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『逃げ恥』ワールドを作り出した全ての方々に拍手! 幸せに生きるためのヒント詰まった最終話

2016年12月21日 14:41  リアルサウンド

リアルサウンド

『逃げるは恥だが役に立つ』(c)TBS

 12月20日に、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』が最終回を迎えた。さまざまな愛があふれるエンディングに、心が温まった。私たちも、自分の気持ちに素直になる勇気が持てたら、『逃げ恥』ワールドのような世界を創れるかもしれない。そんな希望さえ覚えた。『逃げ恥』が私たちに教えてくれたことを見つめ、心が満たされる日々のヒントにしたい。


参考:『逃げ恥』プロデューサーが語る、最終回に込めた想い 峠田P「どの生き方も否定しない」


■人間関係は交渉が大事、愛するパートナーとの模索は続く
 夫=雇用主、妻=従業員という雇用関係としての結婚をした、みくり(新垣結衣)と平匡(星野源)。9話まで、たっぷりと時間をかけて、少しずつ距離を近づけていった2人が、ついに恋人関係に発展。お互いに“必要とされる”幸福感に包まれた。しかし、平匡のリストラ問題をキッカケに、またもやすれ違う2人。平匡は、気持ちが通じ合ったみくりなら、何があっても自分の提案を受け入れてくれるはずだと、相談なしにプロポーズをする。だが、その内容は、まるで「正式に籍を入れれば給与が生活費にまわすことができる」と無償労働を迫られているように聞こえたため、みくりは「好きの搾取である」と断固反対。結婚を素因数分解していく2人が、どのような形を築き上げていくのかが、最大の見どころだった。


 模索しながら、一緒に生きていく、ということ。2人が導き出した結論は、実にシンプルなものだった。そもそも平匡のプロポーズも本質は、みくりとどう生きていくかという、交渉のつもりだった。だが、独りよがりな提案に聞こえてしまったのは、みくりとのコミュニケーションが不足してしまったせい。平匡が発した「僕のことが好きではないということですか?」は、「僕のことを搾取をするような人間(みくりの幸せを願わない存在)に思うのですか?」という信頼関係の確認だったようにも思う。話し合うためには、お互いの幸せを願っているという、信頼関係の前提が崩れては積み上げることができない。これまでのストーリーを通じて「素直な気持ちを伝えること」が、いかに大切かを学んできた2人。プロポーズから少し時間をおくことで、改めて話し合いの場を設ける余裕もできた。そして、雇用主と従業員から共同責任経営者へと関係性を再構築。お互いを「平匡CEO」「みくりCEO」と呼び合い、経営会議と称して率直な意見を交わす。いいぞいいぞ! それでこそ、みくりと平匡! と微笑ましく見ていたが、だんだん怪しい雲行きに。


■ミスで責めるべきは、人ではなくやり方
 みくりの副業(商店街のイベンターとタウン誌のライター)が始まったことにより、またもや余裕がなくなっていく2人。家事を分担で「やってくれて当然」の状態になり、相手の行動への評価(敬意と感謝)がないがしろになっていくのだった。ある日、みくりから頼まれていた炊飯を平匡が忘れてしまうミスが起きる。しかも出前や外食でごまかそうとした平匡に、イラ立ちを隠せないみくりは、ふてくされたような態度を取ってしまう。平匡は意気消沈、みくりも自己嫌悪。こんなの誰も幸せじゃない。だが、これは現実社会でもよくみかけるシーンではないだろうか。人は誰でもミスをすることがある。合理的に考えれば、ミスから学び、次に同じミスをしないように、どうするべきかを考えるのが妥当だ。しかし実際は、ミスをされた方は「期待はずれだ」と落胆し、ミスをした方は「自分ってなんてダメなんだ」と自信を失い、なかなか気持ちが切り替えられない場面が多い。では、どうすればいいのか。


 責めるべきは、その人の人間性ではなく、やり方だ。ひどい態度をしてしまったのは、余裕のない状態になってしまったから。見直すべきは、余裕がなくなってしまったやり方なのだ。信頼しているのであれば、そこを区切って考える必要がある。区切れないのなら、信頼関係を築くという前提を見直すところからやり直さなくてはならない。そうして、うまくいくやり方を模索していくしかない。そのすり合わせを、諦めずに続けていける相手かどうか。それが信頼できるパートナーということになのではないだろうか。


■自尊感情が低くなるのは、自分がかけた呪縛にとらわれているとき
 余裕がなくなり、自己評価が下がると、心のシャッターを閉ざしたくなる。これ以上、誰にも傷つけられないように、そして余裕のない態度から誰かを傷つけないように。スムーズにいかないイベントの企画、不慣れなライター業務、そして疎かになっていく家事……。やるからには、しっかりとこなしたいと思いつつも、現実は理想とは程遠く、少しずつ自信を失っていくみくり。


