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『ファンタビ』には“トランプ批判”が込められている? 社会派ファンタジーとしての側面を読む

2016年11月29日 10:52  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2016 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.

 ドナルド・トランプ大統領選勝利の報はアメリカのみならず、世界中の多くの人々に衝撃を与えた。このトランプ氏に対する、国内外でくすぶっている不安と反発が、『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』に深く関わっていたと言ったら、意外に思うだろうか。


参考:『この世界の片隅に』が観客の心を揺さぶる理由 「感動」の先にあるテーマとは


 全く無名の作家による児童文学でありながら、ジャンルの枠すら飛び越えて、現在、「史上最も売れたシリーズ」にまでなった、魔法使いの学校を舞台にしたファンタジー小説「ハリー・ポッター」シリーズの快挙、そして爆発的な勢いに乗って映画化シリーズも世界的な大ヒットを記録し、社会現象を巻き起こしたことは記憶に新しい。


 子供向けのファンタジー作品であり、かつ恋愛や青春、社会と若者の軋轢を描くヤングアダルト小説としての役割も担い、グロテスクな人間の心理や、死についてのダークな感覚など、一つのシリーズのなかに作家、J.K.ローリングの持つ世界観のありったけを、次から次に投入したことが、「ハリー・ポッター」シリーズが幅広い読者を惹きつけ、作者を含め作品を深く愛する信奉者を生んだ理由の一つだろう。また、作者自身の興味が読者の目線に近く、ある意味取っつきにくい存在ともなっていたファンタジーの領域を、ポップな視点で照らし直したということも、時代の要請とマッチしていたといえる。


 映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』は、この作中に登場する魔法学校の教科書「幻の動物(ファンタスティック・ビースト)とその生息地」のアイディアを基に、新たにJ.K.ローリング自らが、初めて映画のために脚本を手掛けた企画である。つまり今までと異なり、物語の展開も質も、全く未知数のものが映画館で披露されるということだ。


 このスピンオフ企画は、本作の公開を待たずにどんどん膨らんで、ローリング自身が5部作になるだろうという発言をしている。これが本当なら、「ファンタスティック・ビースト」も、「ハリー・ポッター」級の超大作シリーズとなる見込みだ。第一作となる本作は、ニューヨークが舞台となっているが、次の作品ではパリが舞台となるのではないかという噂が早くも流れている。いずれにせよ本シリーズは、あくまで魔法学校を中心に多くが描かれていた「ハリー・ポッター」とは異なり、エディ・レッドメインが演じる魔法動物学者、ニュート・スキャマンダーが、007やインディ・ジョーンズのように各国の都市へ出向いて、現地の魔法動物と触れ合いながら、魔法界と人間界の対立を煽る邪悪な敵と戦っていく展開になりそうだ。


 J.K.ローリングのガーリーな感性は、本作でもやはり炸裂している。エディ・レッドメインやエズラ・ミラーなど女性ファンの多い、中性的でスウィートな魅力のある役者が演じるロマンス描写がその代表である。『インヒアレント・ヴァイス』で謎めいた女を演じていたキャサリン・ウォーターストンが、地味めのファッションのヒロインとして、消極的な性格の主人公と淡くぎこちないやりとりをするシーンは胸キュン必至だし、コリン・ファレル演じるダンディーな魔法使いと、エズラ・ミラー演じる美形の貧しい青年との、なまめかしさを感じるあやしげな関係も、一部ファンには見逃せないところだ。


 舞台は、アメリカ文学の最高峰といわれる、F・スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」でも描かれた、「狂騒の20年代(ローリング・トウェンティーズ)」と呼ばれる、好景気に沸く時代のアメリカである。本作では、豪華な美術、衣装、特殊効果によって当時の雰囲気を見事に、そして幾分愛らしく再現しているが、注目すべきは、当時の好景気や大量消費時代の到来で浮かれて狂騒する人々より、そのようなきらびやかな世界から切り離された、路地裏に住む貧しい人々に、チャールズ・ディケンズを思い起こさせるような優しいまなざしを向けている点である。本作は、このような現実的な社会問題を、「ハリー・ポッター」よりもさらに徹底してファンタジー世界のなかにたっぷりと詰め込んでいるのが、大きな特徴なのだ。


