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山本彩、アイドルとシンガーの境界線壊す存在に? J-POP追求したソロ作がシーンに残すもの

2016年11月28日 18:02  リアルサウンド

リアルサウンド

山本彩『Rainbow』

・『愛してもいいですか?』と愛される高橋みなみ


 2016年4月をもってAKB48を卒業した高橋みなみのソロアルバム『愛してもいいですか?』が10月12日にリリースされた。グループ在籍時から「将来の夢は歌手」ということを公言していた彼女。一方で、48グループを束ねる「総監督」としての印象が強く、彼女自身が志向する音楽性が見えづらい部分もあったようにも思える。そんな状況を踏まえて、彼女のソロアルバムがどういった作品になるのか密かに気になっていた。


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 『愛してもいいですか?』に収録されている楽曲の方向性は、見事にばらばらである。「GIRLS TALK」「いつか」のような直球ガールポップ(Tommy february6の作品群やThird Eye Blind「Semi-Charmed Life」あたりを彷彿とさせる)もあれば、OKAMOTO’Sの面々の全面協力による「夢売る少女じゃいられない」のようなボトムのしっかりしたロックンロールナンバーもある。一方で、真島昌利の作詞作曲によるアコースティックな「笑顔」や彼女が目標としている中森明菜への曲提供で知られる来生えつこ、来生たかおによる情感たっぷりのバラード「アンバランス」など、彼女の歌を聴かせるタイプの楽曲もそろっている。


 様々な作家の様々な楽曲が登場する『愛してもいいですか?』に作品としての統一感はない……と思いきや、今作を通して聴いていると高橋みなみという人物のキャラクターが浮かび上がってくるような感覚が生まれるのが興味深いところである。アルバムの冒頭を飾る槙原敬之が提供した「カガミヨカガミ」では「友情と恋愛の狭間で悩む女心」が歌われているが、ここで描かれる「男勝りでしっかりしているけど内面には乙女心がある」「強さの裏側にギャップとしての弱さを抱えている」という人物設定(そしておそらく彼女自身が実際にそういう性格なのだと思われる)が曲を追うごとに立体化していくような面白さがこのアルバムにはある。特にキーとなっているのは前山田健一作詞作曲による「カツ丼 in da house」。アルバム全体に通底するテーマを「いつもシャキッとしている女性が家ではだらけて気晴らしにカツ丼を食べる」というモチーフに落とし込んだ歌詞のバックでは、キラキラしたシンセやギターのカッティングが印象的なトラックが鳴っている。ただ、こう書くと「最近の“シティ・ポップ”風味のおしゃれな楽曲」に思えるが、その仕上がりは絶妙に「ダサい」。でもそれが不思議とクセになるのと同時に、洗練されているわけではないがどうにも憎めないという音の雰囲気が彼女のパーソナリティーにぴったり重なってくる。


 それぞれの作家がリレーしながら「高橋みなみ像」を作り上げていくような『愛してもいいですか?』から感じられるのは、関わっている人たちの愛情である。誰もがたかみなのいい部分を真剣に引き出そうとしているのがわかるし、それによっておそらく本人だけでは到達しえなかったアウトプットが生まれている。ちゃんと周りを本気にさせる、これも「元総監督」の人徳ゆえだろうか。


・山本彩『Rainbow』が示すJ-POPの王道


 高橋みなみとは対照的に、ソロで音楽活動を行う姿がくっきりと見えていたのが山本彩である。グループのライブでは本格的なバンド編成のパフォーマンスを展開し、歌番組では加山雄三や岸谷香といった大物にも引けを取らない立ち姿を見せ、さらには『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)を介して横山健との邂逅も果たした。そういった伏線を経てリリースされたソロアルバム『Rainbow』には「待望の」という枕詞がしっくりくる。


 多様なコンポーザーによるあらゆるタイプの楽曲が詰め込まれた高橋みなみ『愛してもいいですか?』が昨今のアイドルシーンのマナーに則ったアルバムとも言えるのに対して、亀田誠治のプロデュースによってアルバム全体がポップで聴きやすい感じに統一された『Rainbow』はJ-POPとしての文法をかなり忠実に踏襲した作品である。楽曲提供者としてGLAYのTAKUROやスガ シカオらが名を連ね、さらには玉田豊夢や皆川真人といった日本のポップスを裏方で支える演奏者も集結し、加えて山本自身による作詞作曲楽曲も多数収録されている。


