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長澤知之が語る、自分と他者に向けた“肯定”の視線 「汚点や恥も、見方によっては美しくなる」

2016年11月30日 13:02  リアルサウンド

リアルサウンド

長澤知之

 この10年、ふと気がつけば日本の音楽シーンにおいて、シンガーソングライターとして誰も右に並ぶ者のいない確固たるポジションを築いてきた長澤知之。今年の春にリリースされた、小山田壮平、藤原寛、後藤大樹との4人組バンドALのファーストアルバム『心の中の色紙』もまだ記憶に新しいが、そんな彼から年の瀬に珠玉の楽曲集『GIFT』が届けられた。


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 曲によっては躍動感に満ちたシンプルなバンドサウンドで、曲によっては研ぎ澄まされたアコースティックサウンドで。共同サウンドプロデューサーとして益子樹(ROVO)を起用した本作では、まるでダイアモンドの原石のような長澤知之の曲と詞に寄り添って、それぞれ周到にデザインされたアレンジとサウンド・プロダクションが施されている。世界的にフォーク・テイストを持ったシンガーソングライターの音楽に再び注目が集まっている現在、「日本にも長澤知之がいる」と胸を張りたくなるような作品だ。その誕生を祝し、ソロ・インタビューとしては久々となる取材を行った。(宇野維正)

・「これまでで一番、音について学びながら作品を作っていった」


ーー長澤くんの作品には、これまでも大体、ライブでは以前から歌ってきた曲と、新しく書き下ろした曲が混在してきましたが、まず、今作『GIFT』に収められている7曲は比率的にはどんな感じなんですか? ライブで聴き覚えのある曲もいくつかありましたが。

長澤知之(以下、長澤):以前からやっていた曲でいうと、「時雨」「君だけだ」「風鈴の音色」の3曲ですね。残りの4曲はわりと最近になって書いた曲です。


ーーほぉほぉ、なるほど。で、これは気になってるファンの人も多いと思うんですけど、今年の春、長澤くんはALのメンバーとしてファーストアルバム『心の中の色紙』をリリースして、その後、ツアーもやりました。その頃から、今後はソロとバンドは平行してやっていくと言ってましたが、今は、ALはお休み中ということでいいんでしょうか?

長澤:うーん、「お休み」と言うべきかどうかはわからないですね。ALに関しては、レコーディングやライブをまた突然やるようなことがあるかもしれないし、今後についてもいろいろ話し合ってるところで。

ーーとりあえず、バンドは継続中なんですね?

長澤:もちろん。実はちょうど明日もみんなでスタジオに入るんですよ(笑)。ただ、ALに関しては、もともと遊びの延長としてやり始めたバンドなのでその根っこの部分は大切にしていきたいなと思ってて。自分として気をつけているのは、ソロの曲作りとバンドの曲作りが、時期的にかぶらないようにってことですね。そうじゃないと(頭を抱えて)「あ゛っー!」ってなっちゃうんで(笑)。

ーー曲がパッと浮かんだ時に、「あ、これはAL用にとっておこう」とか思ったりすることはないんですか?

長澤:あ、それはありますね。「この曲、自分よりも(小山田)壮平が歌ったほうがいいんじゃないか」とか。曲にとって、必ずしも自分の声で表現することがいつもベストとは限らないってことは、バンドをやるようになってわかったことかもしれないです。

ーーそれって、ソングライターとしてすごく自由になったってことなんじゃないですか?

長澤:あぁ、そうかもしれないですね。

ーー今作『GIFT』でも、「風鈴の音色」では事務所(オフィス・オーガスタ)の後輩でもあるシンガーソングライターの村上紗由里さんがメインボーカルを務めていますよね。

長澤:この「風鈴の音色」は随分昔に書いた曲だから、今の自分が歌うよりも、作品に残す上で何かいい方法がないかなって思って。少年の時の自分を思い起こすような声が欲しいなって。その曲にふさわしいギタリストの方やベーシストの方にゲストとして参加してもらうように、ボーカリストとして自分の作品に参加してほしかったんですよね。

