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デヴェンドラ・バンハート×never young beachが語り合う、自分だけの音の作り方「自分に正直であるかどうか」

2016年12月16日 20:01  リアルサウンド

リアルサウンド

デヴェンドラ・バンハート×never young beach(写真=松木宏祐)

 ニュー・アルバム『エイプ・イン・ピンク・マーブル』が好評のデヴェンドラ・バンハートと、今年2ndアルバム『fam fam』をリリースした東京拠点の5人組、never young beachから、安部勇磨(Vo、Gu)、巽啓伍(Ba)、鈴木健人(Dr)との対談をお届けする。両者の交流は今年6月、デヴェンドラが初のアート・ブック『I Left My Noodle On Ramen Street』の日本での発売を記念して来日した際に、京都で行ったライブのオープニング・アクトをnever young beachが務めたことがきっかけ。もともとデヴェンドラの大ファンだった彼らからの熱烈なラブ・コールで実現したその時の対バンライブは、世代を超えたリスナーが多数かけつけて大盛況、デヴェンドラもすっかりご満悦だった(末筆ながら、筆者はその時に幕間のDJを担当させていただいた)。


 両者に共通する点は音楽的側面も含めて少なくない。とりわけ、仲間たちとコミューンを形成するように活動し、ファンやリスナーにも寛容な開かれたムードは互いに認め合う魅力のようだ。まずは自分たちのアナログ・レコードやスウェットなどのグッズを手土産にやってきた3人に、デヴェンドラから再会の握手を求めるところから対談はスタートした。(岡村詩野)


「never young beachはテレヴィジョンがハワイで育った感じ」(デヴェンドラ・バンハート)


デヴェンドラ・バンハート(以下、デヴェンドラ):こんなことあまりないんだけど、ライブを見て君たちのことは本当にすぐ好きになったんだ。ステージで堂々と演奏しているんだけど、お客さんとちゃんと目線が同じだっていうのがいいなと思った。前に、何かのフェスに出た時、イギー・ポップが一緒だったんだけど、彼はただ攻撃的なパフォーマンスをするだけじゃないんだよ。ちゃんとお客さんに対する敬意を持って自分の方に引き入れて、一つになってから、一緒に攻撃する。そこが同じ様なことをやってるミュージシャンとは全然違う。君たちnever young beachにもそれと似た雰囲気を感じたんだ。僕らも踊るから、みんなも一緒に楽しもうよ、みたいなね。あと、楽曲に関しては、(バンドの)テレヴィジョンがハワイで育ったらこんな感じになるんじゃないかな?って思えるようなのがいいなって。すごくメロディが立ってて、フックがあって。


安部勇磨(以下、安部):嬉しいなあ!


鈴木健人(以下、鈴木):対バンさせてもらった時も、ライブが終わってから「テレヴィジョンとストロークスとビーチ・ボーイズが混ざり合ったようなバンドだ」って言ってくれて。全部そのへんが大好きだから嬉しかったですね。


安部:僕、高校生の終わりくらいに友達から教えてもらって。デヴェンドラ・バンハートっていいよって。それが『ホワット・ウィル・ウィー・ビー』(2009年)だったんです。もう、すごい衝撃で。「こんな音楽今まで聴いたことがない!」って。そこから、リトル・ジョイとか若いバンドからカエターノ・ヴェローゾみたいなルーツまでを知るようになったんですよ。いろいろ人脈を調べていったらマルセロ・カメーロのようなアーティストに出会ったり……とにかくデヴェンドラの音楽のおかげでいろんな音楽との広がりを知ることができたんです。


デヴェンドラ:そりゃあよかった! 僕も光栄だよ。僕は自分のライブもそうだし音楽もそうだけど、みんなのために、という意識でやってるんだ。僕も若い頃は、まあ、今もそうだけど、雑誌のインタビュー記事とかを読んで、いろいろ調べたりして学んでいったんだ。今度は僕の音楽を通じて、そうやって、音楽がつながっているというのがわかってくれてとても嬉しいよ。今はオススメを訊ねられたら「never young beach」って答えてるんだ(笑)。


安部:嬉しい! 僕らがどれほどデヴェンドラに影響を受けたかって、「夏がそうさせた」って僕らの曲の“テンテンテケテケ~”ってフレーズはデヴェンドラの「ベイビー」を聴いて思いついたくらい。あと、デヴェンドラ、ボイス・パーカッションみたいなのやったりしてるでしょう?


