トップへ

FIA-F4:16年王者の宮田莉朋は「昔っぽさもあるけど、現代的」

2016年11月18日 17:11  AUTOSPORT web

AUTOSPORT web

2016年のFIA-F4チャンピオンに輝いた宮田莉朋(FTRSスカラシップF4)
昨年スタートし、今年で開催2年目を迎えたFIA-F4選手権。2代目チャンピオン争いは最終戦まで激戦が繰り広げられ、FTRSスカラシップF4の宮田莉朋が勝ち取った。王座獲得までの道のりを宮田とコーチ役でもある片岡龍也のコメントで振り返る。

「すごく嬉しいのはもちろんですけど、チームの皆さんに、僕のことを抱えてくれた皆さんに本当に感謝しています」

 最初にチャンピオンを獲得した印象を尋ねると、喜びよりも感謝を述べた宮田。それが素直な印象なのだろう。

 カートでのキャリア、そしてシーズン途中からの参戦ではあったものの、昨年の印象からチャンピオン候補のひとりとされていた宮田。しかし、今年のスタートは決して芳しいものではなかった。

「岡山は(第2戦を)リタイアで終わってしまって、富士でも(第3戦は)ポイントが獲れず、今年はチャンピオン争い、無理なのかなと思いました」

「でも、8月の富士までに勝てば、最年少記録が取れることは分かっていたので、まずは優勝を目標としました。勝ってからチャンピオン争いには入れたらいいな、と思っていましたし、ポイントシステム的にも逆転できる可能性は十分ありましたからね」



「そして実際に優勝したらトップに立てて……。そこから調子を維持できれば、チャンピオンが獲れると確信していました」

 そう語るとおり、宮田の成績と調子はシーズン後半にかけて明らかに右肩上がり。好調を維持できた理由を、宮田はこう分析した。

「正直言って、岡山はあまり練習せずにぶっつけ本番気味でしたし、ほかのドライバーと違って、フォーミュラにはFIA-F4しか出ていませんから、ほとんど経験がありません。また練習走行で調子が良くても、競り合うっていうのはレースじゃないとできませんよね。その部分で悩みもあって、だからリタイアしたりしていたんです」

「でも、徐々にまわりがどう攻めてくるか分かってくるようになって、最終戦も25番スタートで、岡山の2戦目も16番スタートだったんですね、その時は当たってしまったんですが、その時の失敗を思い出して最終戦は注意して行ったんで、糧になった。(最終戦では11位フィニッシュ。)成長していたんだと思います」

「(8月末の)鈴鹿では曲がるクルマをさらに曲げようと、オーバーステアな方向にセットアップしてしまっていたので、この悪い傾向をなんとかしないといけないと思いました。その部分は、去年の坪井(翔)選手の車載映像を見たり、シミュレーターで練習したりして、しっかり対策をしてきたことでセットアップもでき、今回速いタイムを出せた理由だと思うんです」

 FTRSの講師を務め、またカート時代から宮田を見てきた片岡は、こうつけ加える。


「彼が今年1年を通して、すごく成長してきたなぁ、というところが、特にこの最終大会には感じられるところがあって、今年、小高(一斗)と宮田で始まって、ふたりの乗り方が、スタイルがすごく真逆で、特に前半なんかは小高のスタイルがすごくはまっているところがありました」

「要所、要所、ちょっと宮田のドライビングスタイルに口を出しているところがあったんですが、ただドライビングスタイルは簡単に変えられるものではないので、本人ももちろん悩んだだろうし、面白くないなぁっていうのもあったでしょう。そのなかでも彼はああいう性格なので、文句も言わず黙々とやってきました」

「たぶん自分のなかでストーリーを立てて、それに沿ってプログラムしていたのかと思うぐらい、本当に徐々に、もちろん自分のいいところも殺さないように変わっていきましたね」

「特にこの最終大会のレースウイークに、ドライビングスタイルが“開花”したというか。自分の得意なところも活かしつつ、たとえば小高のいいところも取り入れて、ドライバー同士がお互いに刺激しあっていました。それは小高にも言えることで、彼も成長してきてますけど」

「それで互いに結果を高め合って、このもてぎに挑んできました。(宮田は)ポイントリーダーというプレッシャーがあるなかでも、できることをコツコツこなして行くタイプなんですよ」

「派手さはあまりなく見えるかもしれませんけど、要所、要所、いまプッシュしなきゃいけないというところで見せる迫力は、しっかりある。そういった意味ではとてもクレバーであり、ただクレバーなだけでなく、行ける時に行けるって意味では、ちょっと昔っぽさもあるけど、現代的なドライバーかな」

 そして、片岡は「今のドライバーはスピードだけで元気よく走るといった感じですけど、そういう意味では、ちょっとベテランなのかなといった風格を感じさせるレースをするドライバーです」と宮田を絶賛した。

 さて、王座決定のレースでは、正直しなくてもいい苦労をした。最初のレースでタイヤ選択をミスしなければ、きっと最後までチャンピオン争いが、もつれることはなかっただろう。逆に、最後のレースは当確印をつけていたから、守りに入ることもできたはず。


「そのとおりですが、全力でやることを決めていたので、もちろんポイント獲れれば良かったですが、ファステストラップだけでも獲れればいいと思っていました」と宮田。

「目標としては、(チャンピオン候補のひとりだった)大湯(都史樹)選手の前に行ければ、スタート位置から比べればいいかな、と思っていました。最終的には抜けませんでしたけど、後ろまで行けたのは本当に良かったと思っています」と最終戦を振り返る。そして、ライバルたちに対して、こんな言葉も。

「ライバルがいることは本当に大事だと改めて感じたので、結果的には僕が勝ちましたけど、僕が成長できたのは、彼らのおかげでもあるので、『1年間ありがとう』と言いたいですね」と、新チャンピオンは謙虚に、誰にも感謝の気持ちを忘れなかった。