ーー曲自体とても素晴らしい仕上がりでしたけど、「こういうのもありなんだ!」と思いました。ソングライターとしてだけでなくソロ・アーティストとしても、随分と自由な発想で作品を作るようになったんだなって。

長澤:まぁ、楽しくやってますよ。相変わらずイライラすることも多くて、それなりにストレスも感じてますけど(笑)。


ーーというか、長澤くんの場合、ストレスを感じているのは人として生きている「生活」の方で、「創作活動」においてはほとんどストレス・フリーですよね? 「曲ができない」とか、そういう悩みとは無縁の人じゃないですか。

長澤:無縁ですね(笑)。美しいものを見ても、イライラすることがあっても、すぐにそれを曲作りに転化しちゃうから、そういう意味ではスランプみたいなことはこれまで一度もないですね。

ーーで、ここから本題ですが、今作『GIFT』のどこがこれまでの長澤くんの作品と比べて新鮮だったかっていうと、曲と詞がいいのはもちろんとして、とにかくとても聴きやすい作品になっていることでした。「聴きやすい」というのは、例えば普段ボン・イヴェールとかスフィアン・スティーヴンスとか、そういう同時代のアメリカのインディー・ミュージックの作品を聴いている耳にも、すっと入ってくる、とてもユニバーサルな作品になっている。

長澤:なるほど。実は今回、これまでのキャリアで初めて、全面的に作品の共同サウンドプロデューサーというかたちで、自分以外の人に音を託してみたんですよね。


ーーそっか。これまでは基本、プロデュースも自分で?

長澤:そうです。『黄金の在処』(2013年リリース)では、部分的にはありましたけど。で、その『黄金の在処』でも2曲一緒にやってもらった益子樹さんに今回はお願いしました。自分としては、具体的にどういうサウンドが欲しいからとかそういうこともありつつ、レコーディングの現場での益子さんの実直さ、誠実さみたいなものがとても好きで。お互いフラットに意見が言い合える、とても楽しいリラックスした環境でレコーディングすることができましたね。もちろん、益子さんはミュージシャンとしてもとても才能を持った方で、音へのこだわりというのもものすごく強い方ですけど。


ーー具体的に、その音へのこだわりというのは今作においてどのように作用したのでしょう?

長澤:どっちかって言うと、これまでの自分の作品って、目の前にある真っ白いキャンパスに、ワーッと自分の感性を詰め込んでいくようなものが多かったと思うんですよ。でも、今回の作品は、ALとしてのバンドでの作品作りが間に入っていたことも大きいと思うんですけど、ソロだからできる実験的なこと、ソロだからできるサウンドっていうところに焦点が合っていって。これまでで一番、音について学びながら作品を作っていったという感じがしますね。やりたいことを詰め込むばかりじゃない、引き算的な考え方というのも益子さんから教わった気がします。まぁ、毎日が勉強ですね(笑)。


・「他人の人生のことを想像するようになった」


ーー一人のリスナーとして言わせてもらうと、今回の作品のこの感じ、すごくいいと思いますよ。過渡期的な作品ではなく、ここで最適解が出ているような気がしてます(笑)。

長澤:でも、次にどういうことをやりたくなるかは、まだ自分でもわからないから。「今回はこの感じです」としか言えないんですよね(笑)。

ーーでも、今回の作品で、すごく「大人の音楽」になった感じがするんですよね。音にも、新たに書いた曲の詞にも、ちょっと余裕が生まれてきた感じというか。

長澤:あぁ(笑)。

ーー今年2016年にデビューから10周年を迎えたってことは、長澤くんはデビューが22歳だったから、今32歳ってことですよね?

長澤:そうです。

ーーこれまでの曲には、10代の頃に作っていた曲もあって、そういう10代の思春期ならでは、青春期ならではの美しさっていうのはありますけど、20代ってなかなか自分の手に負えないところがあるじゃないですか?