デヴェンドラ:うん、もともとスケボーやってて、そこからスカとかレゲエに興味を持ったりしたから、リズムに対しては結構自覚的なんだ。こういう音楽をやってるからそうは思われないんだけどね。


安部:そういうところも「すげえな!」って思うんですよ。


鈴木:メロディだけじゃなくてリズムも面白い。僕なんかドラマーだからそういうところもすごく勉強になりますね。


デヴェンドラ:君たちはそもそもどういう仲間が集まって結成されたの?


安部:そもそも僕が一人で宅録をやっていて。それを聴いたみんなが、Twitterとかを通じて連絡をとって来てくれた、みたいな(笑)。


デヴェンドラ:ワオ! その前にやってたバンドはないの?


安部:ちゃんとしたのはないですね。ほんと、最初は僕一人の宅録だったんで。


デヴェンドラ:他のバンド名の候補はなかったの? いや、すごくいいバンド名だなと思ってるんだよ!


安部:“ヤシの木フラミンゴ”って名前は候補にありました。でも、みんなに反対されて(笑)。


デヴェンドラ:海の近くで育ったの?


安部:全然! シティ、シティ(笑)。ただ、アメリカ西海岸のような雰囲気とかに憧れはすごくあって。あと、デヴェンドラのレコーディング風景の写真を見て、ああいう感じの活動とか雰囲気がいいなあってずっと思ってきたというのはあります。デヴェンドラがフェンダーの70年代のヴァイブロラックス・リバーブのアンプを使っているのを見て、僕もそれの60年代のヤツを買いました(笑)。


デヴェンドラ:ナイス!


安部:マイクの立て方とかもすごく参考にしたり。とにかく録音の雰囲気とか様子がすごく良さそうなのが羨ましくて。仲間とか友達が普通にいて一緒に音を出したりしているじゃないですか。実際、バンド・メンバーも仲良しみたいだし。


デヴェンドラ:さっき、僕のライブはみんなのライブでもあるんだよ、という話をしたよね? そういうアティテュードって僕の哲学でもあるんだけど、90年代後半くらいから00年代にかけてのサンフランシスコ周辺とかで僕らの世代のアーティストの間で共有されてきた感覚なんだ。例えば、ギャラリーで展示をする場合でも、自分の作品だけじゃなく友達の作品も並べたり、友達のミュージシャンにそこで演奏をしてもらったりしている。僕のライブでも、途中から友達がステージにあがってきたりもするし、その友達の曲を演奏したりもするよ。ノア(・ジョージソン)とかジョサイア(・スタインブリック)みたいな今の僕に欠かせない友達の曲を僕がカバーして歌ってみたりね。時にはお客さんがどんどんステージに上がって来たりもするんだ。