 「小賢しい女」みくりは、そう言われて失恋したことから、うまくいかないときにはいつもこの言葉が頭をかすめていた。彼氏に「こうしたほうがいい」と助言をしてはうざがられ、派遣先で「なぜこうしないのですか」と提案してはクビを切られた。その心の傷が、平匡にもプロポーズを素直に喜べない小賢しい女など、きっと見捨てられてしまうと、自尊感情がどんどん低くなってしまう。


 心を閉ざしていくみくりの心情は行動にも表れ、バスルームにこもるように。「集中できるので」とバスタブでパソコン作業をする姿は、これまでのみくりとはまるで別人だ。いっぱいいっぱいになると考えがまとまらず、短絡的に0か100かで解決したくなってくる。そして、みくりは平匡に「(結婚生活を)やめるなら……今です」と言い放ち、バスルームのトビラをピシャリと閉めるのだった。その姿は、いつかの平匡が「プロの独身」として自分の部屋にこもってしまうそれと同じようだった。


■相手の心のトビラを開けるなら、ノックから
 固く閉じられていた心のシャッターを開けるのは、歩み寄りでしかない。平匡はみくりがしてくれた、何度も見捨てずに、ステップを踏んで、距離を縮めてくれた、これまでの日々を思い出していた。みくりが閉じこもっているバスルームのドアをやさしくノックして、「話してもいいですか?」と、ドア越しに語りかける平匡。決して無理に踏み込んだり、「開けろ」と強要したりはせず、相手のタイミングを待つこと。プロポーズの失敗、そして自分の経験を踏まえて、ありのままのみくりを包み込む平匡に、成長を感じずにはいられなかった。


 人には、それぞれ心理的にも物理的にも、パーソナルスペースを持っている。これ以上近づかれたら不快だという空間には、どんなに親しい関係の人間であっても、土足で踏み込む権利はない。相手が余裕のないときならば、なおさらだ。その個人的な空間を乱さないこと、近づくためには慎重にノックをして、相手の状況を汲み取ること。相手が招き入れる準備ができていないのであれば、その距離から語りかける配慮が必要であること。それは、一度気持ちが通じ合った相手でも同じである。「親しき仲にも礼儀あり」とは、よくいったもので、むしろ信頼している相手にこそ心のノックをする大切さを、再認識させられた。


■ジェネレーションギャップは、視野を広げるチャンス
 アラフィフで仕事に生きてきた百合(石田ゆり子)と、風見(大谷亮平)の17歳差の恋にも注目が集まっていた。出会ったころ、風見のことを「イケメンは好きじゃない」と言い放っていた百合。一つもコンプレックスがないように振る舞う風見を、いけ好かないとして「風見鶏」と揶揄したこともあった。だが、2人は少しずつ本音を話し、徐々に惹かれ合っていく。百合が「風見くん」と呼び方が変わっていったのも、その気持の変化を表しているようだった。


 だが、年の差を考えて、風見と向き合う勇気が持てない百合。だが、そのキッカケをくれたのは、20代のポジティブモンスターこと五十嵐(内田理央)だった。「50(歳)にもなって若い男に色目を使うなんて、虚しくありませんか? アンチエイジングにお金を出す女はいるけど、老いをすすんで買う女はいない」と、大胆な宣戦布告。若さは無知ゆえに無敵な一面がある。だが一方で、頑なになってしまった大人を開放してくれるのも、若さによる勢いだったりもする。どちらがいい悪いではなく、お互いが違う世代であることを受け入れて、刺激を受け合って、視野を広げていけるのではないだろうか。


 このときの百合の大人な対応は理想的だった。「私が虚しさを感じるとすれば、あなた同じように(若さに価値を)感じている女性がこの国にはたくさんいるということ。あなたが価値がないと切り捨てたものは、あなたの未来。馬鹿にしていたものに自分がなる。それって辛いんじゃないかな」と言葉を選んで自分の考えを伝えていく。そして「自分に呪いをかけないで。そんな恐ろしい呪いからは、さっさと逃げてしまいなさい」と。カッとなって感情のままに言葉を投げつけたり、頭ごなしに否定するのではなく、「あなたは、そういう考えがなのね。私はこう思うけど、どうかしら?」と、言葉を選んでいく余裕があった。五十嵐もまた、百合との出会いによって、これから言葉を選ぶ大人の魅力が備わっていくかもしれない。


