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ぼくのりりっくのぼうよみが見せた、シンガーとしての可能性  初ワンマン詳細レポート

2016年12月20日 20:02  リアルサウンド

リアルサウンド

写真=平田 浩基

・渋谷に刻まれた新時代の胎動


「前で見たい方はこちらの方までどうぞ」。開演直前、そんな係員の声が響く。人ごみをかき分けてでも、少しでも近くで今日の主役を見たい。そんな熱気がこの日の会場には溢れていた。


 昨年末にアルバム『hollow world』をリリースし、次代を担う才能として一躍注目を浴びることとなったぼくのりりっくのぼうよみ(以下ぼくりり)。デビューから約1年経った12月11日、初めてのワンマンライブ『ぼくのりりっくのぼうよみワンマンライブ Hello,world!』が渋谷CLUB QUATTROにて行われた。


 チケットは前売券でソールドアウト。立錐の余地もなく会場を埋めたオーディエンスの前に登場したぼくりりは、「sub/objective」「パッチワーク」というメロウな中にもポップなムードを持つ楽曲でライブをスタートさせる。そんな比較的ゆったりとした幕開けから、短いMCを挟んで3曲目に披露されたのは「CITI」。アッパーなトラックと『hollow world』収録時の音源よりも迫力のあるボーカルが、このライブ最初のピークを作り出す。


 「CITI」に続いて歌われたのが、今年の7月にリリースされたEP『ディストピア』に収録されているバラード「noiseful world」。情報に埋もれた人々が徐々に感覚を失い、最終的には<幸せの意味もよくわからないけど ぼくらはきっと幸せだ>というすべての思考を放棄した境地に辿り着く、美しくも恐ろしいこの曲。「CITI」がインターネットで跋扈する「ネトウヨ」の姿を描いた曲であることを考えると、「CITI」「noiseful world」という流れからは「人間性を失ったネトウヨの末路」とでも言うべきストーリーを読み取ることもできる。ぼくりりが歌う言葉は抽象的で様々な解釈ができるものが多いが、ライブ前半のパートでは既発曲を並べ替えることで『hollow world』『ディストピア』で描いた世界とは異なる物語を紡ぎ直すかのようなチャレンジが垣間見えた。


 ライブの中盤以降では、来年の1月25日にリリースされるアルバム『Noah’s Ark』に収録される新曲も多数パフォーマンスされた。ストレートなR&Bサウンドと言葉を詰め過ぎない歌の相性が良い「shadow」、世の中の空気を拒絶するですます調の歌詞がインパクト大の「在り処」、今までになく明るいラテンテイストの「after that」。どの曲も『hollow world』時にはなかった引き出しであり、『Noah’s Ark』でぼくりりが飛躍的な進化を遂げていることを期待させる出来ばえだった。


 様々なタイプの楽曲を披露するぼくりりに対して、この日のオーディエンスは「手を上げる」「手拍子をする」というよりは「随所に歓声を上げながらも、固唾を飲んで見守る」という趣の反応を返すことが多かった。熱気はあるけどそれが必ずしも身体的なリアクションにつながらない、というような雰囲気はこれまで彼が出演したイベント『CONNECTONE NIGHT Vol.1』や『VIVA LA ROCK 2016』の空気とはかなり異なるものだったように思える。参加者の平均年齢が比較的低そうだったことを考えると、もしかしたら初めてライブに来たというような層もそれなりに含まれていたのかもしれない。若いスターによって音楽の世界を知った若いオーディエンスがこれからどんなふうに音楽を楽しんでいくことになるのか、とても興味深いところである。


・歌い手としての幅を示したカバー曲


この日のライブでは全部で19曲の楽曲が披露されたが、そこには自身の曲ではないカバー曲も含まれている。前述の「noiseful world」も手掛けた作曲家でもあるにおのオリジナル曲3曲(におをステージに迎えて「余所事」「かつてのカリスマ」「rain stops, good-bye」が演奏された)、ぼくりりのルーツでもあるJamiroquaiの「Virtual Insanity」とEGO-WRAPPIN'の「a love song」、そして何かと比較されることも多い宇多田ヒカルの「First Love」の計6曲である。


