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松江哲明の『狂い咲きサンダーロード』評:画質とともに志もクリアに見えたデジタル・リマスター

2016年12月12日 10:32  リアルサウンド

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■『狂い咲きサンダーロード』との出会い


 『狂い咲きサンダーロード』(80年)は、石井聰亙監督(現:石井岳龍監督)が当時22歳、日本大学藝術学部映画学科在学中に撮った伝説的な作品です。この度、紛失されていたオリジナル・ネガが発見されたことから、クラウドファンディングによる公募でデジタル・リマスターでの完全復活プロジェクトが行われ、Blu-ray化と再上演が決まったわけですが、もしまだ観ていない読者の方がいたら、この機会にとにもかくにも観てください。


参考:松江哲明の『ヒッチコック/トリュフォー』評:ヒッチコック映画の魅力伝える“友情物語”


 さて、本作についてはすでに多くの方が熱烈に語り尽くしているので、僕の個人的な出会いから。僕がまだ高校生だった92年頃、WOWOWで「J・MOVIE・WARS」というシリーズが始まりました。毎月一人の気鋭の日本人監督が10分ほどの短編を4本、計約40分弱の映画を作っていくもので、当時WOWOWの社員だった仙頭武則さんがプロデュースした企画です。WOWOWは映画をノーカット放送するから、たとえば2時間10分の作品のために2時間30分の枠を取ったりしていて、中途半端な空き時間があって。その時間を活用して放送されたのが「J・MOVIE・WARS」で、第一回目が石井監督でした。このシリーズで放送された崔洋一監督の『月はどっちに出ている』(93年)は、放送後に長編映画化しましたし、青山真治監督も『Helpless』(96年)で劇場映画デビューを果たすなど、その後に日本映画界で活躍する監督を輩出したシリーズでもあったんです。


 ちょうど、石井監督が作品を発表していない時期に放送されたもので、『シャッフル』(81年)に近い作風のものとか、『エンジェル・ダスト』(94年)の基になったような作品とか、監督自身の過去作とこれからの作品を感じさせる実験的な内容だったのを覚えています。僕は当時、監督のことを知らなかったので、面白いなぁと思って観ていたら、まとめて放送する回に監督のフィルモグラフィが紹介されて。その中で一瞬、『狂い咲きサンダーロード』が流れたんです。山田辰夫さんが暴走族に呼び出されて「うぉー!」って殴り掛かってるシーンで、観た瞬間に「なんだこの映画は?」って気になって、すぐにレンタルビデオ屋に借りに行きました。それで、『狂い咲きサンダーロード』『爆裂都市 BURST CITY』(82年)『逆噴射家族』(84年)と3本まとめて借りて、3倍ダビングのテープに録って。だからめちゃくちゃ画質が悪いんですけれど、それが僕にとっての『狂い咲きサンダーロード』でしたね(笑)。


 高校生の頃の僕は、とにかくいろんな映画をたくさん観ようとしていた時期で、テレビでよく放送していた70~80年代の映画が入口でした。で、アメリカでマーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』(76年)があって、オーストラリアでは『マッドマックス』(79年)があった頃、日本には『狂い咲きサンダーロード』があったんだなって思いました。社会に対してなにかを抱えている個人がぶつかっていく映画の、日本代表みたいなイメージですね。10代後半だったから、これらの作品にはすごく共感するところがあって、学校では教えてくれないことに対して答えを与えてくれる、数少ない作品でした。他人事じゃないというか、人生のある時期に誰しもが必ず経験するモヤモヤとした気持ちに、グサッと刺さるんですよね。だからこそ、ずっと愛されている作品なのでしょう。


■いまはもう撮ることができない“ヤバい”映画


 しかも、監督はわずか22歳にして卒業制作としてこの作品を撮ったというのだから、驚くべきことです。いま見ても技術的に凄くて、よくこんなカットが撮れたなと感心するところが多々ありますし、物語の構成も良いし、編集も見事。22歳でこれほどの映画を撮ったというのは、世界的に見ても非常に珍しいことです。そのことも、若者に刺激を与える一要因となっているはず。実際、山田辰夫さんの仁というキャラクターは、当時の石井監督に重なる部分もあるんじゃないですかね。志の高さだけじゃなく、実行力も飛び抜けているっていう。この頃は撮影所システムが崩壊していて、学生映画を作らなければ映画界が成り立たないような状況だったからこそ生まれた作品で、奇跡的な一本ともいえます。これと同じことは、もう二度とできないでしょう。