――『サマーソニック』での初来日公演は後半そんな感じでしたよね。オーディエンスがどんどんステージに上がって、みんなで踊ったりして。


デヴェンドラ:そうそう、あの時がまさにそんな感じだったね。ただ、お客さんをあげることは最近はしなくなったんだ。というのも、僕は以前、67年製のレスポールを使っていたんだけど、ある日、ステージにあがってきたお客さんがそれを落としちゃって。あと、すっごい汚い手でギターを触ったり弾いたりされちゃって。もちろん、僕が「カモン!」って言ってあげたわけだから僕が悪いんだけど、でも、そうやってステージでギターをダメにされても、みんなの前だから怒るわけにもいかないじゃない?(笑) ま、そのレスポールは今はちゃんと直して保管してあるけど、それ以来、なかなかそういうことはしなくなっちゃった。でも、人前で自分の曲を演奏したことがない人、まだ誰の前でも演奏したことのない曲を持っている人には僕のステージでプレイしてほしいなっていう気持ちは今でもあるんだよ。だって、ミュージシャンなんてさ、ステージの上ではせいぜいシールドとかコードの絡まりに気をつけて直したり、手をキレイにしていたりするくらいで、あとは曲を披露するだけじゃない?自分だけが特別だなんて思わずに、みんなで共有すればいいって思うんだ。


安部:すっごいよくわかる! でも、デヴェンドラはあのレスポール、最近弾かないな~って思ってた。


デヴェンドラ:やっぱり長く活動していると色々変化も出てくるものだよ。今は前みたいにダンスできるようなアッパーな曲はライブでもあまりやらないし作らなくなったしね。


「『エイプ・イン・ピンク・マーブル』の制作では考古学者になったような感覚だった」(デヴェンドラ・バンハート)


――主にライブでのあり方、曲調が変わってきたのはなぜなのでしょう?


デヴェンドラ:もちろん、チャレンジしたいから。やりがいを求めてのことなんだ。ただ盛り上がる曲だけじゃなくて、ちゃんと流れがある、静かにそのメロディを味わってもらえる曲も聴いてほしい。その中に、アッパーな踊れる曲があってもいいと思うけど……まあ、バランスだよね。ただ、僕はラッキーなことに、ノアやジョサイアといった友達が、僕のやろうとしていることをいつも理解してくれている。ノアに至っては本当につきあいが長くて……10代の頃からだから……もう20年くらい一緒にいるんだ。


鈴木:彼らとデヴェンドラの関係ってどういう感じなんですか?


デヴェンドラ:実はこれだけ長く一緒にいるのに、ノアと遊びでジャム・セッションしたことなんて数えるくらいしかない。ミュージシャンとしてのつきあい以前に、良き友達、仲間として理解し合えているってことなんだ。普段から気が合うから、そのままのノリで音も出し合える。君たちにはそういう関係の仲間っているの?


鈴木:う~ん、D.A.N.とかかなあ。


安部:うん、そうだね。僕らと同じ東京のバンドなんですけど、彼らとは15歳くらいの頃からの友達で、不思議な縁があって今は同じレーベルに所属していて。ただ、一番の友達はやっぱりメンバーかなあ。一緒にいて笑い合ったり正直になれたりバカできたりできる関係っていうか。


デヴェンドラ:それは素晴らしいね。互いに本音を言い合える関係じゃないと長く続かないし、だからこそいいものも作れる、いい雰囲気でライブもできる、成長もするし、変化もしていけると思うよ。


安部:そういう仲間との信頼関係があるからこそ、活動している中で歌詞も変化していくんですか? 僕、デヴェンドラの新しいアルバムの歌詞を見て、「ああ、こんなにわかりやすい、ラヴ・ソングとかを書く人でもあるんだな」ってちょっと驚いたんです。「デヴェンドラも恋をして失恋するんだな」って(笑)。


デヴェンドラ:(笑)。確かに初期の方が比喩やメタファーをよく使っていたね。あるものを表現する時に「まあ、こんな感じ」って言葉にしていたけど、今は具体的だったり、わかりやすい言い回しの方が新鮮だったりする。「これ!」ってズバリ言ってしまうようなね。「これはこれ」「あれはあれ」って感じで。ただ、一つ一つの表現はリアルだったりするんだけど、その前後の関係性とかでシュールに描いたりする。シュールっていっても、「時計が溶けている」みたいな抽象的な言い回しじゃなくて、もっとさりげない表現だね。そこをうまく使いながら、全体の物語を描いていく。今回の僕の新作はそこをすごく意識した作風の歌詞になっていると思うよ。


