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爆弾ジョニーが放つ、見たことのないエネルギー! 石井恵梨子が描き出すバンドの現在地

2016年12月22日 16:41  リアルサウンド

リアルサウンド

写真=鈴木友莉

 1979年のRCサクセションは知らない。1987年のブルーハーツだって実際はよく知らない。でも、知らないけど……ここにいたじゃないか!


 まだインディーだった彼らを見て、直感的に出てきた言葉だった。こいつら信じられないくらい無茶で無謀だけど、ゆえに凡人にはできない何かを起こすだろう。バンドの名前を興奮気味に触れ回っていたら、知人のミュージシャンがこう返してきた。


「そう? 俺が見た時は馬鹿な学祭バンドって感じだったけど」


「そう言いたくなるのはわかる。でも馬鹿すぎてミラクル起こせる感じがした」


「あぁ……そう言いたくなるのも、なんかわかる」


 つまり「馬鹿と天才は紙一重」を地で行く存在だった。彼らにとってバンドは音楽ではなく合体ロボに近いもの。「ギターとベースとドラムとキーボードが合わさって、これ最強ビーム出てんじゃねぇ!?」と大興奮しているような。男の子特有の向こう見ずなエネルギーをフル回転させ、メンバー5人が豪快な馬鹿をやっていた。レゲエやディスコやファンクを飲み込み、ときには他人のヒット曲やコスプレ付きのカラオケまでを持ち込んで、プロ意識は皆無だが、最高に笑えるロックンロール・パーティーが始まっていた。3年前、まだ全員がハタチになりたてだった頃の爆弾ジョニーだ。


 私も含めて、オトナたちは揃ってその勢いに恋をした。軽やかなジャンプを繰り返すりょーめー(Vo&G)とキョウスケ(G)のコンビに、キヨシロー&チャボ、ヒロト&マーシーといったロックスター像を重ね合わせ、再びでっかいロックンロールの夢を見ようと盛り上がった。メジャーデビューの後は、メディアが新時代のロックスターだと煽りまくった。だが、その結果、バンドは止まってしまった。精神がパンクしたのは、若すぎたからか、周囲からの期待が大きすぎたからか。どちらもあるだろうが、その話を振り返りたいわけじゃない。約一年半の休止を経て、ようやく活動を再開した彼らの今の話がしたいのだ。


 復活の一発目、6月30日の渋谷クラブクアトロは、とにかく「バンドの火がまだ消えていないこと」を確認するだけで精一杯だった。だが、その後いくつかのイベントに出演し、11月からは全国ツアーも決定。ツアー初日の新宿レッドクロスを見た時に、おお、と思い、おや、と感じるところが多数あった。やっぱりこれだな、という確認と、まったく別バンドになっているのだ、という驚きと。そんなツアーがもう終わりを迎える。


 12月12日、恵比寿リキッドルームで爆弾ジョニーを見た。


 「セミファイナル、始めるよー!」。キョウスケの一声からファンキーなインストが始まっていく。ハタチの頃キヨシローのマント姿を模して派手に登場していたりょーめーは、23歳の今、ラフなTシャツ姿でスッとステージに現れる。片手にはトランペット。豪快な馬鹿をやりに、ではなく、音楽をやりに来たのだろう。ただ、そのトランペットがプラスチック製であることを思えば、暴れても壊れない楽器ですよ、ただの音楽をやるわけじゃないのです、との見方もできる。その狭間で自分たちのパフォーマンスを再構築しているのが、今の爆弾ジョニーなのだと思う。


 一曲目となる新曲「滑空キラー」は、りょーめーのアコギ弾き語りから始まるミドルテンポのナンバー。柔らかく、優しく、過剰な力みも感じない曲だ。続く「終わりなき午後の冒険者」「唯一人」はメジャーデビュー後のシングルにあたるアグレッシヴな曲だが、元気! 豪快! ストレート! みたいなイメージは、実はこちらの思い込みも半分あったと気づく。たとえばインディーズ時代の会場限定シングル曲「ステキ世界」は(歌詞の馬鹿らしさを除けば)しっかりアーバンなファンク・ミュージックである。ギトギトに黒っぽくない、アーバンで洒脱なファンクという意味では、Suchmosに近い作風ですらある。考えてみれば爆弾ジョニーの曲には、音量やディストーションで勝負する豪速球タイプが実に少ないのだ。