 アメリカの魔法使いと普通の人間との対立を通して描かれるのは、「ハリー・ポッター」から引き継がれる人種差別問題である。魔法使いたちや、魔法使いの存在に気付いた人間たちは、お互いに不審の念を抱いている。本作のヒロインの妹である魔法使いクイニーは、心を読む能力によって、ノー・マジ(非魔法使い)である平凡な中年男ジェイコブの、じつは誰よりも優しく美しい心に触れることで、彼に惹かれていく。この交流は、異人種間の偏見がはびこる社会のなかで、垣根を乗り越える希望として描かれている。


 人種間の対立を煽る貧しい人々もいる。本作に登場する過激な宗教結社は、魔法使いに対し、前時代的な「魔女狩り」を行うことすら主張しており、孤児を引き取るという慈善事業を行いながらも、児童虐待問題を起こしている。これは、実際に一部の宗教団体が起こした過去の事件を基にしたものであろう。本作が扱うのは、じつはこのような、うっかり手を出しづらい、社会問題のなかでも最も暗い部分にあたる。


 さらに、そのような貧しさと対比されているのが、大企業と政治家の存在だ。ここで貧富による格差問題とともに描かれるのは、人種間の憎悪を煽る政治家と一部のメディアが癒着し、大衆を扇動していく仕組みである。このメディア王に、ハリウッドの俳優の中でも最も保守的な政治姿勢を持つジョン・ヴォイトがキャスティングされているのは示唆的だ。その息子が大統領選にも出馬するかという保守派の政治家だという設定は、裕福な家庭に生まれ育って大統領になろうとしていたトランプ氏への批判となっていると考えられる箇所である。本作で描かれる、グローバルな視点からの社会問題への批判は、トランプ氏に代表されるローカルな政策の、全て逆に向かっているといって良い。


 このような主張はまだまだ作品のなかに隠されている。主人公ニュートは、人付き合いが苦手ながら魔法動物をこよなく愛する学者であり、自然や絶滅危惧種などの魔法動物の保護を行う、社会活動家としての側面を持っている。アメリカ合衆国魔法議会の代表は、アフリカにルーツを持つ英国人俳優カルメン・イジョゴが演じる女性であり、劇中では死刑制度を残酷な行為だとする批判的な描写も見られる。本作は、このように深刻な社会問題に対してひとつひとつ答えを提示していく、きわめて政治的な作品となっている。J.K.ローリングはファンタジーというかたちでそれらを告発することによって、社会派ファンタジー作家という、個性的な道も切り拓いたといえるのだ。皮肉なことに、現実の世界で大統領選に勝利したのは、初の女性でなく、本作の精神が忌み嫌うトランプ氏であった。だが、本シリーズが今後も予定通りに続いていくとすれば、世界中にはびこる同様の社会問題に対し、本作と同じ姿勢で取り組んでいくに違いない。


 「幻の動物とその生息地」のなかには、じつは日本の河童(カッパ)についての記述もある。このことから、将来的に日本が本シリーズの舞台になる可能性もなくはないだろう。日本は妖怪の宝庫なので、おそらく魔法動物のネタに困ることはないはずだ。だが、本シリーズに設定された時代、20~30年代にかけては、世界的にファシズムが台頭し始める、政治的に微妙な時期と重なっていく。日本も軍国主義への道を進み、主人公ニュート・スキャマンダーの母国である英国とは、その後に敵対することになる運命を背負っている。もし日本が舞台になったとしたら、政治的には日本のファンのなかでも賛否を生みかねない内容になるかもしれない。しかしそういった、世界の暗い歴史に対して、本シリーズがどのようなアプローチを見せてくれるのかは、非常に興味深い点だともいえる。(小野寺系(k.onodera))