巽啓伍(以下、巽):確かにそれが織り混ざっている感じがします。


デヴェンドラ:だから、今までは「詩を音楽で表現」していたと思うんだ。でも今回は「詩的な歌詞で、ある場面を表現」するようにしている。そういえば、こないだ日本のラジオ番組に出た時にこんな歌を即興で披露したんだ。(メロディをつけて歌いながら)「エイゴデキマスカ~、カノジョニナテクダサイ~」。例えば、これが僕にとってのシュール。でも、すごく詩的ないい歌詞だと思うんだ。


巽:そういう歌詞をバンド編成の中で聴かせる時、何か気をつけている点ってありますか? 僕はベース・プレイヤーなので普段は歌詞まであまり気にしてはいないんですが、デヴェンドラはそうやって少しずつ変化している歌詞の在り方とかをメンバーに伝えたり、それに応じたフレーズを任せたりするんですか? それとも自分である程度フレーズまで決めるんですか?


デヴェンドラ:ベースに関してはベーシストに任せるようにはしているけど、でも曲によっては僕も含めた3人でそれぞれ考えたりしてるよ。で、誰が作ったフレーズがいいかを競うんだ。誰が勝ち取るかかけたりしてね(笑)。コンペみたいにさ。ギター・パートは自分がデモで作ったものをそのまま採用する。シンセに関しては、そういうわけで、バンド内コンペにすることが多いんだけど、だいたい僕は負けるね(笑)。ドラムはグレッグ(・ロゴーヴ)に任せてる。ストリングスはちゃんとアレンジができる人にお願いするようにしているよ。大事な部分だからね。


鈴木:僕はドラマーなんですけど、リズム……というよりグルーヴと歌詞の組み合わせで面白いと思えるものってどういう作品がありますか?


デヴェンドラ:日本だとボアダムスとASA-CHANG。ASA-CHANGはタブラ使いがとても個性的だね。インドの楽器なのに日本人的だ。あと、ウチのバンドのグレッグがやってるHoopsってバンドも面白いよ。彼はトニー・アレンがすごく好きなんだけど、やっぱりアメリカの今の彼の世代ならではの、彼独自のフィルターを通して新しいものにしている。影響っていうより、インスピレーションなんだよね。だから、実は僕の今回のアルバムでは日本の琴も使っているんだけど、ギターで一度書いたフレーズを琴に置き換えたらどうなるか?ってことを試してみたんだ。これは結構大変だったよ。まるで考古学者になったような感覚だった。というのも、ただ、古典的な民族楽器を使うってだけじゃなくて、それを実際に感覚的にも“古い音”で出したかったんだ。だから今回、ジャンクショップみたいなところに出向いて、昔の電話機とか留守電機器の中に入っている古い、サビがついたような単二の電池をとにかく探したよ。バッテリーの余力がほとんどない、いわば“死にかかってるような電池”を見つけたら「これ譲って!」ってね。で、そういう死にかけの電池を用いたシンセの音って、やっぱり充電たっぷりの新品と違う、なんとも心がしめつけられる音になるんだ。もちろん、あとからProToolsで調整はするんだけど、その感じを出すことに今回はすごく大きな意味を感じていたんだよ。


安部:面白い! でも、なんとなく気持ちわかる。


デヴェンドラ:ただ、そういう死にかけの電池でシンセを弾いても、大体は4回くらい弾いたらもう完全にダメになっちゃって音が出なくなるんだけどね(笑)。でも、そうやってでも朽ち果てるものの音を表現したかったんだ。そういう意味でも僕はアナログ・レコードが好きだよ。


巽:デヴェンドラは日本のアーティストも詳しいし好きですよね。浅川マキさんや細野晴臣さんのファンだって聞いています。


デヴェンドラ:そう、金延幸子の「マリアンヌ」のライブ音源をレコードで聴きたいんだ。手に入るかな?


