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冨田ラボが明かす、ポップと抽象のバランス「作るものは”日本のポップス”だと思っている」

2016年12月03日 17:01  リアルサウンド

リアルサウンド

冨田ラボ(写真=三橋優美子/撮影=Red Bull Studios Tokyo)

 冨田恵一のセルフプロジェクト、冨田ラボによる通算5枚目のアルバム『SUPERFINE』がリリースされた。前作『Joyous』では椎名林檎や横山剣(クレイジーケンバンド)、さかいゆう、原由子といった個性派シンガーを迎え、エレクトロ色を加えた極上のチェンバーポップを構築していた彼だが、それから3年ぶりとなる本作では、YONCE(Suchmos)やコムアイ(水曜日のカンパネラ)、藤原さくらなど、今を輝く若きボーカリスト達を起用。これまでのシミュレーショニズム的な手法を一旦脇に置いて、このところ冨田が傾倒しているという「現代ジャズ」の意匠や抽象的なテクスチャーを持ち込みながら、ポップミュージックのフォーマットへと見事に落とし込んだ、新境地とも言える作品に仕上がっている。


 今回のインタビューでは、アルバム制作のプロセスはもちろん、ソングライティングやアレンジの手法など、冨田サウンドの真髄に迫った。(黒田隆憲)


・「『ポップネス』の二大潮流は、ヒップホップとゴスペルじゃないか」


ーー今回のアルバム、本当に素晴らしくて。


冨田:本当ですか? ありがとうございます。


ーーもしかしたら、今までの作品の中で一番好きかもしれないです。


冨田:僕もそうなんです(笑)。まあ、作ったばかりだから、そう思うのかも知れないけど。


ーーいや、でも「すぐ聴いてほしい」「何度も聴いてほしい」と思いながら作っていたそうですね。


冨田:そうなんですよね。今年1月に最初のレコーディングがここ(Red Bull Studio)であったんですけど、まずは「Radio体操ガール feat.YONCE」、「Bite My Nails feat.藤原さくら」「鼓動 feat.城戸あき子」「雪の街 feat.安部勇麿」「笑ってリグレット feat.AKIO」と、5曲分のボーカルを録るということになっていて。その段階で結構な手応えを感じて思わずツイートしてしまったんだよね、「これ、早く聴いてもらいたいなあ」って。もちろん、いつも作っている時には「これは良くなる」って思いながら作っているはずなんだけど、今回は特にそう思った。


ーーアルバムのコンセプトやテーマはあったのですか?


冨田:まず出発点として、僕自身の音楽性が、興味の対象も含めて色々変わってきた時期でもあったんです。2014年くらいからかな、「新譜が面白い」と言い始めたり、いわゆる「現代ジャズ」への興味が強くなったり。それまでの作り方というのは、70~80年代のシミュレーショニズムを中心にしたアプローチで。ただ僕はドラムが大好きだから、ドラムだけはリアルタイムで常にアンテナを張りつつ、そこで仕入れたネタを、形を変えつつも取り込んできたつもりだったのだけど、どんどんそっちが面白くなってしまって(笑)。それをもっと直接的に、自分の作品や自分が関わる作品に入れたいと、2010年前後からずっと思っていたんです。


ーーそれが今回、ようやく身を結んだのは何がきっかけだったのでしょう。


冨田:これは後から思ったことなのだけど、『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』(DU BOOKS)を執筆したことが大きかったのだと思う。シミュレーショニズム的な曲作りに対して、ある種のケリがついたというか。僕にとっては初著書だったわけだけど、「書く」ということにはそういう力があるのだなと思いましたね。漠然と頭の中で思っていたことを、文章にまとめたことによって、漠然と囚われていた自分の意識が、なんかスコーンとなくなったというか。


ーー全て吐き出すことができたと。


冨田:あと、決定的だったのがbirdの『Lush』。あのアルバムでは全曲の作曲とプロデュースを手掛けたのですが、そこではもう完全に今のモードになっていたんですよ。あのアルバムの手応えが相当あったおかげで、「次の冨田ラボはこうなっていくだろうな」っていう確信もあった。しかも、ゲストボーカルは若手を中心に集めようと思ったんだよね。


