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SMAPとは何かーー明治大学講師が語る「国民的グループ」がもたらした“超”アイドル化

2016年11月14日 12:02  リアルサウンド

リアルサウンド

SMAP

 明治大学法学部で、嵐を題材にした講義を行っている講師の関修氏が、自身三作目となる書籍『SMAPとは何か?国民的偶像(アイドル)の終焉』を上梓した。同氏は、これまで自著において嵐のメンバーの関係性やグループとしてのあり方を、現代思想や精神分析学といった学識とひも付けて分析してきた。本著では、同氏が90年代発表の論文で提唱した「SMAPPINGする感性」の解説を機に、SMAPの一連の騒動を現代思想の観点から分析している。改めてSMAPとはどのような存在なのか、同氏に話を聞いた。(編集部)


(関連:SMAP、激動の2016年も残りわずか……ファンの気持ちと“シンクロ”する数々の出来事


■SMAPはアイドルを上に超えることで殻を破っていった


ーー関さんのSMAP論の軸として、「SMAPPINGする感性」という言葉がひとつのキーワードになるかと思います。


関:「SMAPPINGする感性」は、20年以上前に僕が書いた論文で提唱した概念です。時代的背景は1992~94年頃。「フェミ男くんブーム」などで日本のカルチャーの自由度が増し、今までの固定的なアイドルや男性タレントのイメージが崩れてきた時代でした。「男は度胸、女は愛嬌」「男性はハートで女性は見た目だ」という旧来のイメージがだんだん崩れていき、今でいうイケメンーー男性も外見に気を使いながら、そのなかで自己主張するかたちに変化したタイミングでもありました。男性と女性の価値基準はどんどん一緒になっていき、さらにそこから広がって男性/女性という括りではなく、一人一人の個性や魅力が実は重要なのではないかと問われるようになった。


 そういう時にちょうどグループの一人一人が個性的で魅力を持ち、それぞれが自分の得意分野を持つSMAPが象徴的に存在した。まさにこれからはみんなが同じようなスタイル・行動をするのではなく、自分の良さを活かして自己表現をするスタイルに変化していかなくてはいけないという風潮になっていたなかで、それをSMAPが具現化していたのです。同時に、SMAPの楽曲を聴いたりパフォーマンスを見たりする私たち一人一人が、自分の個性をどう活かしていくかを考えることを総称して「ing」をつけた「SMAPPINGする感性」と呼びました。僕は当時からSMAPが時代を切り開く役割を果たしていくんじゃないかと考えていたんです。


ーーSMAPというグループ名について「浮遊するアルファベットが、彼らの存在と共に意味を持ち始める」と表現されていますが、これは具体的にはどういうことでしょうか。


関:それまでのジャニーズグループは、例えば光GENJIの「光」と「GENJI」のように意味を持つ単語が組み合わさってグループ名になっていました。ところが、SMAPはその単語自体に意味を持たないものだった。だから逆にSMAPがひとつの合言葉になって、何かが発展していくんじゃないかと考えたんです。


ーーSMAPをひとつの“記号”として捉えていたということですが、「SMAPという記号がもたらした超アイドル化」、それと対比する「嵐の脱アイドル化」という表現もされていますよね。


