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なぜ小松菜奈は映画に必要とされるのか? “二段階”を生きる『ぼく明日』『溺れるナイフ』の演技

2016年12月19日 06:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2016「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」製作委員会

 今年、実に5本もの出演映画が公開される小松菜奈。その締めくくりとなる『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』は、なぜ彼女が日本映画(のみならず、1月公開のマーティン・スコセッシ監督によるアメリカ映画『沈黙ーサイレンスー』にも出演しているが)に必要とされているかが明瞭にわかる一作だ。


参考:『この世界の片隅に』のんに今年の最優秀主演女優賞を! 演技を支える「こころの遠近法」


 結論から言おう。小松は女優として、役の<二段階>を生きている。よく、魅惑的なヒロインは二重性あるいは二面性で語られることが多く、いわゆる魔性の女も表の顔と裏の顔の差異が強調される。また、二重性やら二面性こそが女という生きものの本質だと力説する御仁もいらっしゃる。だが、小松が演じつづけている女性たちは、そのほとんどが<二段階>を生きている。これは、そのことに気づかせてくれる映画なのだ。


 タイトルに示されている通り、物語の視点は“ぼく”=男性にある。大学に通う電車で、“きみ”=彼女に一目惚れした“ぼく”は勇気を出して声をかけ、ナンパなどできるタイプではなかったのに、また逢う約束をとりつけることに成功する。初めてのデートで告白。やがて、手をつなぎ、下の名前で呼び合うようになる……おいおい、まるっきり、“ぼく”の妄想ではないか? とツッコミが入りそうな展開だが、どうやら未来を予知する能力があるらしい“きみ”に、なんでそんなこと知ってるの? と尋ねると涙ぐんでしまう。


 これ以上書くとネタバレに抵触するか、思いっきりドン引きされそうなので割愛するが、ここまで読んだあなたなら、これってセカイ系じゃないの? と思うかもしれない。その予測には、YESともNOとも答えられないのだが(逆に言えば、どちらでもある)、まあ、男性が女性に翻弄される、いわゆるファム・ファタルものの変奏曲=ヴァリエーションだと言えると思う(もちろん、男には多かれ少なかれ、無意識のなかに、女性に翻弄されたい願望があるわけだが)。


 “きみ”にはある秘密があって、その秘密は、容易には受け入れがたい(というより、消化しにくい)秘密なのだが、嘘はついてはいないが、この秘密をあるときまで意識的に隠していたという意味において、“きみ”は魔性の女ではある。問題は、まったくもって悪女ではないという点だろう(見る人によっては、新手のツンデレ、あるいは異種のメンヘラと捉えるかもしれない。そのように深読みできる余白がいくつもある)。


 相手を騙す自覚=積極性があるのが悪女だとすれば、保身のための隠匿=消極性で相手を惑わすのは悪女失格である。つまり、“きみ”は、悪女失格の魔性を抱えたヒロインであり、乱暴に言えば、始末に負えないタイプだ。だが、だからこそ面白いし、妙なリアリティさえある。


 長々と書いてしまったが、本題はここからだ。“きみ”には秘密があった。その秘密を彼女はあるとき明かす。そうして、彼女は次の段階に進む。


 前述したように、これは表の顔の先から裏の顔が見えてくるという展開ではない。彼女は豹変するわけではない。“きみ”の性格は以前のままだ。ただ、秘密を吐露したことによって、ふたりの関係は次の段階に進む。


 この映画は単純なラブストーリーではないが、次の段階に進むことは<推移>と言い換えることができるかもしれない。彼女は急転するわけではない。ただ<次の段階>に進む。本質的な変化があるわけではない。本性が立ち現れてくるわけではない。


 小松菜奈は、そうした<推移>を演じることに長けている女優だ。<推移>とは成長のことではない。次の段階に進むことだ。人生のある地点から、別な場所に移動することである。


 『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』最大の見どころは、“きみ”が秘密を告白したあと、この女優がどう映るかにある。そのとき、わたしたちは知るだろう。彼女は豹変したのではない。ただ<推移>しただけなのだと。


 小松の名を一躍有名にした『渇き。』は、美少女→性悪女=加害者→被害者という変遷を、ある種のフラッシュバックで見せる作品だったが、それは観客のヒロインの捉え方が、物語の道筋に従って変化しているだけの話で、キャラクター自体が豹変しているわけではなかった。


 また教師と女生徒の恋愛を描いた『近キョリ恋愛』のラストでは、現実的な時間の<推移>が描かれ、彼女は大人になっていた。『バクマン。』のヒロインはあるとき、向こう側の世界に行ってしまう。そして、今年公開された『黒崎くんの言いなりになんてならない』では中島健人と千葉雄大のあいだを行き来し、『ヒーローマニア ー生活ー』の女子高生はあるとき眼鏡を外し、『ディストラクション・ベイビーズ』では虐げられていた被害者から、相手を屈服させる加害者になり、『溺れるナイフ』では菅田将暉と重岡大毅のあいだで発芽する。設定だけを記せば、それは女の二重性あるいは二面性ではないか? と思われるところだが、小松が演じると、なぜか<二段階>に見えるという不思議。


 女優、小松菜奈、最大の魅力は女性がたどり着く<推移>のありようを、キャラクターの性格を一切スライドさせずに、そのまま平然と演じきるすがすがしさにある。<推移>は、もっとドラマティックに<メタモルフォーゼ>と表現してもよいかもしれない。彼女は脱皮する性としての女の像を、ごくごく当たり前に体現できる稀有な存在なのである。(相田冬二)