ーーそこで起用したのが、「新世代ジャズ」の中心にいる人たちではなくて、例えば藤原さくらさんだったり、コムアイ(水曜日のカンパネラ)さんだったり、YONCE(Suchmos)さんだったりするところが面白いなと思ったんです。


冨田:そこはやっぱり、僕自身がポップフィールドの人間だからなんだろうね。もちろん、新世代ジャズ周辺の人たちを集めれば、面白くてカッコ良い作品ができるとは思ったのだけど、どうしても自分の作るものは「日本のポップス」だと常に思っていて。「ポップス」のカテゴリーの中にちゃんと入りつつ、自分の好きな音楽的要素が多分に含まれた作品、そういうものを作りたいという意識が常にあるんです。


ーーあと珍しいのが、普段なら冨田さんが一人で構築していくようなコーラスパートを、Suchmosやnever young beach、CICADAのメンバー達がやっています。


冨田:様々な声質が混じり合うことで、ゴスペルのクワイアっぽくしたかったというのが一番の理由。現代ジャズ的なものの中に潜むポップネスには、ヒップホップ的なものと、もう一つゴスペル的なものがあると思っていて。現代ジャズと言われているものって、もはや全くジャズじゃなかったりするじゃないですか(笑)。そこで感じる「ポップネス」の二大潮流が、ヒップホップとゴスペルじゃないかという大雑把な見立てがあって。大人数が歌うパートは必ず欲しかったんですよね。


ーー彼らとは、20くらい年の差がありますよね。なのに、直近の上下の世代より音楽的にシンパシーを感じるところも少なくなかったとか。


冨田:今回、若手のシンガーをフィーチャーするにあたって、最近「いい」と言われている若手の音源を、スタッフと一緒にガーッと何十枚も集めてきて、それを大量に聴いた中からセレクトしていったんですよ。その時に、「あ、いい感じに(ルーツミュージックを)取り入れているな」と感じた。5年前の人たちがやってたことより、明らかにスムーズというか。自分の音楽の中に、違和感なく取り入れている作品を、いくつも耳にしたんですよね。まあ、ちょっと大雑把な言い方かもしれないし、直近の世代の中にも素晴らしいミュージシャンは沢山いるのだけどね、もちろん(笑)。


ーーそれって、何なんでしょうね?


冨田:興味深いのは、(ルーツミュージックを)取り込むことで、彼ら自身の音楽性が育まれ、形成されているというのとは、ちょっと違うんですよね。僕ら世代だとさ、とにかく好きな音楽を聴き込んで、それが自分の血となり肉となり、音楽性が形成されていったものじゃない? けれど、彼らの場合はもっとスムーズに、サクッと取り入れている感じ。しかも、それが非常に洗練されているので、全然嫌味な感じがない。ひょっとしたら、彼らのベーシックにあるのが、例えJ-POPだとしても、それ自体がすでに洋楽をうまく取り込んだJ-POPだったりして、そこと繋がっているから違和感をあまり感じないのかもしれない。


ーー90年代の渋谷系的な音楽の取り込み方と、今のYouTube世代と呼ばれる人たちの音楽の取り込み方って、個人的にはどこか共通のものを感じるんです。ただ、大量の情報を処理するスピードも能力も、我々の世代と比べて遥かに上がっているから、冨田さんがおっしゃるような現象が起きているのでしょうか。


冨田:そうかもしれないね。渋谷系的なものより精度が上がった感じがする。90年代からサンプリング文化が始まって、それが進化していく一方で、昔の渋谷系って自分たちの音楽性の中に取り込む時に、そのままエッセンスをサンプリングするのではなくて。血肉化するというか、自分の本来の音楽性に寄せていくことが多かったじゃないですか。そうすると、元々のエッセンスが薄まってしまう場合もあったと思うんですよ。しかも、その「変容」こそが面白かったりしたのだけど、今は取り入れる時に、そういった「変容」があまり起きていない感じがする。それが良いのか悪いのかは別としてね。で、何故そうなっていったのかは僕には分からないのだけど。