関:それまでのアイドルは、非常に言葉は悪いけれど、女性や子供の見るもの、という視点で捉えられていた。そして、アイドルは若者が見るものであり、日本人全体が楽しむ感覚がほとんどなかったんです。光GENJIもヒットはしましたが、それもある特定の層への人気に止まっていた。そういう意味で、今までのアイドルのイメージを壊す存在としてSMAPが出てきたわけです。私の本でも書いた通り、SMAPは一人一人の個性というかたちで、いわゆる拡散型ーー横に活動の幅を広げていったイメージ。特に、木村拓哉さんのキムタクブームは大きかった。キムタクという強いカリスマの誕生により、彼らと同世代の若者がファッションやライフスタイルを真似するようになりました。強い求心力を持つメンバーへと成長していったんです。それに対して、中居正広さんがその求心力とバランスをとるようにバラエティにたくさん出て地位を確立していくことで、2トップ的なかたちでSMAPが日本人全体が知る存在へと発展していった。バラエティでは中居さんが司会をしていて、ドラマでは木村さんが演技をしている。いわゆる今までアイドルを享受していた層ではない層にも彼らの人気が広がっていきました。中居さんと木村さんの2人を中心として稲垣吾郎さん、草なぎ剛さん、香取慎吾さんもだんだん活躍の場を広げ、『SMAP×SMAP』が始まることによって日本人がさらにSMAPを認知して評価した。今までのアイドルを上に超えることでアイドルの殻を破っていくというイメージが、超アイドル化(アイドルを超える)ということなんです。


 それに対して、嵐は目立った特定の人物がいるというよりは、嵐の5人の仲の良いところを一般の方が見て楽しむ。今までのアイドルを囲っていたテリトリーみたいなものを横に超えていくイメージです。強い求心力があったりカリスマティックな人はいないけれど、いつでも身近にいるようなイメージで捉えられるアイドルという、憧れの的から脱出するかたちで日本人の心を掴んでいったのが嵐の脱アイドル化(アイドルを脱する)という方向性だと思っています。


ーーSMAPの解散がここまで大きな騒動に発展したのは、SMAPが残してきた数々の功績がそうさせているとも論じられています。誰もが知っているヒット曲を多く生み出し、一人一人の顔と名前が認知されるまで活躍を広げていったという大きな事実があると。


関:はい。それだけ存在が大きくなってくると、だからこそその後どうしていくかが常に問題となってくる。しかし、国民はいつまでもSMAPのままであり続けて欲しいとなると、ギャップは生まれて当然でしょう。個人のネームバリューが上がり、それぞれにやりたいことが出てきたとしても、いつまでも「SMAPだから」と言われてしまったら葛藤も出てくる。グループで活動できる期間がある程度限られていた旧来のアイドルのスタイルでは、一人一人が有名になって独立することはとても自然なことでした。しかし、超アイドル化や脱アイドル化によってアイドルの高齢化が進んだことにより、それが許されなくなってしまったんです。


ーーそれは大きいですよね。


関:SMAPという大きな存在が個人の足枷になってしまうという。それぞれのやりたいこととSMAPという看板とのバランスをどう保っていくか、そのあたりを例のマネージャー氏が独立される時にきちんと整理したかったというのはあると思うんです。


ーーこのお話は本の中の「3つの高齢化」と繋がってくると思うのですが、ある程度定年のようなものがあったアイドル文化が、超えたり脱することによって様々なバランスが崩れていると論じられています。ファンの方も共に年齢を重ねながら応援し続けることが増えました。


関:もちろんそれはいいことでもあります。しかし、さっきもお話したようにメンバーに独立したいという思いが出てきた時にできなくなってしまったり、個々の活動を中心にしたいと言えない環境になってしまうという問題がどうしても発生してしまうんです。


■引き続き応援していくことが、5人で活動する可能性につながっていく


ーー関さんはメンバーの中では中居さんに最も関心があるとのことですが、中居さんの魅力を改めてお聞きしたいと思います。


関:中居さんが画期的だったのはアイドル的なスタイルを思い切り崩したところです。それまでのアイドルは一般人と違ったセレブなイメージだったのを、中居さんはこたつに入って焼酎を飲むのが一番楽しいと話したりして、今までのアイドルのイメージを壊して非常に身近な存在になっていきました。トーク番組も得意で話すのが上手。アイドルが身近なものであると同時にコミュニケーション能力があり、アイドルとファンの関係性が一方通行ではないという感覚を中居さんがもたらしました。それがひいてはAKBグループが握手会をするとか、コミュニケーションをすることによってアイドルが成立していくというパターンがあることを身近にしていったんだと思います。あとは自分の弱さを見せても上手にカバーをできるという点。歌が得意でないことを積極的にネタにしていくことで、「アイドルは完璧でミスを見せてはいけない」ということを逆手に取ったことで、より親近感を生みました。