――正規盤としては当時も今も出てないですね。CDでは聴けましたが(『時にまかせて~金延幸子レア・トラックス』)、それも今は入手困難です。


デヴェンドラ:残念……CDじゃイヤなんだよね。ま、常に僕の中でナンバー1なのが細野晴臣。彼のレコードならどんなものでも募集中だよ(笑)。彼はとにかくすごい。毎作品、常にどんな時でも新しいことをやってるし、同じことを繰り返さない。それをずーっと今の今まで続けているってすごいことじゃないか。


巽:細野さんのことをどういう経緯で知ったんですか?


デヴェンドラ:まず最初は坂本龍一を知ったんだけど、ヴェティヴァーのアンディ(・キャビック)に、それなら……ってことで勧められて聴いたんだ。で、そのあとに、はっぴいえんど、YMO……とにかく彼が関わっているものを全て聴いたよ。朝比奈マリア、シーナ&ザ・ロケッツ、最近のだと『メゾン・ド・ヒミコ』のサントラとかもね。聴いてみて、いいな~って思ったものは大抵がホソノの関わってるものなんだよ。色んなジャンルの要素をとりいれた末に、自分だけの音を作るってこと、僕はそこを常に心がけているんだけど、彼はとっくの昔からそういうことをやってのけているんだ。例えば、「ウォリー・ビーズ」って彼の曲があるんだけど(『はらいそ』収録)、あれなんかはレゲエ・スタイルの曲なんだよ。でも彼はレゲエ・ミュージシャンじゃない。ちゃんと彼の中でレゲエを消化させて自分のモノにして、全く新しい曲として作り上げたんだ。おまけに歌詞には仏教用語のようなものも使われている。すごい曲だよ本当に。君たちは細野晴臣って聴く?


安部:大好きですよ! 特に“トロピカル三部作”はずっと聴いてます。『泰安洋行』が最初の1枚でした。


デヴェンドラ:ああ、『Bon Voyage Co.』ね!


巽:そういうレコードはどうやって手に入れてるんですか?


デヴェンドラ:うまくコミュニティを生かしてゲットしてるよ(笑)。あと、日本にくると時間を見つけてはレコード・ショップに行くようにしてる。散財して大変だけど(笑)。3枚買ったら1カ月の家賃分だったりしてさ!


「日本人としてできることを日本人の目線でやるしかない」(安部勇磨)


――日本の音楽に共通する感覚をどこに嗅ぎとることができますか?


デヴェンドラ:西洋の音楽の影響はもちろん受けてるよね。細野晴臣だってそうだよ。でも、それこそカンジ(漢字)のように、キッチリ、しっかりしている印象なんだ。ノグチ・イサムの彫刻のように整っているっていうか。たぶん……これは僕の私感だけど、日本発祥のものじゃなくて、他の国から取り入れた要素や文化でも、日本人はとことんつきつめてパーフェクトなものにする傾向があると思うんだ。でも、そのプロセスで何かがきっと失われるわけだよね。もしかしたら、そうやって失われたものに対する意識とか働きかけがどこかにあるから、ただパーフェクトなだけではないものになるんじゃないか?って気がするよ。ものごとが完璧かどうかは主観でしかないよね。だから、最終的に行き着くところ、あるものがあるべき姿でそこにある、ということを受け入れるしかない。そういうことを日本人はわかっているんじゃないかな。それが日本の音楽にも表れているという気がするな。


安部:日本人には日本人のルーツがあって、いくらアメリカの音楽が好きで、そのルーツをとりいれようとしても、どうしたって難しいところがあると思うんです。となると、日本人としてできることを日本人の目線でやるしかないし、その方が結局は日本以外の人たちにも伝わると思っているんです。だから僕は日本語で歌いたいし、英語で歌っている日本人アーティストでもいいものはあると思うんですけど、やっぱり日本語で歌った方が伝わるんじゃないかなって。