・「音色の配置などにこだわった音楽をやりたい」


ーー今回、限定盤に付属されている小冊子(冨田ラボのレコーディングダイアリーBOOK)がまた、途轍もなく濃い内容で。


冨田:(笑)。


ーーその中で、「譜面に書けない部分で成り立つ音楽」ということにこだわって作ったと書いていらっしゃいました。それは、「演奏者の細かいニュアンスや表現力ということではなく、選択された音色自体が持つ情報、その音色の時間軸上の配置していくことだ」と。それって、今のお話にも通じるのかなと。


冨田:ああ、本当だね!


ーー今作も、そういう意味ではサンプリングとかコラージュの手法に似ているところはあるのかなと。


冨田:確かに。これまでの作品で、僕がシミュレーショニズムを用いる際に決めていたことは、いわゆる「サンプリング」はしないっていうことだったんですよ。それは、先ほども言ったように90年代に入ってサンプリングが主流となっていく中で、サンプリングするのではなく、「サンプルネタのような質感の音楽“そのもの”を作ろう」っていう意識でやっていたから。でも、当時みんなが面白いと思っていた、サンプリングをループさせることによる快感とか、そこに生じる若干の違和感を楽しむこととか、そういったことを今、見直してみて「面白い」と僕は感じているので、それが今回、「どういうコードを使ってどんなメロディを乗せて……」っていうことと同じかそれ以上に、「音色の配置などにこだわった音楽をやりたい」という思いに繋がったのかもしれない。


ーー「そういった『抽象的な音楽的要素』を、ポップスとして帰結させることにこだわった」とも書いていらっしゃいました。で、最初の話に戻るんですけど、僕がこのアルバムを何度も聴きたくなるのって、そういう「抽象的な音楽的要素」に中毒性を感じるからじゃないか? と思ったんです。


冨田:ああ、うん。まさしくそうだと思いますね。あくまでもポップミュージックとして成立していながら、そこに抽象音楽的なアプローチのものが配置されていて、その配置のされ方がポップであるからポップスとして聞こえるっていうか。その辺のバランスを面白がりながら作ったかな。そこがあるから、こうやって音楽を深くお聴きになられる方にも、「もう一回聴いてみよう」って思ってもらえるものになったんじゃないかと。


ーーところで、曲を作り始める時に弾く楽器は、どういう基準で選ぶのですか?


冨田:例えば「荒川小景 feat.坂本真綾」だったら、「ええっと、今ピアノで書いた曲が5曲あるから、じゃあローズでメロウな曲を書こうかな」と思ってローズ(・ピアノ/エレクトリックピアノの一種)から始めた。で、ある程度曲が出揃った時に、やっぱりピアノ・オリエンテッドな曲が多すぎると思ったら、シンセで作り直すこともあります。曲を作り始める時に、ある程度は完成形を見据えているつもりではあるのだけど、実際に聴いてみて「あ、ここはこうしたほうがいい」っていう風に見直すことも、当然ありますね。あとの細かい調整は、アルバム全体として並べてみてからかな。


ーーミクロな視点とマクロな視点を交互に使い分けながら、完成形に近づけて行くわけですね。


冨田:そう。例えば、今回は最初に歌モノを5曲録った。その時、「Radio体操ガール」はほとんどサウンドまで出来ていたのね。で、「Bite My Nails」もああいう曲にしようというのは分かっていたのだけど、残り3曲はほとんどサウンドは出来ていなかった。ベーシックトラックの上に、メインの歌を録った状態。つまり、「Radio体操ガール」と、「Bite My Nails」っていう、両極端のものが最初に出来上がっていたわけです。実際、現代ジャズという文脈でいうと、もろブラックミュージックな楽曲がある一方で、ベッカ・スティーヴンスみたいにアコースティックな曲もある、そういうアルバムにしたいなと思っていたから、これは狙い通りなわけです。しかも最初に両極端な楽曲が出来上がったから、ほかの曲はその間に収まれば自由にアレンジができるな、と。そういう意識が常に頭のどこかでありながら作業していたかもしれないですね。


・「ルートから始まるんだけど、僕らしさも詰め込めた」


ーー「Radio体操ガール」の、ラップとメロディが混じり合ったような楽曲って冨田ラボでは珍しいと思うのですが、これはチャレンジングなことでしたか?


