突然だけど、小学校に通っていた時、帰る前に「終わりの会」や「帰りの会」といったホームルームがあったことを覚えているだろうか。
することと言えばなんのことはない。先生が「気をつけて帰るように」みたいな話をしたり、親御さんに渡すためのプリントを配ったりとか、そういう些細な、5分程度のものだった。しかしこの終わりの会が、10分。いや1時間になることもあった。そしてその主な原因が、いわゆる学級裁判であった!!!(文:松本ミゾレ)
傍聴人はクラスメイト!裁判官は教師!弁護人ゼロ!
なんでこんな話をするのかというと、先日「ガールズちゃんねる」に「小学校時代の“終わりの会”を語ろう」というスレッドがあり、それを見てしまったからである。スレッドを立てた人物はこう書き込んでいる。
「関西在住の41歳です。私が小学校の頃の“終わりの会”は、『○○君が掃除サボってました~』というような、誰かを糾弾・非難して、まるで吊るし上げのような会でした。 しかし最近、20代の四国出身の子に聞いてみると、全くそのようなギスギスした感じではなく、ただ業務連絡や決定事項の報告だけの会だったそうです。 世代や地方によって“終わりの会”は違ってくるのでしょうか?」
30代で九州出身の僕の記憶からすると、終わりの会のほぼ9割は、連絡とか報告とか、その程度の話で終わっていた。だけどときどき学級裁判も目にしていたし、少なくともこの41歳の投稿者の主張に対しては「そういうこともあったね」と賛同できる。
ただ、この書き込みを見る、しょっちゅう糾弾会が行われたと受け止めることもできる。想像するだに恐ろしい環境だ。どういう思想を持った担任だったのだろうか。
スクールカースト上位が率先してチクり、教師もそれを容認
このスレッドには、「そういえば、そういう嫌な時間だった」とする声もあれば「そんなのなかった」とする意見も寄せられてる。しかし、一方で「チクリ会からの緊急学級会」という声もあった。
「今思うと軽度の発達障害だったと思われる子がいつも吊るし上げられてた。暴力や離席はなかったけど、発言や行動が突飛だからと逐一報告されてた」
「おばさん先生が嫌いだった。やんちゃな男の子を前に立たせて、『○○君の悪いところについてみんな言ってみなさい』と糾弾」
どれもこれも酷い内容だ。確かに昔は教師の圧力というか、権威めいたものが世間的にもかなり強かった。教師の暴力なんて少なくとも20年ぐらい前はまだあったし、そういう教師が率先して学級裁判を行うこともあった。
オーバーキルという言葉がある。相手を極限まで攻撃し、もう既に死ぬ勢いでダウンしているのにも関わらず、まだまだ攻撃の手を緩めない状態を指す。ゲームなどはよく用いられる表現だけど、僕は子供のころに、こんな光景を目にしたことがあった
当時、ちょっと頭の回転が遅いO君という同級生がいたんだけど、僕がO君のいるクラスの前を通りがかっていたとき、そのクラスで一番人気の女の子が「今日はO君が授業中に真面目な態度をしてませんでした。謝ってください」と言っているのが見えた。
子供心に「お前が言うことじゃないやろ」と思って笑いそうになっていたのに、なぜかそのクラスの生徒たちは、鬼の形相で「またかよ」とか「謝れ」なんて言いながら、Oを睨んでいる。そこのクラスの担任は、Oに謝罪させた上で、「他にO君にされて嫌だったことは?」と煽っていた。
その後ぐれてしまったO君、学級裁判に責任はないのか
そんなことをしているもんだから、他所のクラスの生徒も野次馬のようにどんどん集まってくる。O君の心情を考えると、あれはもう生き地獄に近いものだったはずだ。
恐ろしいのは、この手のO君を標的とした糾弾会は、しょっちゅう開催されていたということだ。O君とは正直会話もしたことがないし、友達でもなんでもなかったが、その後、中学校でシンナーをやり、高校にも行かずに家を勘当されたという話を人伝に聞いた。
たらればだけど、終わりの会でみんなにいじめられさえしなければ、別の人生が用意されていたのではないかと思ってしまう。あのとき見た、クラス全員がOを見る目はトラウマだ。