社会人は日頃から印鑑を持ち歩くのが常識なのだろうか? 12月2日、はてな匿名ダイアリーにこんな投稿があった。投稿者は、会社で急きょ印鑑を押すよう求められたが、ふだん持ち歩いていなかったため「明日持ってきます」と答えたところ、
「社会人なのに持ち歩かないなんてあるの?」
と言われたという。印鑑を押すなど思い出しても年末調整の書類提出ぐらい。失くしては困るし家に置いてあるのだが、「そんなに変かな?」と頭をひねっていた。(文:okei)
「印鑑」というか「認印」のこと?
これに対して300以上のブックマークが付き、多くの社会人たちがコメントしている。多かったのは、常識というほどではないし、「印鑑」と「認印」は違うという意見だ。
「シャチハタレベルなら常備してるけどちゃんとした印鑑を持ち歩かせるのはおかしい」
「安いハンコ買って会社に置いとく的な知恵は有るかも。でも『社会人は常に持ち歩け』はさすがに時代遅れですね」
「見ました」という確認によく使う認め印として、三文判やシャチハタを会社に常備しているという人は多かった。筆者がかつて勤めた会社でも総務に全社員の三文判が保管されていて、なんだかな、と思った記憶がある。
現場に散っている社員にいちいちハンコ持って来いと言わずに書類作成できて、ある意味合理的ではあった。しかしハンコってなんだろう…って話ではある。
一方、「印鑑」となると正確な意味はハンコを押したときの印影のことを指し、「重要な書類に使うもので、自宅で保管するのがふつう」という認識のコメントが大多数だった。投稿者の会社の人は、簡単な署名がわりの認め印を「持っていて当たり前」と言ったのかもしれない。
しかし今どきそういう認め印は電子決済やサインに変わってきているというコメントも多く、こんな指摘もあった。
「いまどき決裁にハンコ押すのはダメな会社。いくらでも嘘の書類が作れる。 私が昔いた官庁ではサインを使っていたし、今は電子決裁になっているはず」
「日本の不景気は印鑑のせい」という人も
ハンコにこだわる会社は時代遅れということだろうか。ちなみに、ホリエモンこと堀江貴文氏は、自著「99%の会社は要らない」(KKベストセラーズ)の中で、ハンコ文化にこだわる日本企業のエピソードに触れている。
アメリカの大手企業では浸透しているオンライン上の取引システムが、日本では「社名ロゴの横に社印が捺印されていない」という理由で導入が進まない。ところが、「ロゴの横に社印の画像データを組み合わせては」と提案すると、「手のひらを返したかのように『問題ない』ということになった」という。
「"ハンコが押してある"ということが大事だから『それでいい』というのだ。ハンコといっても、それは捺印ではなくただの画像なのに」
と、呆れた口調で綴っていた。古い体質に縛られて新しいことができない"日本の会社がダメなところ"への指摘だった。
コメントの中には「書類への印鑑文化がなくなれば、日本はあと3倍捗る。むしろ日本の不景気は印鑑のせい」という極端な意見もあり、ハンコ文化で不景気とまでは思わないが、なんとなく頷けてしまった。