ーーなるほど。


関:自分からああいうイメージを積極的に出していった人はジャニーズにもいなかったと思うんです。むしろ触れてはいけないことだった。しかし、中居さんがそこにあえて触れていったのは、木村さんが強いカリスマ性で一人抜きん出てしまったグループ内のバランスを、逆の力で引っ張って保ったんだと思うんです。そうしないと、グループが1対4になってしまう。それによってSMAPの均衡が保たれ、全員が自分の個性を出せるようになりました。一人にパワーが偏ると他の人が個性を出すことが難しいけれど、中居さんと木村さんがある意味両極端の場所で活躍していくことで、その間の空間で各メンバーが自分に合った活躍の場所を見つけていくことができたのだと思います。そういう意味でも中居さんは、SMAPのリーダーだということにものすごく自覚的であると言えるでしょう。


ーーそのようなグループ内のバランスの取り方は、後輩にも受け継がれていますよね。ほとんどのジャニーズグループは、メンバー全員の個性を大事にする傾向にあります。逆に言えば、抜きん出た圧倒的な存在感のメンバーがいないということでもありますが……。


関:そうですね。でもそういうメンバーがいたグループは、あまりうまくいきませんでした。「圧倒的個」というのは難しいんですよ。だから滝沢秀明さんはタッキー&翼なわけで。彼のような存在はユニット的なものでグループ的なものには向いていない。うまくできています。


ーー中居さんが保ってきたバランス感覚というのは、ご自身が意識的に行っていたものなのでしょうか。


関:彼は自分で考えていたような気がしますね。


ーーファンの方々の中居さんに対する信頼はとても大きいです。みなさんも中居さんがグループを一番に考えているということを感じ取られていたんでしょう。しかし、それだけの思いを持つ中居さんがいても、今回のような結末に行き着いたということ。この現実をどう受け止めて、私たちは過ごせばいいと思いますか。


関:「国民的アイドル」という看板を下ろすということは置いておいて、もう一度一人一人のメンバーがこれからの活動についてどんな風に考えているのか、どんなことをしたいのかを想像して、それを応援していくということですよね。その中でまた5人が集まってやれることがあればやっていけばいい。それをまた応援すればいいじゃないですか。ひとまずはSMAPについてあまり言うよりは、その先の一人一人の活動をどう応援していくか、自分がどう関わっていけるのかを考えていくことが大切ではないかと。彼らを引き続き応援したり支援していくことで、また5人で活動する可能性につながっていく。


ーー解散したグループやバンドが復活、再結成するということは少なくありません。


関:そういった前例を見ていると、一人一人のメンバーがある程度自分のやりたいことを成功させて、余裕が生まれたとき実現しているように思います。簡単に言えば、一回SMAPという存在を分解してもう一度一人一人が見直し、もう一回SMAPとしてやっていけるならやっていくということを考え直すチャンスなのかもしれないということですよね。二十数年間今までずっと走り続けてきて、それが当たり前になってしまったわけだけど、当たり前ということが本当にあり得るのかということは常にあるわけです。ここで一回見直して「やっぱりSMAPとしてやりたい」と5人が思い、ファンの方もそれを支持していれば、彼らはまた集まってくれる気がします。ここは一回、長年やってきたことを一度見直す時期なんだと捉えたらどうでしょう。これまでが当たり前すぎたということです。45歳を過ぎてもずっと同じようなスタイルで活動してきたグループはいなかったじゃないですか。前例がないわけです。「50になっても60になってもまたSMAPでやれるんだ」と確信が持てたら、また活動することになるでしょうし。そして、私たちもそこまでアイドルを応援できるのかということが問われているようにも思いますね。