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『真田丸』は壮大なラブストーリーだ! 結末を知りながらも見守りたい、三谷脚本の凄さ

2016年12月10日 06:11  リアルサウンド

リアルサウンド

提供=NHK

 若手の脚本家・演出家として活躍する登米裕一が、気になる俳優やドラマ・映画について日常的な視点から考察する連載企画。第15回は、最終回目前となったNHK大河ドラマ『真田丸』について。


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 NHK大河ドラマ『真田丸』が好調なまま終盤を迎えている。本作は普段、大河ドラマを見ない若年層からも人気があるようで、今見ているドラマを尋ねると『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』(日本テレビ系)と『逃げるは恥だが役に立つ』(TBSテレビ)に続いて、『真田丸』と答える声をよく聞く。


 なぜ本作は、幅広い層から支持されているのだろうか。一見すると、『真田丸』と他の二作はまったくの別ジャンルに思えるが、広い意味ではどれも非常に優れたラブストーリーだからではないかと考えている。


 ラブストーリーは、基本的にカップルが「別れるまで」か「付き合うまで」を描く。そして、面白いドラマであればあるほど、カップルの関係性の変化に意外性がある。別れそうにない2人が別れ、付き合いそうにない2人が付き合うのだ。そのドキドキとハラハラを、我々は楽しむわけである。


 『逃げ恥』では、感情を伴わないはずの“契約結婚”から始まった男女が、次第に恋愛感情を育む様を描いた。一方の『校閲ガール』では、男女が認め合っているからこそ、最終的に“付き合わない”という結末にたどり着いた。


 では、『真田丸』はどうか? 武田家の重臣・穴山梅雪(榎木孝明)は、史実で武田家を裏切る。しかし第一話では、最も武田家を愛している家臣として描かれ、まさか別れるとは思えないような流れだった。主人公である真田幸村(堺雅人)の兄・信之も、史実では徳川家と共に歩んで行くのだが、ドラマではギリギリまで「絶対に真田家に残るだろう」と思わしめる描き方をしていた。いわゆる恋愛とは異なるものの、愛し合っているもの同士が別れ、思いがけない組み合わせが誕生するところは、優れたラブストーリーと共通しているのである。


 もちろん、『真田丸』では男女の恋愛模様も、意外なかたちで描かれる。史実では、真田幸村はきり(長澤まさみ)を側室に迎えるのだが、ふたりは最も付き合いそうにない組み合わせとして描かれてきた。きりは幸村に惹かれるものの、空気の読めない発言をし、出しゃばり、邪魔ばかりする。ドラマの序盤では、視聴者は一緒になるべきではない女性として、彼女を捉えていたことだろう。


 また、幸村は全50話の中で様々な女性を妻にするのだが、きりはそんな彼に寄り添い続け、30年の時を共に過ごす。物語の終盤、きりは女性としてなにかを諦め、悟り、無欲となっていく。そしてそんなきりこそが、幸村にとっても最も必要な存在となっていくのだ。長い時間をかけた、ラブストーリーの着地点である。


 三谷幸喜さんの作家性が色濃く出た脚本だと思う。演劇として高い評価を得て、後に映画化もされた『笑の大学』(映画版/04年)もまた、思えば共通する流れがあった。第二次世界大戦の最中、喜劇の上演許可は出さないと決めていた検閲係が、とある作家の才能に魅せられていき、喜劇の面白さに目覚める物語だ。対立から始まり、その後は運命的に強く惹かれあったふたりだったが、最終的には別れを迎えてしまう。『コンフィダント・絆』(舞台/07年)や『国民の映画』(舞台/11年、14年)などの近作もそうであるが、史実を基にしたダイナミズムの中で、個々人の小さくも運命的な出会いと別れを描き出す。三谷さんの脚本は、歴史というものが、人々の営みが積み重ねられた結果として存在していることを教えてくれるのだ。


 大河ドラマが歴史物語である以上、私達は物語の結末を知っている。幸村ときりの恋の結末を知っているのである。けれど、だからこそ見守らずにはいられないと、『真田丸』は感じさせてくれる。(登米裕一)