■厳しい風当たりよりも、気持ちに素直に
 五十嵐のショック療法もあり、誰よりも年齢という呪縛にしばられていたということに気づいた百合。風見は、楽しいときも、弱っているときも、一緒にいて安心できた存在。無理に合わせるのではなく、率直に意見を交わすことができた。そして味方となって、視野を広げてくれた。そんな大事な人を、年齢の差や周囲からの風当たりを気にして手放すことは、果たして自分の幸せなのだろうか。


 ようやく、素直になる勇気を持てた百合は、みくりが企画したイベント会場で、風見と再会。想いを伝え合った2人は、初々しい恋人同士に。友だちがそれぞれを連れ出して2人きりにするところや、「好きです」「私も」という初々しい告白、そしておでこにキス。その一連のやりとりが、まるで初恋のような甘酸っぱさ。それも深い恋愛経験のない百合に無理なく風見が歩調を合わせているあらわれ。互いの違いを愛しいと思えること。つき合うというのは、こういうことなのだろう。そして、この先も一番の味方でありたいという、信頼関係の確認だ。


 人として誰かに必要とされたい。それが、みくりという姪っ子や、沼田(古田新太)のような友達、信頼してくれる部下たちでも、十分に満たされていたと百合は思っていただろう。だが、一歩踏み出してみたら、心の奥底から満たされる愛が待っていた。「幸せな50歳を見せてくれた」と、視聴者に大きな勇気を与えてくれたのではないだろうか。


■小さな痛みをもたらす呪縛なら、逃げるは恥だが役に立つ
 このドラマの出演者は、みんな何かしらの呪縛にとらわれていた。みくりの「小賢しい女」であるからうまくいかないという考えも、30代にして女性との恋愛経験がない平匡の「プロの独身」発言も、もうすぐ50歳となる百合も年齢にこだわっていたし、ハイスペックイケメンゆえに打算的な恋ばかり繰り返してきた風見もそう。また、ゲイの沼田も外見に自信を持てずに恋心を寄せる相手と対面できずにいたし、百合の部下の梅原(成田凌)はネット上の出会いで距離を縮める勇気が持てず、もう一人の部下の堀内(山賀琴子)は語学力の期待に答えられないコンプレックスから帰国子女であることをカミングアウトできずにいた。


 最終回は、その呪縛の紐がスルスルと解かれていくような感覚だった。「普通ではない」自分に素直になったら、がっかりされて傷つくのではないか。誰も理解してくれないのではないかと、心のシャッターを閉じがちになる。「普通」に違和感がないときは、それでいい。だが、目に見えない「普通」の枠に収まろうとして、生きにくくなっていては本末転倒。


 「普通」は、ひとつのやり方だ。あくまで、ひとつの目安でしかない。そのやり方がうまくいかないのであれば、その呪縛からは逃げてもいいのだ。もしかしたら、そのしがらみが自分の余裕をなくしてしまっているかもしれないからだ。余裕を持って生きることができれば、自分も相手も尊重しながら、意見をすり合わせていくプロセスも、めんどくささを感じつつも、きっと楽しいに違いない。このドラマ『逃げ恥』を見た人と、意見を交わし合った日々が、楽しかったように。


■今を生きる私たちの「普通」とは?
 そもそも「普通」とは時代と共に変化していく。たとえば、平安時代には通い婚が「普通」だった。ゲイであることも戦国時代には「普通」に聞く話で、江戸時代まで大奥なんていうシステムも「普通」にあった。寿退社が「普通」だった時代もある。「普通」は、その時代に生きる人たちが、自分で創っていくものなのではないだろうか。大切なのは、丁寧なコミュニケーションだった。ノックから始めて、相手のことをじっくりと知っていくこと。お互いの価値観をすり合わせていけば、自ずと適材適所が見えてくる。そこで、得意不得意を考慮しながら、役割を分担し、みんなが今を幸せに生きる共同責任者という感覚を持てないだろうか。


 夫だから、妻だから、男だから、女だから、雇用主だから、従業員だから、何歳だから……と、「普通」という一つの見方に縛られず、また「やってくれて当然」の押し付けをせず、お互いの個性を尊重して適性な距離感を見つけること。敬意と感謝を持って、共に生きていくこと。そうして、多様な価値観を認め合えることが、今の「普通」になってほしいと願ってやまない。


 最後に、こんな楽しい3ヶ月間をくれた『逃げ恥』には、感謝でいっぱいだ。日野(藤井隆)の妻役で本物の奥さん(乙葉)が登場するサプライズや、伏線が一気に回収されていくスピード感、みくりがフリップに書くマジックが『ガッキー』というメーカー名になっていたりと細かなところまで『逃げ恥』ワールドを作り出してくれた、全ての方々に拍手を送りたい。火曜ドラマ『逃げ恥』が終わったが、私たちはたくさんのヒントをもらった。次は私たちが幸せを模索する番だ、さあ「火曜日から始めよう」。(佐藤結衣)