デヴェンドラ:英語で歌っている日本人アーティストの曲も知ってるし、英語と日本語が混じってるのでも好きな曲があるよ。それはそれですごくクールだ。それこそ他国のカルチャーの影響をうまくフィルタリングしてとりいれてるって感じるからね。それが結果として新しいものになっていくなら、僕はそれでも面白いと感じるよ。それより、そのまま真似っこみたいにしているのが一番つまらない。たとえ日本語で歌っていても、昔の日本の音楽をそのまま真似しただけのものだったらやっぱり面白く感じないと思う。しっかり消化して自分のものにして発信さえしていれば、ね。ホンモノであるかどうかより、自分に正直であるかどうか。そこが分かれ目じゃないかな。もちろん、日本語で歌っている音楽でも歌詞にすごく興味を持てるものもある。細野さんもそうだし、さかな(ポコペンと西脇一弘によるユニット)とかも大好きだ。彼らの歌詞はすごく抽象的でぶっとんでいるんだけど、そこがすごく面白い。日本人の友人に、さかなの歌詞について聞いたんだけど、説明に4時間くらいかかっちゃった(笑)。


安部:なるほどね。確かにそうだなあ。じゃあ、僕らの歌を聴いて、歌詞に興味を持ってくれたりしますか?(笑)


デヴェンドラ:うん。だって、君たちの音楽をLAで車走らせながら聴いたりしてるんだけど、何歌ってるんだろう?って気になって日本人の友人に訊ねたこともあるよ。どんなこと歌ってるの? 曲によって違う? それとも全体を通して何かテーマがあるのかな?


安部:1stアルバム(『YASHINOKI HOUSE』)は、まだ作るのが楽しくて楽しくて仕方ない時だったから、「天気がいいだけで気持ちいいね!」「髪が伸びてきたからカットしよう!」とかって感じの歌詞が多いですね。というのも、日本の音楽の多くは重かったり暗かったりして、そういう音楽は嫌いじゃないけど聴いていて疲れたりするんですよ。僕、実はもう両親共に亡くなっているんですけど、今はバンド・メンバーが家族みたいな感じになっていて、セカンドではそういう新しい家族とも言える今のこのメンバーとツアーに出たり、たくさんライブをやったりしているハッピーで充実した気持ちを歌にしています。


デヴェンドラ:なるほどね。歌詞の英訳ってない?


安部:今はないけど……送る!(笑)


デヴェンドラ:ハイ、アリガト。やっぱりいいなと思えるものは理解したいと思うんだ。もちろん、映画や文学もそうだけど、内容を説明されても理解するのが結構大変だったりはする。僕は日本の映画も好きで、例えば仲代達矢が出ている『切腹』とか、『子連れ狼』とか『服部半蔵』とか、あと北野武の『座頭市』とか勝新太郎の作品も大好きなんだけど……まあ、アメリカでいえばフランク・シナトラの世界みたいなものかもしれないけど……その世界を理解するのはやっぱりなかなか容易いことじゃない。でも、それらの作品はモノマネじゃない日本の文化としての良さがある。僕はそういう日本映画を字幕なしで観るんだ。もちろん、日本語がわからないから理解できない。そうやって観続けることで日本語がわかるようになるかもしれないし、ひいては、その真髄や文化に触れることができるかもしれない。そう思って観ているんだ。君たち、見てないならぜひ観た方がいいよ(笑)。あと、アメリカにツアーで来るといいよ。


安部:いやあ、行きたいんですけどねえ……どうやったら実現するんですかね(笑)。


デヴェンドラ:なんとか僕もかけあってみようか?


安部:ホントですか! ホントにホントですか! それを励みに頑張りますよ!


デヴェンドラ:あまり期待されても困るけどね(笑)。
(取材・文=岡村詩野)