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名も無き英雄たちは何を訴えかける? 『ローグ・ワン』 に引き継がれた「スター・ウォーズ」の魂

2016年12月22日 06:11  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2016 Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.

 映画史のみならず、世界のポップカルチャーに大きな影響を与えたシリーズの原点『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』。ディズニーが制作する新たな「スター・ウォーズ」シリーズの二作目『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』は、その前日譚となるスピンオフ作品である。「ローグ・ワン」を一言で表現するなら、「魂の映画」となるだろうか。いままでにないアツさを感じる、新しい印象の「スター・ウォーズ」である。ここでは、その本編に刻み込まれ胸を熱くさせる「魂」の正体を追求していきたい。


■「スター・ウォーズ」の原点に立ち返るスピンオフ企画


 「新たなる希望」は、銀河を征服しようとする帝国軍が開発した、星を滅ぼす力を持つ究極破壊兵器「デス・スター」を巡り、反乱軍と帝国軍が熾烈な戦いを繰り広げるという内容だった。反乱軍唯一の希望となるのは、「デス・スター」の弱点が記録された設計図のデータである。本作の登場人物たちは、そのデータを命がけで盗み出した、歴史に名を残すことのない英雄たちである。彼らは特別な力「フォース」を持たずに、命がけで絶望的な戦いに挑んでいく。


 このスピンオフのアイディアを思いついたのは、ルーカスフィルム作品をはじめ多くの映画の特殊効果を行ってきたI.L.M.で視覚効果スタッフを務めていたジョン・ノールだ。彼の前日譚企画はスタッフの間で評判となり、ルーカスフィルムのトップに認められるまでに至ったとされる。大規模な映画には、大勢のスタッフが必要となる。「スター・ウォーズ」シリーズの成功は、裏方たちの献身的な努力あってこそだ。I.L.M.でこの企画が支持されたのは、まさに彼らが主人公となる物語だったからかもしれない。


 さらに、世間のはみ出し者たちが協力し、一つの信念のもと死闘を繰り広げるという要素は、「スター・ウォーズ」の生みの親であるジョージ・ルーカスが学生時代に観て熱狂したという、黒澤明監督の『七人の侍』と重なっている。それは、黒澤映画のオマージュに溢れる「スター・ウォーズ」の原点に連なる作品としてふさわしい。


■「スター・ウォーズ」に新風を吹き込むギャレス・エドワーズ


 本作に抜擢されたのは、『モンスターズ/地球外生命体』で「最もリアルな」怪獣映画を作り上げたギャレス・エドワーズ監督だった。フォースを操るヒーローが不在という、比較的地味といえる脚本にフィットし、戦闘に「リアリティ」を持ち込むのに、その手腕が適任だと判断されたのだろう。


 ウルトラパナビジョン70のレンズを使用し、大スケールで戦争を描く試みをはじめ、旧三部作や「エピソード7」とも異なる、核攻撃のようなデス・スターによる惑星破壊の描写は、いままでにないほど生々しく、実際の戦争の記録を想起させるものだ。過去に広島の原爆投下のCG映像を作り、『GODZILLA ゴジラ』でも、アメリカ映画の中で「ヒロシマ」の記憶を暗示させるなど、社会への問題意識と、視覚効果を利用したエンターテインメントという二つを組み合わせユニークな作品を手がけてきたエドワーズの個性が光っている。


 だが本作は、じつはいったん撮影が終了した後に、かなり多くのシーンが再撮影された事実が伝わっている。現時点では、その具体的な改変部分は明らかになっていないが、報道や監督のインタビューから類推する限り、それは主にスペクタクルや娯楽表現の部分においてだと考えられる。


 ロサンゼルス・タイムズのインタビューによると、エドワーズ監督は具体的な絵コンテなどを決めずに、本当にドキュメンタリーの手法を使って膨大な時間をかけ、兵士たちが戦闘をする映像を撮りだめたという。ここまで大規模な娯楽映画では、ほぼ類を見ない挑戦的試みである。これは、当初の企画としては、ある意味「注文通り」の仕事なのだろうが、それら断片的なカットを編集で繋げて、高いクォリティを保った作品に仕上げるには、あまりにも時間が足りなかったらしい。公開時期が迫るなか、演出面で脚本家のトニー・ギルロイの力も借りて、必要なカットの再撮影を敢行したことを告白している。


 本作の評価は、ファンの間でも上々である。それはやはり、再撮影後の娯楽表現の部分が功を奏しているからだと想像できる。そのままエドワーズ監督の個性を押し通せば、賛否分かれる問題作となっていた可能性が高い。しかし、これを持ってギャレス・エドワーズを監督に選んで失敗だったかというと、そうではないように思われる。彼が本作を監督をしていなければ、少なくともいまのかたちに「ローグ・ワン」が完成することはなかった。そして、現実社会との繋がりを感じさせるエドワーズ監督の持ち味や意向は、しっかりと本編に生きていると感じるのである。


■「新三部作」と「旧三部作」を繋いだテーマ


『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』が、ヴィンテージ風の仕上がりとなった理由


 以前述べた通り、J・J・エイブラムス監督は「旧三部作」のファンであり、「エピソード7」は、アナキン・スカイウォーカーを主人公とする「新三部作」の要素を極力排除していく方向で作られていた。しかし、旧作に連なっていくはずの「ローグ・ワン」の脚本は、新三部作のテーマに立ち返ってもいる。


