近年、働く人はコミュニケーション能力が重要だと言われる。経団連の2015年度新卒採用に関するアンケート調査によると、選考時に重視する要素は 12 年連続で「コミュニケーション能力」が第1位だ。(文:okei)
そんな中、あるツイッターユーザーのこんなツイートが話題になっている。
「某本社の皆さまが仕事をみんな外注にしちゃったためにノウハウがなくなって大混乱になっているので、就職面接でコミュニケーション強者を選抜していくと仕事をせず責任を回避するスキルにだけ長けた人材が集まってこうなるのだなということがよくわかって微笑ましい気分になった。育成失敗だわ」
「採用面接が狐と狸の化かし合いみたいな状態」がいけない?
つまりコミュニケーション能力を重視するあまり、口だけは上手いが仕事ができない人ばかりを採用してしまったのだ。別のユーザーからは、こんな声もあった。
「コミュニケーション強者しか採らず何もかも外注していたら業務が回らなくなったため、コミュ障のエンジニアも採るようにしたものの、彼らの扱い方が分からず邪険にしていたら皆逃げてしまったという会社の話なら知ってる」
主力のエンジニアがいなくなってしまえば会社は立ち行かない。「『コミュニケーション強者』は同族同士でしかコミュニケーションが取れないらしい」と結んでいた。
これに関して思うところがある人が山ほどいたようで、一連のツイートがトゥギャッターにもまとめられ22万以上閲覧されている。「それコミュニケーション強者と思っていた無能じゃん…」などと指摘するコメントが、続々寄せられていた。
「同質性が担保されていないとコミュニケーションできない層にそもそもコミュニケーション強者とラベリングしていいのだろうか」
「それはコミュ強ではなくてただのうぇーい族なのでは。」
「あ、これ歴史の本で何度も見たことが有る。口の上手い奴だけ側近にしていってダメになっていく王朝のパターンだ」
面接のとき馬が合っただけで決めていればそうなる、という採用側への指摘も多かった。
「コミュ強を採用するつもりが、『採用されるためにコミュ強を演じただけの人』を採用してしまった、という話に見える。採用面接が狐と狸の化かし合いみたいな状態になっている限りは、この手の採用ミスは避けられないだろうなぁ…」
真の「コミュニケーション強者」は相手が「コミュ障」でも気にしない
そもそも、コミュニケーション能力とはなんだろう。そもそもの「コミュニケーション」の意味は、「言葉や文字で互いの考えを伝達、交換すること」などと辞書では定義されている。決して「口がうまい」「世渡り上手」のことではない。
職場では、上司の指示をきちんと聞き、理解し、疑問点があれば質問をして、指示通りの成果・結果をだすのが最低限の基本になる。考えてみれば当たり前だが、こんなにもコミュニケーション能力が求められているのは、それが苦手な人や、意味を取り違えている人が多いからかもしれない。
ツイートには、「本当のコミュニケーション強者とは」と語るものも少なくない。
「本当に卓越したコミュニケーションの達人は相手がコミュ障だろうが何だろうが仕事で組むべき相手と見ればあの手この手で巧みにコミュニケーション取りに行くもの」
「同僚に、相手の担当が老若男女陰キャ陽キャ問わずどんなタイプだろうと必ず仲よくなって仕事をまとめて帰ってくる人がいて、そいつには絶対にかなわないといつも思い知らされます」
なんだか、根底には仕事に対する熱意の違いがあるようにも感じる。いずれにしろ、本当の意味での強力なコミュニケーション能力がある人はそうそういない。上っ面の「コミュ力」ばかり見ていても、上手くはいかないようだ。