WRC世界ラリー選手権で複数のマニュファクチャラーのファクトリードライバーを務め、近年はERCヨーロッパ・ラリー選手権などの地域選手権を中心に活動を続けてきたフレディ・ロイクスが、コンペティションの場から離れ、ラリーストとして引退する決断を下したと発表した。
現在46歳でベルギー出身のロイクスは、同時期のブルーノ・ティリーらと並んで後のフランソワ・デュバルや現ヒュンダイのティエリー・ヌービルなどに続くベルギー人ドライバーの先駆者的存在として戦ってきた。
27年にわたるキャリアでWRCへの出走は93戦となり、その間にミツビシ、ヒュンダイ、プジョーなどでワークスドライバーを務めた。しかしキャリアハイを記録したのはその前夜となるプライベーター時代で、トヨタ・チーム・ベルギー(TTB)に所属した当時の1998年には、ポルトガルとカタルーニャの2戦でポディウムを獲得。とくにポルトガルは相性が良く、1996年と97年には2年連続の2位、98年にも3位表彰台を記録している。
ロイクスはこの月曜に地元ベルギーのブリュッセルで記者会見を開き、決断に際して「若いドライバーを助ける時期が来た」こと、そして「新たな立場で魅力的なチャレンジを始めるオファーを得た」ことが背景にあると語った。
「辞めようと決めた理由のひとつは、プロフェッショナルとして素晴らしい環境で仕事をするオファーを得られたことだ」と、ロイクス。
「長年、私のキャリアを支援してくれた忠実なスポンサーのひとりから、ベルギー国内でのフォルクスワーゲンとシュコダのいくつかのディーラー網において、広報活動とマーケティング・プロモーションの仕事をしてほしいとオファーがあった。その話を聞いたとき、自分自身で『そういう時が来たのだ』と感じたんだ」
「人生でも、ラリーストとしてのキャリアにおいても、たくさんの運と素晴らしい出会いがあり、とくにラリーは自分に多くを与えてくれた。だから今はこのスポーツに対して何か恩返しをし、若いドライバーたちの手助けができればと考えているんだ」
ロイクスはこれらの活動と継続して「楽しみのためのラリー参加」には含みを持たせるとともに、こちらはプロフェッショナルとしてミシュランの開発ドライバーの立場は継続することも明かした。
ドライバーとしては、2004年のプジョーを最後にWRCの舞台から離れた後は、FIA格式昇格前のIRC(インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ)で活躍。そのままキャリア終盤は地元ベルギーのトップイベントであるイプルー・ラリーが組み込まれるERCに精力的にエントリーし、その地元戦ではERCレギュラーを抑えて前人未到の11勝をマークし、速さが衰えていないことを証明していた。