冨田:これに関してはね、さほどチャレンジングなことでもなかったんです。というのも以前、M-FLO Loves Crystal Kayの「REEWIND!」と、RIP SLYMEの「マタ逢ウ日マデ2010~冨田流~」をリミックスしたことがあって、そこではラップの音程を完全に採譜し、全部にコードを付けたんですよ(笑)。元歌と比べると面白い。そっちの方がチャレンジングでしたね。


ーーよくそんなことが思いつきますし、実際やろうと思いますよね(笑)。


冨田:手法としては、フランク・ザッパとか、エルメート・パスコアールがやっていたことなんですけどね。パスコワールは『Festa Dos Deuses』というアルバムで、鳥の鳴き声や大統領の演説にコードをつけたような曲を作っていて、それを聴いた時に「ラップのリミックスをやるときは絶対それをやろう」って決めていたんですよね、30代の頃から(笑)。


ーー「冨田魚店 feat.コムアイ」はどうでしたか?


冨田:あの曲も「Radio体操ガール」と同じ手法でメロディを作ったのだけど、複雑さで言ったらあの曲が一番難しいかな。でもコムアイさん、歌ったんだよね、すごいよね(笑)。仮歌の時は、当日に現場で聞いてもらって録ったんだけど、最初聴いたときは顔が引きつってた(笑)。


ーーまだまだお聞きしたいこと、沢山あったんですけど、お時間が来てしまったようなので最後に。藤原さくらさんの「Bite My Nails」も個人的にはとても好きなのですが、先ほどおっしゃっていた、現代ジャズという文脈におけるベッカ・スティーヴンスみたいなアコースティックな楽曲ということについて、教えていただけますか?


冨田:現代ジャズの特徴として、やっぱりブラックミュージック寄りのものを抜粋すると、やっぱりリズムだと思うんですね。なまったリズムであるとか、奇数連符の適用であるとか。そういったものが一般化して、聴いていて気持ちいいと思うようになる人が増えた。そうなると、それがポップスの中に使える「コマ」になるわけですね。ブラックミュージックの要素をもつ現代ジャズの主流だとすると、その一方で、フォークとかトラディショナルとか、いわゆる民族音楽の要素ーージャズを学んでジャズを出来る人が、ハーモニー的なことで言えば全くジャズとは関係のない、そういったフォーキーでアコースティックな楽曲をやるという潮流も、明らかにあるわけです。そこも僕には新鮮に感じた。


ーーなるほど。


冨田:単にジャズメンがフォークっぽいものとか、アコースティックを取り入れたものとは全然違う、音楽の根本的な構造というものを、面白がっているように聴こえるんです。だから、テンションが三段、四段と付いているようなコードを学んだ人が、学んだ後だから分かる、プレーンなCコードの深みっていうようなものを感じている気がする。これは僕の印象論ですけどね。で、ブラックミュージック的なアプローチも、アコースティックなアプローチも自分には新鮮で、どちらも書きたいと思った。だから、レコーディングの最初の段階でこの2曲、「Radio体操ガール」と「Bite My Nails」が出来たんだと思う。「Bite My Nails」は、メロディの歌い出しがCのコードに対してルート音のドから始まるんです。「ドレミレソシ~」って。それって僕の曲では今までなかったことなんです。


ーーああ!


冨田:僕はルートがメロディに来ることを、極力避けてきた人間なので。こういう曲が書けた「嬉しみ」といったら……(笑)。


ーー冨田さんにとっては、その方がよほどチャレンジングなことだったわけですね。


冨田:そうです! ルートから始まるんだけど、ちゃんと僕らしさも詰め込めた楽曲になった。これを書けたのは本当に嬉しいですね。
(取材・文=黒田隆憲)