い入れの強いアルバムの曲が丸ごと演奏されるというのは嬉しいことだし、また、当時のことを知らない若いファンにとっても、そのバンドの最も売れた作品/評判の高い作品を一時に知ることができる便利な機会となる。その上、配信により曲単位で音楽を楽しむことが当たり前になった今、「アルバム」という表現形態にフォーカスした再現ライブは、アルバムだけが紡ぎ出すことの出来る壮大な世界観を味わえる特別な体験にもなる。要するに、演目をあらかじめ提示することは、観客の楽しみや満足感を担保することでもあるのだ。


 そういう意味では、誕生から半世紀あまりを経て、今やロックもクラシック音楽や歌舞伎、落語などといった伝統芸能の領域に入ってきたと言えるかもしれない。だが、その一方でインタラクティブな「ノリ」や「ハプニング」の面白さ、予測不能な要素が、ロックがロックであるために非常に重要なものであることも事実。その点、特にマニックスやプライマルはそのあたりのバランス感覚が優れており、「期待していた楽しみ」と「期待以上の楽しみ」の両方をしっかりとくれる。これもべテラン・バンドならではの年の功、と言って良いかもしれない。(文=美馬亜貴子)