 亀田は自身の番組『亀田音楽専門学校』(NHK Eテレ)でJ-POPの歴史を振り返るような試みを行っていたが、そういった取り組みの成果ともいうべきか、『Rainbow』にはこれまでのJ-POPで取り扱われてきた様々な意匠が挿入されている。「愛のバトン」のイントロに代表される豪勢なストリングスはアルバム全編を通じてサウンドの肝となっており、Mr.Childrenからback numberに連なる「ロックサウンドをポップかつ流麗に聴かせる」というここ20年ほどの日本のポップスにおける王道がより洗練された形で展開されている。また、TAKUROが編曲にも関わっている「BAD DAYS」には90年代のビジュアル系バンドを思わせる細かいギターのフレーズが登場するし、『あいのり』(フジテレビ系/1999~2009年放送)のオープニングテーマと言われても信じてしまいそうなくらい爽やかなロックチューン「レインボーローズ」におけるドラマチックな大サビは、楽曲の構成で盛り上がりを生むJ-POPというジャンルの面目躍如とも言うべき仕上がりになっている。さらに、アルバムのラストを飾るミディアムナンバー「メロディ」(余韻の残る旋律とモラトリアム感をうまく言葉にした歌詞がともに素晴らしいこの曲はスガ シカオによるもの)では、引用ネタとしては定番感のあるChicago「Saturday In The Park」風のフレーズが印象的に使われている。いろいろな技を効果的に駆使しながら、「ポップで耳に心地よく聴ける」という大命題が高度に達成されているのがこの『Rainbow』というアルバムである。


 全体としては彼女が志向するロック系のサウンドを基調にしながら「月影」「心の盾」のようなR&Bテイストの楽曲も収録された『Rainbow』は「歌も歌えて曲も書けてダンスも踊れる」という山本彩のオールマイティーな魅力をパッケージした作品になっている。一方で、きれいにまとまった印象の強い今作から「優等生に対する物足りなさ」のようなものを若干感じてしまったのもまた事実であり、ある意味ではそれも空気を読んでしまう彼女のパーソナリティーを体現しているものと言えるのかもしれない。ここからキャリアを積んでいく中で、意外性やエゴが前面に出るような作品もぜひ聴いてみたいと思う。


・融解する「アイドル」と「ソロシンガー」の境界線


 2010年代に興った女性アイドルのブームは2016年時点ですでに「ブーム」から「文化」へ移行した感があり、音楽シーンにおける一つのジャンルとして定着しつつある。一方で、隣接するジャンルとも言える女性のソロシンガーの世界においても非常に活発な動きが展開されている。その代表格でもあるmiwaは2010年のメジャーデビューから人気を着実に拡大しているし、「ギタ女」ブーム(最近ではこの言葉を聞く頻度もめっきり減ったように思えるが)から頭一つ抜けた感のある大原櫻子は次なるスター候補として支持を着々と広げつつある。他にも月9ドラマのヒロインを務めた藤原さくらや映画『君の名は。』で注目を集めた上白石萌音など、歌だけでなく俳優業もこなしながらそれぞれの立ち位置を確立しようとする存在が多数ひしめき合っている。


 ところで、ここで名前を挙げたような面々は「ソロアイドル」ではないのだろうか? 例えばソロアイドルとして活動していた(今は活動休止している)武藤彩未と何が違うのか、という問いに対して明確な答えを出すのが実は難しい。「自分で曲を書いているかどうか」という話でもないし、「ダンスをするか」というのも基準にならないだろう。結局このあたりに明確な定義があるわけではなく、「自分のことをどう名乗っているか」という部分の積み重ねで「どちらのカテゴリーとして認識されるか」が決まってくるというのが実態である。


 「ソロシンガー」「ソロアイドル」というとても曖昧な区分けがうっすらと存在する現状において、山本彩のソロ活動開始はこの境界線を一気に融解させる起爆剤になる可能性がある。アイドルシーンど真ん中に軸足を置きながら亀田誠治をプロデューサーに立てて(大原櫻子と同じプロデューサーである)J-POPそのものとも言うべき音を届けるという「ソロシンガーとソロアイドルのハイブリッド」とでも言うべき活動スタイルは、「○○はアイドルか、アーティストか」という使い古された問いをますます不毛なものに追いやってくれるかもしれない。


 呼び名はどうあれ、華やかさと実力を共に兼ね備えたソロの女性が様々な領域から飛び出してきているのは喜ばしいことである。余計な分断が解消され、それぞれの才能が(無意識の部分も含めて)相互に刺激し合うことで、シーン全体の底上げがなされることを期待したい。(文=レジー)