 改めて思う。「爆弾ジョニー=新世代のロックスター!」「まさにシーンの爆弾!」みたいな煽り文句が先行してしまったのはバンドにとって不幸でもあった。と同時に、いくら軽やかなファンクやディスコ調のサウンドを奏でても「これがロックスター!!」と周囲が盛り上がってしまうくらい、彼らのパフォーマンスやキャラクターには凡人離れした爆発力があった。


 たとえば、中盤に披露された「キミハキミドリ」には、ふざけた歌詞にふざけた振り付けを加える余興のコーナーがある。以前の彼らは「会場全員、関係者も含めて全員がやるまでやめねーぞ!」と言い張り、無意味だが過剰な本気をぶち込み、そのうち会場の全員がクスクスゲラゲラと笑いながらバンドの熱量に巻き込まれてしまうという流れを作っていた。まさに「馬鹿な学祭ノリ」が「馬鹿ゆえにミラクルを起こす」光景である。だが、この日の彼らは振り付けを強要することもなく、やりたい人はどうぞという感じでサラリと流していた。呆気にとられるようなエネルギーは、そこにはない。でも、これが自然なのだと思う。このバンドを続けていくために、無茶苦茶なテンションは不要になったのだ。


 その変わり目立ってきたのは、自由自在で軽やかな曲の洗練だ。本編では5曲、アンコールには4曲の新曲が披露されたが、どれもソウルフルだったりアシッドジャズの風味があったり、フォークとサーフが混ざりあったような曲調だったりと、どれも新しい表情を覗かせるものだ。シティポップの枠に入れても良さそうな曲がこのバンドから出てくるのは、いかにも若い感性であり、意外にどんな曲でも受け入れられるレンジの広さだろう。そして、りょーめーが「ギター、キョウスケ!」と叫び、最高のギターソロが炸裂する瞬間が、どんな曲にも備わっている。この二人のコンビネーションがある限り、どんな曲でもロックンロールになるだろうと思える瞬間だ。


 また、ロマンチック☆安田(Key)がギターを持ち、りょーめー、キョウスケと並んでプレイするトリプルギター編成の新曲ロックナンバーもあった。MCでりょーめーは「世代だからさぁ、これ、実はアジカンの『リライト』のサビと同じコード」と笑って明かす。突き抜けた、ぶっ飛んだ、過剰なバンドというイメージを消してみれば、彼らはただ、10年前バンドに憧れて初めてギター弾いてみた中学生だったのだ。今は、そういう原点に戻っている。また5人でバンドを始めることを楽しめている。5人の表情はどこまでも自然だった。


 もちろん、馬鹿騒ぎが全部なくなったわけじゃない。タイチ(Dr)のストリップ劇場から始まる「へんしん」のくだらなさ、やらなくてもいい小ネタの数々は相変わらずヒドすぎて爆笑するしかないレベルだし、5人が思いついたことをダラダラ喋るMCも、高校生がだべっている会話の延長のようで、メンバーの愛すべきキャラが浮き彫りになってくるもの。洗練されたのは曲だけで、本来のキャラクターはあまり変わらない。それでいいのだ。


 私も含めてだが、爆弾ジョニーに飛びついた人は、特定の音楽性でこのバンドに惚れたわけではないだろう。パッと見はデコボコな5人が合体して、爆弾ジョニーという巨大ロボになり、見たこともないようなエネルギーを放っていく。その様子がたまらないから好きになったのだ。5人はもう爆弾ジョニーを止めないだろうし、これからさらに新しい表情が増えていく。それであれば十分だ。ロックシーンを背負う存在だとか、新しいロックスターといった言葉が、今後必要かどうかはわからない。そんなことはどうでもいいから、この5人が描く未来をまだまだ見ていたいと思うのだった。(文=石井恵梨子)