 計らずしてか、時代を映してしまっているのもこの映画の面白いところ。今回、久しぶりに見直して気づいたのは、最後に仲間になるのが社会からドロップアウトした人たちなんですよね。なにかの組織に属した人たちと、ドロップアウトした人たちが戦う映画で、片腕でブレーキなしのオートバイで突っ走るシーンなど、たまらないものがあります。自滅的な美しさというか、映画の中でしか成立しないロマンを描いていて。いまの社会では、ルールから逸脱した人を徹底的に攻撃する風潮があって、仁みたいな人は馬鹿にされがちです。でも、この時代ではそれが最高のヒーローに成り得たってことを、映画の中でちゃんと描いているんですよ。


 あと、Blu-rayで観てびっくりしたのが、冒頭のオートバイの装飾がアルミホイル感まる出しだったりするんですよ(笑)。でも、それがアラとして見えるのではなくて、むしろ「よくこんな工夫をしたな」って、志が見えてグッとくる。画質がクリアになったことで、志もよりクリアに見えたというかね。オートバイの撮影とか、本気でやっているようにしか見えない乱闘とか、仁が連続でガラス割るシーンとか、全部が生々しく映っています。監督も含め、みんなの無軌道さがそのまま記録されていて、ドキュメンタリー的な何かさえ掴んでしまっているんですよ。


 ゲリラ的な撮影も含め、いまなら問題になってもおかしくないシーンがたくさんあって、そういう意味でももう撮れない作品。映画って、やっちゃいけないことをやらなければいけない瞬間があるんですよ。映画のためなら何やっても許されるわけではないけれど、そういう気持ちで映画を撮る監督がいなくなったことで、なにかを失ったということは言えると思います。倫理観は時代とともに変わるから、そういうことをやって良いとはもはや言えないけれど、ギリギリの映像を撮る高揚感は、映画監督なら誰しもが知っているはずです。


 タイムリーなところでいうと、『ラストタンゴ・イン・パリ』(72年)の演出手法について批判が巻き起こっています。現在の倫理観に照らしていろんな意見があるべきだと思うけれど、もともと罪深い映画ではあって、そういう作品はほかにもたくさんあります。ひとつ言えるのは、映画監督なら誰しもが同じような後ろめたさを持っているはずです。少なくとも僕はベルナルド・ベルトルッチを責めることはできません。リアルなシーンを撮るために、役者に詳細を伝えないことはあるわけで、映画は誰かを傷つける可能性を常に孕んでいるんです。とても恐いことなんです、映画制作は。感情を操作して演技もするし、危険なことをおかしてカメラを回すんです。例えばドキュメンタリーを撮っていても、「映画なんてどうでもいい」と考えている人を映さなきゃいけない時があるんです。カメラを回すということは紛れもなく加害です。それでも僕は作品に必要だと思った時は撮ってきましたし、自作で「誰も傷つけていない」とは言い切れません。これからもそうするでしょう。現に撮影がきっかけで絶縁したり、疎遠になった人もいます。『狂い咲きサンダーロード』は多分にヤバいものを含んでいて、だからこそ面白く、いまも輝いている作品なんだと思います。


■ファンが育てた『狂い咲きサンダーロード』


 クラウドファンディングの公募は、あっという間に目標金額を達成したわけですが、それも当然でしょう。だって、単純にこの映画に自分が関われるのは嬉しいですよ。人生の一本になりうる作品ですし、孤独を抱えた人たちにとって、居場所を求めて観にいく作品ですからね。この映画は未来にも残さなきゃいけないんです。


 孤独を解消する方法って、人それぞれなのかもしれないけれど、僕は映画以外にないから、本作に熱狂する方々の気持ちはすごくわかります。なぜかこの映画には答えがあるんです。特別なものを掴んでいるんだと思います。僕の個人的な考えとしては、最後の仁さんの微笑みなのかなって。「あ、俺がいる」って思っちゃいます(笑)。


 今回のデジタルリマスターは、フィルムのフィルムらしさがより強調されていて、デジタルの技術でアナログが復活する面白さも味わえます。16ミリフィルムとBlu-rayって、実は相性が良いんだなってこともわかる。


 『狂い咲きサンダーロード』はまさにファンが育てた作品で、『映画秘宝』の特集や限定上映などで取り上げられたことで、今日の評価に繋がっていったんだと思います。その最新版が今回の再上映で、本当に良い機会なので、ぜひとも観てほしいですね。(松江哲明)