長澤:そうですね(笑)。

ーーいや、もちろん20代の時にも長澤くんは素晴らしい曲をたくさん作ってきたわけだけど、人生全体の中で、自分自身のことも振り返って実感を込めて言わせてもらうと、一般的に20代ってわりとろくでもない時期っていうか(笑)。

長澤:なにごとにおいても中途半端ですよね(笑)。


ーーそう。中途半端だし、個人的にも楽しい思い出とかはいっぱいあるんだけど、10代や30代の時のことは責任を負えても、20代の時のことには責任が負えない感じがあって(笑)。

長澤:わかります(笑)。社会には出てるのに、これからの人生どこに身を置いてやっていけばいいのかまだ定まってないから、振り幅みたいなものが一番大きい時期ですよね。

ーーだから、単純に今作で長澤くんが「落ち着いた」ってことじゃなくて、そういう時期を通り過ぎた人間ならでの焦点のピタッと合った感じが、今回の『GIFT』にはあるなぁと思って。

長澤:確かに、20代の頃に作ってきた作品の中には、「あれも欲しい」「これも欲しい」という感じで、散らかった部屋のような作品はあったと思います。それが、だんだん整理整頓もできるようになって、そこでできたのが今回の『GIFT』っていうのは、実感としてすごくわかるんですけど。ただ、自分としては、また今度は違うもので部屋が散らかっていくかもしれないっていう、そんな予感もあります。

ーーなるほど。でも、やっぱり10年プロとしてやってこれたっていうのは、大きな自信になっているんじゃないですか?

長澤:それに関しては、とにかくファンの皆さんと、スタッフへの感謝の気持ちが大きいですね。10年やってこれたっていうのは、自分の音楽を求めてくれている人がそこにいて、音楽を通して繋がることができたスタッフや仲間がいるっていうことですからね。特に、音楽を続けてきたことで仲間や友達ができたっていうのは、昔の自分にとっては考えもつかなかったことだから。もし、10年前のいつも一人で部屋の中にいた自分が今の自分を見たら、一番びっくりするのはそこでしょうね(笑)。

ーーあと、最近の長澤くんのライブを見るたびに思うんですけど、デビュー直後と比べて、男のファンの比率が上がりましたよね。

長澤:ありがたいことですね。もちろん、異性の方も同性の方もファンの方がいるってことは同じように嬉しいんですけど、自分が10代の時に音楽に夢中になった時の気持ちと似たような何かを、自分のファンが持っていてくれるとしたら、こんなに嬉しいことはないし、同性のファンを見てると、そんな昔の気持ちをより思い返しやすいっていうのはありますね。本当にありがたいです。

ーー今回の作品に収録された「アーティスト」や「ボトラー」という曲は、今の長澤くんのそういう新たな視点が入っているとてもおもしろい曲で。自分のことを私小説的に歌っているだけじゃなくて、そこにドキッとするような普遍性や、心を打たれる人間賛歌のような感覚が入りこんでいる。

長澤:そこは変わってきたかもしれません。それも、プロで音楽を10年やってきて、自分だけの閉ざされた世界から、他者と一緒にいる世界っていうのを感じることができるようになってきたからだと思います。自分の音楽を聴いてくれる人っていうのは、その人の時間を割いてくれるっていうことじゃないですか。そういうことへの感謝の気持ちもあって、歌の前提が変わってきたっていうか。簡単に言うと、自分の人生のことだけじゃなくて、他人の人生のことを想像するようになったんですよね。相変わらず独りよがりなところはあるんですけどね(笑)。

ーーうん。独りよがりなところは長澤くんの大事なチャームポイントだから(笑)、それもありつつ、でもそれだけじゃないなにか大切なことを歌い始めている気がしていて。「アーティスト」の<人はみなアーティストだから>って歌詞なんかも、そこだけ抜き出しちゃうと歯が浮くような言葉かもしれないけど、今の長澤くんが歌うとすごく説得力を持っていて。

長澤:いや、ほんとに最近そう思うんですよね。例えば、二日酔いで翌日トイレで吐いたりしてる時とかも、「あぁ、これも芸術なんだよな」って思えるようになったっていうか(笑)。自分のことも他人のことも、すべて肯定することができるようになってきたっていうか。

ーーその例だと、ちょっと肯定しすぎな気もするけど(笑)。

長澤:(笑)。でも、人の汚点だったり、恥だったりする部分も、見方によっては美しいものだったりするじゃないですか」。


・「常に心の中に監視カメラがある」


ーー「ボトラー」の<これは俺の映画なんだから>ってフレーズもそこに呼応してますよね。

長澤:そう。自分で自分のことがわかっていれば、どんな生き方をしてたっていいんだって。それは自分のことだけじゃなくて、他人に対しても、そういう気持ちで見ることができるようになってきたのかもしれません。

ーーうん。綺麗事が綺麗事に聞こえなくなるところまで突き詰めて、そこで綺麗事を歌っている凄みがある。だって、この「ボトラー」って底辺生活者ってことですよね?

