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小松菜奈に観客が恋に落ちる理由 女優の魅力を増幅させる『ぼく明日』三木孝浩監督の技術

2016年12月24日 06:11  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2016「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」製作委員会

 ここのところ漫画原作の映画が頻発していたためか、「100万部を超えるベストセラー小説の映画化」というキャッチコピーとともに、このタイプの題材が扱われるというのは、一周回って少し新鮮な感じがする。


参考:なぜ小松菜奈は映画に必要とされるのか? “二段階”を生きる『ぼく明日』『溺れるナイフ』の演技


 しかも、それを手がけたのが『僕等がいた』や『ホットロード』でおなじみの三木孝浩で、主演のカップリングが”壁ドン”が最も似合う福士蒼汰に、これまで3本の少女漫画原作映画でヒロインを演じてきた小松菜奈。原作を知らない層は「また少女漫画か」と思ってしまうに違いないが、『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』は紛れもなく恋愛小説。男女両方の目線で、ナイーブな物語が展開していく。


 電車の中で見かけた少女に一目惚れした主人公は、思い切ってその少女に声を掛ける。連絡先を聞こうとするが、彼女は携帯電話を持っていない。また会えるかと約束をした彼女はどういうわけか涙を流している。そして「また明日」と言って電車に乗り込んでいく。こんな些細なボーイミーツガールから始まる物語が、まさかこんなにもファンタジックになるとは予期しておらず、原作を読まずにここまで耐えたことを我ながら小さく喜んでしまった。


 さて、劇中では二人のデートがひたすら積み重ねられていく。そして15日目に大きな秘密が明かされるというのだ。男女がデートをしている描写で作り出されるラブストーリーは、必然的にその土地を魅力的に映し出してくれる。増村保造の鮮烈なデビュー作『くちづけ』では江ノ島を、リチャード・リンクレイターの『恋人までの距離<ディスタンス>』ではウィーンの街並みを、始まったばかりの恋にときめく男女の会話で魅了していった。


 そして本作では冬の終わりの京都だ。三条大橋で待ち合わせをして、柳小路を散策して、みなみ会館で映画を見てから植物園でイルミネーションを見る。何とも楽しげなデートコースである。それだけではなく、劇中には伏見稲荷の鳥居が登場したり、物語のひとつの鍵となる宝ヶ池公園など、見ているだけで京都観光が楽しめる。(しかも鴨川の飛び石は『たまこラブストーリー』で登場した場所ではないか!)


 “秘密”が明かされてから折り返す、残りの日々のデートシーンの切なさたるや、言葉では言い表せない。序盤で、夜の道を二人並んで歩き、ぎこちない感じで手を繋ぐ場面が、後々すべてを知った後に再び画面に映し出される瞬間は、居ても立っても居られない。


 三木孝浩という監督は、何故こうもシンプルな恋愛描写を見せるのが巧いのだろうか。デビュー作『ソラニン』で描いた、夢を追う者とそれを支える恋人の関係性しかり、『僕等がいた』での遠距離恋愛による関係の綻び、そして『アオハライド』での初恋相手との再会。今回は絶対に越えることのできない大きな壁にぶち当たった二人の期間限定の恋模様だ。


 110分の映画なのに、タイトルが登場するのが開始40分ほどのところ。つまり物語の前半の楽しい一時は、ほんのプロローグにすぎないという残酷さをも垣間見せる。そのタイトル直前の駅でのキスシーン、もはやこれを最高に美しく見せるために、『ホットロード』以来2本目となるシネスコ画面を選択したに違いない。


 そして何と言っても小松菜奈だ。小松菜奈が、あまりにも魅力的なのである。『渇き。』からすべての作品を観てきているが、こんなにも輝いている女優だっただろうか。『バクマン。』の去り際のショットと、『黒崎くんの言いなりになんてならない』のクライマックスでの走り方に違和感を感じていた筆者としては、本作の彼女の一挙手一投足に虜になるなんて、いや、予告の時点で薄々感じていたことか。


 これもまた三木孝浩の作品の特徴のひとつである。魅力的な女優を、より魅力的に映し出す。往年の日本映画では例えば吉村公三郎とか、もう少し近年でいえば大林宣彦のように、それに長けた監督は必ずと言っていいほど存在していた。最近ではどうも、女優持ち前の魅力に甘えてしまって、それを増幅させる技量がどうにも足りていないと感じる。その中で三木孝浩は、現代日本映画界では唯一、観客が恋に落ちるヒロインを作り上げる技術を持っている監督だろう。(久保田和馬)