 新三部作の時代の銀河は、様々な異星の民族たちが共存する、民主的な共和制で成り立っていた。それは、独立宣言を発した、建国当時のアメリカが理想とした社会の姿に近い。新三部作は、その理念が帝国主義に侵されていくまでの過程を描いている。通商連合と呼ばれる経済団体が政界と結託して不当に利益をむさぼる新三部作の状況は、旧三部作公開当時からとくに顕著になってきていた、現実の格差問題の原因となる仕組みを投影したものである。また、第二次大戦ではナチスをはじめとする他国の帝国主義と戦っていたアメリカは、ベトナム戦争以降、自身が武力を持って他国を威圧する帝国主義的な態度を、自国民からも批判されるような国になっていった。


 アメリカ独立宣言は、それまでの統治者であったイギリスによる圧政を告発し、平等、自由、幸福の追求など基本的人権を述べたものだ。一部の人間のために、そのような建国の理念が無視され、軍国化が進む状況を、新三部作は克明にカリカチュアライズしている。ナチズムに代表される帝国主義への抵抗の果てに、自身もまた帝国主義に陥り、ダークサイドに足を踏み入れるという恐怖である。


 本作では、そのような恐怖政治が銀河全体を席巻しようとする絶望的な状況が描かれる。フォレスト・ウィテカー演じるソウ・ゲレラは、クローン大戦で武功をあげ、反乱同盟軍に加わる革命戦士だが、拷問など手段を選ばない過激な行動のために、反乱軍からも危険視される存在である。その身体は長年の戦闘により傷つき機械化されている。ある意味で反乱軍側のダースベイダー的な存在であるといえよう。面白いのは、いままで善玉としてしか描かれてこなかった反乱軍の暗部がはじめてここで表れているということだ。さらに反乱軍には、暗殺などの仕事をやらされている闇の部隊が存在することも劇中で示唆される。


 ソウ・ゲレラは、本作の主人公である女性、ジン・アーソの育ての親であり戦闘の師匠でもあった。彼はジンにこう尋ねる。「銀河に帝国軍の旗が輝くのを、お前は我慢できるのか?」それに対して、「見なければいい」とジンが答える場面は重要だ。ファシズムの台頭や、世界で起こっている悲劇に対し、「気づかないふり」をすることは簡単だ。しかし、多くの人間たちが事態に干渉しないことで、取り返しのつかない状況に悪化していくことは、歴史が示す通りである。ダース・ベイダーは、デス・スターによる攻撃を、鉱山の事故に見せかけようとする。それは誰の目にも明らかな嘘であるが、それを告発したり抵抗を示すリスクを冒す者がいなければ、帝国軍の専横を許し、不当な支配を許すことに繋がってしまう。


 ソウ・ゲレラはデス・スターの攻撃に遭いながら、ジンに自分の想いを叫ぶ。


「反乱を救え!夢を救え!("Save the Rebellion! Save the Dream!")」


 ジンはそこで街が壊滅していく様子を目の当たりにした。消滅した街の中には、ついさっき自分が戦闘から救い出した小さな子どももいたはずだ。彼女はその惨状に直面することで、ソウ・ゲレラの意志を引き継ぎ、帝国軍と敵対する意志を持ち始めることになる。


■時を超えて受け継がれていく「魂」


 1963年、公民権運動の指導者だったキング牧師は、ワシントンでのデモにおいて、リンカーン記念堂の前でこうスピーチしている。


「私には夢がある。それはいつの日か、黒人の少年少女が、白人の少年少女たちと、兄弟姉妹として手をつなぐことができるようになるという夢である」


「これが我々の希望なのだ。この信念をもてば、絶望の山からも希望の石を切り出すことができる」


 暴力を否定したキング牧師とソウ・ゲレラには決定的な違いがあるが、彼らの言う「夢」は、「公平な世をつくる」という意味において、全く同じものであろう。それは新三部作において失われた夢であり、旧三部作において取り戻される夢なのである。夢を信じようとするゲレラの魂はジンに受け継がれ、ジンと行動を共にする反乱軍の闇の集団にも伝播していく。彼らはそれを「フォース」と呼んだ。いままでのエピソードには無かった、信仰としての「フォース」である。


 デス・スターの設計図を奪う決死作戦に集った、はみ出し者集団「ローグ・ワン」は、正義の名のもとにあらゆる卑怯で残忍な仕事に手を汚した、戦争の加害者であると同時に犠牲者たちでもある。彼らが決死作戦に命を懸けるのは、そこに勝ち取るべき「夢」があるからである。そして彼らの想いは、やがて反乱軍全体を動かすことになる。まさに、一人の心の叫びが、公民権運動の参加者全員の心を動かし、現代の我々の心にまで届くという奇跡が、映画でそのまま表現されているように思える。その原点となるソウ・ゲレラを、名優、フォレスト・ウィテカーが演じなければならかった理由は、ここにこそあったのだと思われる。


 無名の兵士たちが死を覚悟して「希望」をつないでいく姿は、涙無しに見ることはできない。それはここで描かれているのが、「スター・ウォーズ」というSF映画を通した、現実の戦いの姿だからである。


 キング牧師は演説の中で、リンカーンを偉大なアメリカ人だと称え、彼のゲティスバーグ演説を引用している。南北戦争において大勢の国民の死を目の当たりにしたリンカーンは、その演説の中で「名誉ある戦死者たちが、最後の全力を尽くし命をささげた偉大な行為に対し、我々は彼らの意志を受け継いで、さらなる献身を決意をしなければならない」と述べている。公民権運動を指導したキング牧師もまた、その意志を受け継いだひとりだったのだ。


 どんな時代になったとしても、「見て見ぬふり」をせずに、自分の時代でそれぞれの責任を果たしていくことが重要だと、リンカーンは、キング牧師は、「ローグ・ワン」の名も無き英雄たちは訴える。そして、その行為はかたちを変えて、次の世代へと受け継がれていく。「ローグ・ワン」という映画は、まさにその「魂」が受け継がれていく瞬間を描いた作品なのである。(小野寺系(k.onodera))