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コトリンゴが手がけた『この世界の片隅に』劇伴の特徴は? 映像音楽の専門家が紐解く

2016年12月14日 13:11  リアルサウンド

リアルサウンド

コトリンゴ『劇場アニメ「この世界の片隅に」オリジナルサウンドトラック』

 現在公開中のアニメーション映画『この世界の片隅に』は、広島県を舞台に少女の生活と戦争を描いた話題作だ。


(関連:伊藤真澄&ミト&松井洋平によるユニット・TO-MASが考える、“チームで音楽を作ること”の利点


 映像本編における見所の多さはもちろんだが、その劇伴も音楽的完成度が高く、映像と劇伴との兼ね合いといった視点からみても非常に工夫されている。今回は、その劇伴について、キーポイントと思われる箇所をピックアップしながら考察していきたい。


■声の要素が効果的に使用された劇伴


 同作の音楽を担当したのが、シンガーソングライターであるコトリンゴということからも、ボーカルが入った楽曲に少し触れておきたい。


 サントラ盤収録楽曲のうち「歌もの」として認識できる楽曲として挙げられるのは、サントラ盤 トラック2「悲しくてやりきれない」、トラック8「隣組」、トラック30「みぎてのうた」、トラック31「たんぽぽ」の4曲である。どの楽曲もアレンジの際のシンプルさを伴っているため、主張し過ぎず、一種の劇伴のような役割も担っている。


 そして注目すべきは、いわゆる歌ものではない他の劇伴の一部にコトリンゴ自身のボイスが挿入されているという点である。サントラ盤 トラック12「ごはんの支度」では、スキャットでボイスパーカッション的なフレーズを加えている。楽しげな雰囲気と、シンガーソングライターである作曲者自身による「声を使用した大人の遊び心」が感じ取れた。


■アニメーション作品にしては劇伴の使用が少ない


 また、同作では、後半部分まで劇伴の使用時間が少ない傾向にある。


 アニメーションでは、映像表現の面からも、一般的に多くの音楽や効果音が必要となるケースが多いが、(参考、筆者執筆記事:アニメーションの劇伴にはどんな特徴がある?)同作で上記のような傾向がみられる理由としては、主に以下の2点が挙げられるだろう。


1.シーンの移り変わりが非常に多いため、一曲を長く使用しにくい
2.「時間帯を感じさせる音声」「時代を感じさせる音声」などが聴覚的に補佐しているため


 同作では、シーンの移り変わりがかなり頻繁に行われている。様々な場面が秒単位で切り替わりながら映し出される箇所が多く、日付の変化をテロップで何度も表示するなど、時間をまたいだシーンの移り変わりも多く表現されている。こういった幾つもの場面を大きく捉え、一曲の劇伴を付加するといった方法も可能ではあるが、「メリハリを表現する」「劇伴が不用意にシーンを跨ぐことによる時間経過の誤認識を防ぐ」という観点から考えて、一曲を長く使用することを避けたのではないかと考えられる。


 また、音声面の視野を広げてみると、「時間帯を感じさせる音声」「時代を感じさせる音声」が非常に多く使用されているのも同作の特徴だ。


 実際に劇中で使用された時間帯を感じさせる音声とは、「ニワトリの鳴き声(朝を想起)」、「セミの鳴き声(主に夏の昼を想起)」、「鈴虫の鳴き声(主に夏の夜を想起)」などであり、また、実際に使用された時代を感じさせる音声は、「鉛筆を刃物を使って手作業で削る音」、「振り子時計の音」、「レコードの音」、「ラジオから出るJOFKの雑音」など、多数が確認できる。これらの音声は、それぞれ「具体的なイメージを想起させる」という点でも非常に印象的なサウンドであり、こういった音声が多く使用されていることによる「聴覚的な補佐」も、音楽の使用箇所の少なさに繋がっていると考えられる。


 ちなみに、実際に使用された曲数を数えてみたり、同アニメーション映画のサウンドトラック盤『劇場アニメ「この世界の片隅に」オリジナルサウンドトラック』(以下、「サントラ盤」で統一する)を参照してみると確認できるのだが、本編で使用された「楽曲数」自体は一般的なアニメーション映画と比べて少ないわけではない。しかし、曲尺が短い楽曲が多いということと、長い時間劇伴を入れない箇所や数曲まとめて使用する箇所との対比がはっきりしているために、聴感上、全体的な劇伴の使用が少なく感じる。


■コトリンゴが多用したピアノの音色


 本作の劇伴では、アコースティック・ピアノ(以下、「ピアノ」で統一する)の音色を用いた劇伴が非常に多い。


 その主な使用例は以下の3点である。
1、ピアノソロ楽曲
2、ピアノと他のアコースティック楽器とのアンサンブル
3、メインは他の楽器が担当する中で、アクセントとしてのスパイス効果


 1940年代が物語のメインピリオドであるが、こういった一時代前をテーマにした映像作品の劇伴にピアノの音色を「多用した」という部分に筆者は注目した。


 ピアノの音色はその澄んだサウンドもあり「新しく」聴こえてしまう可能性が高いといった理由から、本作のような一世代前が舞台になっている映像作品や、更に以前の時代をテーマにした時代劇などの劇伴では、比較的使用が避けられてきたという背景がある。特に上記3の用法の時に、映像の中で「新しく」聴こえてしまう傾向が強いと映像関係者も話す。


 しかし、本作の劇伴の楽器編成は西洋音楽で古くから使われてきた弦楽器や木管楽器などによるものが中心であるし、和声進行などの構造の面などからみても古典的なスタイルで書かれた劇伴が多いといった理由もあり、ピアノの音色を大胆に使用しても映像とのバランスに関して違和感なく響いている。


 現在は、コンピュータベースの音楽制作が主流になっていることもあり、そういったテクノロジーの進化の面に焦点を当て、これまでとは違った劇伴の一面が語られることが多いが、上記のように長い歴史がある楽器の音色を、映像に対して効果的に使用することでも、ある意味規格外といえる劇伴は生まれるはずだ。


 劇伴は本来、音楽単体で聴くためのものではない。しかし本作の劇伴は今回記述してきたように、声を効果的に取り入れた劇伴や、ピアノの音色を効果的に取り入れた劇伴など、音楽単体で聴いても非常に楽しめるものとなっている。


 劇伴は本来、音楽単体で聴くためのものではない。しかし本作の劇伴は今回記述してきたように、主人公の視点から描かれたピュアで心温まる劇伴や、声を効果的に取り入れた劇伴など、音楽単体で聴いても非常に楽しめるものとなっている。その点も意識したうえで今作を観る・聴くと、新たな発見があるだろう。(高野裕也)