長澤:そうですね(笑)。

ーーでも、単なる自虐にはなってない。

長澤:どこかで自分でも喜んでいるんですよね。自分で自分のことを「ボトラー」と歌えちゃうことを。

ーーそうやってトイレで吐いてる時も、どこかで自分のことを客観視しちゃうっていうのは、もう癖みたいな感じなんですか?

長澤:家庭環境も大きいかもしれないです。子供の頃から、ずっとプロテスタント系の教会に通っていたから、神様からの視点というのをどこかでずって意識してきたんですよ。神様を信じているとか信じてないとか、それとは別の次元で。日本的に言うと、「お天道様が見てる」みたいな感覚ですね。常に心の中に監視カメラがあるような感じで、その監視カメラが、最近は自分だけじゃなくて他人にも向くようになった感じかもしれないです。

ーーそういう感覚って、自分にも覚えがあるんですけど、人生においてある種の足かせにもなりますよね。

長澤:はい。でも、最近はその足かせを、逆に利用してやろうかなって思ってるんですよ。


ーー生きる上での規範みたいなものを、守るにしても、破るにしても、常に意識しているのは表現する上で強みだと思います。最近の日本人って、そういう「お天道様が見てる」みたいな感覚さえ失って、みんな動物的すぎるから。映画とかでも、みんな安易に「不条理な暴力」とかを描くけど、自分は「『不条理』だって『条理』があってこそだろ?」って思うんですよね。

長澤;あぁ。そういうのって、自分は最近の言葉づかいに感じます。「神ってる」とか、なんだよそれって(笑)。みんなゴリラが胸を叩くみたいに、大げさで暴力的な言葉をつかいたがる。

ーーわかります。言葉のインフレですね。「天才」とか「傑作」とか「革命」とか、音楽ジャーナリズムにおいてもずっとそういう言葉が氾濫してきた。

長澤:もうちょっと控えてほしいですよね(笑)。日本人って、もうちょっと言葉を大事にする民族だったんじゃないの? って。結局そういう言葉をつかうことで、深いところまで行けなくなってて、みんな浅瀬で話をしてる感じになっちゃうんですよね。今回の『GIFT』では、そういうことへの怒りとか鬱憤みたいなものは抑え気味になってますけど、それなりに溜まってきてますから、次の作品では出ちゃうかもしれない(笑)。

ーーそうなってくると、やっぱりまたギターをギュワンギュワン鳴らす感じ?

長澤:いや、そういうのはちょっと飽きちゃってるところはあるんですよね。バンド的なサウンドはALでもできるし、音楽的には、今はちょっと別のところに向かっていきたいと思ってます。

ーーさっきもちょっと名前を出しましたけど、長澤くん、ボン・イヴェールの新しいアルバムは聴いた?

長澤:いや、聴いてないです。そんなにいいの?

ーーうん。今回のはサウンドもすごいんだけど、歌詞の世界もすごくてね、ちょっと今の長澤くんに近いものを感じる。

長澤:いや、歌詞がすごいっていうのは、本当に大事ですよね。自分が最近またよく聴いてるのは、相変わらず全然新しい音楽じゃないけど、プリファブ・スプラウトとか、ティアーズ・フォー・フィアーズとか、プリンスとか、そういう80年代の音楽で。そういう創造性の高い音楽に触れると、やっぱりすごく刺激されますね。


ーーおぉ! 今作もキャリアの上で非常に大きなステップとなる素晴らしい作品でしたけど、ますます今後のソロ・アーティストとしての長澤知之が楽しみになってきました!

長澤:はい、バンドもソロもがんばっていきます(笑)。(取材・文=宇野維正/写真=杉田 真)