 今回のライブの面白かった点として挙げられるのが、これらのカバー曲が彼のまだ見せていない魅力をプレゼンするものとして機能していたところである。たとえば「かつてのカリスマ」ではストレートな8ビートの楽曲が意外とぼくりりとも親和性があることを証明していたし、「rain stops, good-bye」のシンプルな情景描写に徹した歌詞を切々と歌うぼくりりの姿には「こういう感じで歌詞に技巧を凝らさなくても成立するのでは?」とすら思ってしまうような説得力があった(アイドル的なものを期待している一部のファンにとってはこっちの方向性の方がもしかしたら受けが良いのかもしれない、などと本気で思った)。また、「Virtual Insanity」では、全編英語の歌をスムーズに乗りこなして楽曲のグルーヴをうまく表現していた。「ラッパーでもありシンガーでもある」とでも言うような立ち位置であるがゆえに意外と見えづらかった「歌い手としての懐の深さ」が、それぞれのカバー曲のパフォーマンスを通じて示されていた。


 カバー曲の披露がうまくはまったのは、ぼくりりのアーティストとしてのあり方に関わる部分も大きいのかもしれない。ぼくりりの作品にはしっかりした世界観があり、それはもちろん彼自身の意思によって形作られているわけだが、その一方で楽曲作りについてはトラックメーカーとの二人三脚というプロセスをとっており、いわば「他者の視点が介在する状態での創作スタイル」が基本となっている。自分の表現したい世界を持っている、しかし周囲との相互作用も大事にするというバランス感覚のある彼にとって、「他人が作った楽曲に歌だけで参加するコラボレーション」とでも言うべきカバー曲のパフォーマンスは彼にとって心地の良いものだったのではないかと思う。


 今回のカバー企画は「ファーストワンマンだからこその曲数の補充」的な意味合いもゼロではなかったと思われるが、結果的にこの取り組みはそういった思惑を超えてぼくりりのアーティスト性を踏まえたうえで彼の潜在的な強みにスポットライトを当てる素晴らしい企画となった。今後オリジナル曲が増えていく過程でカバー曲に取り組む必要性は低下してしまうかもしれないが、今回だけにとどまらずこれからも同様のトライを続けてほしい。


・「ライブアクト」としてはこれから


 今回のライブで、ぼくりりは自身の楽曲の独自性とシンガーとしてのポテンシャルの大きさを十分に見せつけた。一方で、デビューから1年での初ワンマンライブ、しかもまだ18歳ということからもわかるようにライブアクトとしての場数はまだまだ少なく、それゆえにステージ上での立ち振る舞いには「伸びしろ」が感じられる部分が多々あったのも事実である。たとえばライブ終盤では少し息切れしているような感じもあり、フルセットのライブを一人でこなす(大勢のバンドをバックに揃えているわけではないので自身にかかる負荷は自然と大きくなる)ためには今後フィジカル面での強化が必須となってくるはずである。また、ライブのクライマックスだった「Sunrise(re-build)」における「曲入りを繰り返し間違えて歌えなくなってしまい最終的にはオーディエンスにヘルプを頼む」という展開は、ファンの温かさに助けられて「ライブらしいハプニング」っぽくなってはいたものの、本来的にはプロとしてやってはいけないレベルのミスだと思う。さらに、楽曲が表現するシリアスなメッセージとMCでの脱力した佇まいのギャップに関しても、今後取り扱うテーマの深さや重さが増していく中で早いうちに整理する必要があるのではないかと感じる(このあたりに関しては「飄々としている」という形で好意的にとらえる向きもあると思うが、個人的には楽曲が放っているディープな空気が曲間のMCによってスポイルされてしまっている印象を受けた)。


 この日のライブでは来年3月から全国ツアーが始まること、そしてツアーファイナルは今回の会場よりも大きな赤坂BLITZで実施されることが発表された。1か月弱の間に計8カ所を回るこのツアーは、ぼくりりの地方のファンへのお披露目であるのと同時に彼にとっての「ライブアクトとしての武者修行」という役割も果たすはずである。彼がユニークな感性を持った稀有な表現者であることは紛れもない事実であり、今時点で存分に表現されているしなやかなキャラクターにステージへ立つことに対する「覚悟」が加わった時、シーンの歴史が一つ塗り替えられることになるかもしれない。来年リリースの『Noah’s Ark』、そして全国ツアーを経てそんな瞬間に立ち会えることを楽しみにしたい。(文=レジー)