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ビアンカ・ジスモンチが明かす、作品づくりの原点「私にとって、作曲は生活の一部」

2016年11月14日 12:02  リアルサウンド

リアルサウンド

ビアンカ・ジスモンチ(撮影=Yuka Yamaji/写真提供=COTTON CLUB)

 豊潤なブラジルの大地が生んだピアニスト/コンポーザー、ビアンカ・ジスモンチ。そのファミリー・ネームが示唆するように、鬼才エグベルト・ジスモンチを父に持つ彼女は、05年にデュオ「ジスブランコ」として活動を開始。13年には全曲自作のソロ・アルバム『ソーニョス・ヂ・ナシメント(誕生の夢)』をリリース。父親譲りの端正ながらもダイナミクス溢れる壮大な音楽観を披露し、華々しいデビューを飾った。


 今年10月には自身初のトリオ作品『プリメイロ・セウ』を携えて、2度目の来日公演を果たした彼女。2年前よりも、さらに自由に磨きのかかった演奏を見せてくれたビアンカに、この度インタビューする機会を得た。(落合真理)


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■他の国のアーティストの影響を強く受けている


―― 新作『プリメイロ・セウ』は、前作以上にクラシック、ジャズ、ブラジル音楽にフォルクローレと、多岐にわたる音楽性を融合したものになっていますね。


ビアンカ(以下B):この1年間、トリオとしてブラジル中をツアーして、まず最初に「オ・プリメイロ・セウ・ド・マリーナ」(※マリーナの初めての空)を、ドラマーのジュリオ・フラビーニャと録音したの。マリーナという可愛い女の子の1歳の誕生日がモチーフになった曲でね。トリオとしての1周年記念も兼ねて、私たちの「アニバーサリー」を描いたの。前作よりも自由に、空間を意識した作りになっていて、ジャケット写真も、空が映るような場所を探した。風船のカラーは、ブラジルを表しているのと同時に、ヨーロッパの色彩もイメージしているの。


―― プロデューサー兼ドラマー、そして、あなたの夫でもあるジュリオ・フラビーニャは、あなたにどのような影響を与えていると思いますか。


B: 彼から受ける影響はとてつもなく大きいわ。曲を構成している時、特にリズム面でね。彼は、私の書く曲はいつも同じようだっていうの(笑) 。ジュリオとベーシストのアントニオ・ポルトは、ロック、ジャズ、アフリカン・ミュージックが好きで、自然とそのスタイルの曲を聴くようになった。今作は2人の影響もあって、ブラジル音楽よりも、ヨーロッパ風のジャジーなサウンドになっているわ。


―― 以前、アルメニア出身のピアニスト、ティグラン・ハマシアンや上原ひろみをよく聴いているとおっしゃっていましたが。


B:次のアルバムは、他の国のアーティストの影響を強く受けたものになっているの。今回は「自己の変化」を表し、次作は「航海」を描いている。ブラジルから外界への旅立ちを想像したの。私は幼い頃から、クラシック・ピアノを勉強していたけれど、ヨーロッパや日本とは違って、ブラジルではそんなに盛んではなくて、ティグランやひろみの演奏を観た時は、衝撃だったわ。彼らのプレイに自分の音楽にも似た、クラシックの要素を発見したの。でも、もちろん他の多くのアーティストからも影響を受けているわ。


―― アルバムは3曲のインストゥルメンタルから、ネルソン・マンデラに捧げたボーカル曲「ダンサ・マンデラ」へと入っていきます。この冒頭の流れは、どのように決めていったのでしょうか。


B:このアルバムにはたくさんのゲストが参加していて、実はトリオだけの曲は2つしかないの。2曲目はアップテンポな曲だけれど、最初の曲はもっとスペーシャスなものにした。また前作の1曲目はとてもブラジル的だったので、今回はまったく異なるものにしたかった。一方、「ダンサ・マンデラ」はアフリカのリズムを用いたパワフルなサウンドで、インストとは対照的にしたの。


―― アントニオ・カルロス・ジョビンの「アグア・ヂ・べベール」は、このアルバムで唯一のカバー曲になっていますが、なぜ、この曲を選んだのでしょうか。


B:これにはエピソードがあってね。ある日、アメリカ人のプロデューサーが家に来て、なぜ、ジョビンの曲をプレイしないのかって聞いてきたの。ジスブランコではカバーしていたけれど、トリオでは取り上げていなかったからね。それでアレンジして弾いてみたら好評だったので、コンサートで披露したの。そうしたら多くの観客が、この曲はアルバムに入っていないのかって尋ねてきて。だから、トリオ・ツアーの結晶として収録したのよ。


―― ジスブランコでは、クラウヂア・カステロ・ブランコがパートナーを務めていますが、彼女とは学生時代から一緒なのですよね。


B:私はクラシックとポップを学んでいて、15歳から父のステージでプレイするようになったの。クラウヂアは5歳からクラシック・ピアノを始めて、オーボエも習っていた。なので、彼女は私と演奏するようになってブラジル音楽やポップに傾倒していき、私は彼女から、より強いクラシックの影響を受けた。彼女は私の姉のような存在なの。実は昨年、ジスブランコ結成10周年のDVDを出したのね。近いうちにCDもリリースされるんだけれど、詩人シコ・セザールに詩を書いてもらい、日本でもよく知られるアンドレ・メマーリのスタジオで録音したの。シコには私たち、ジスブランコとの関係について、新しい作品を書き下ろしてもらったのよ。


―― それは楽しみです! 15歳からエグベルトのステージでパフォーマンスしていたとのことですが、当時は、どのような生活だったのでしょうか。


B:父は素晴らしいアイディアに溢れていて、彼の娘に生まれたことは、私の全てを形成したといっても過言はないわ。兄アレシャンドレと私は、ずっと父とツアーを共にしてきたの。そんな環境で育つのは、本当に特別なことで、ミュージシャンになるすべてが備わっていたといえるわ。


――どのくらい一緒にツアーに出られていたのですか。


B:15歳から21歳までの6年間よ。ジスブランコの活動があったので、途中でやめてしまったけれど、兄はその後も3年間ツアーを続けて、父と一緒にCDも出した。3年前には日本にも来たのよ。


―― アレシャンドレのように、お父様とコラボされる予定はないのでしょうか。


B:そのうちね! 今はお互い、たくさんのプロジェクトがあって、特に私はトリオの新しい世界を模索中なので難しいけれど。でも、いつか一緒にプレイすることはあると思うわ。


■尊敬するアーティストの楽曲には、自由と真実が込められている


―― 話は遡りますが、ソロ作ではエグベルトの長年のパートナー、故ナナ・ヴァスコンセロスも参加していますね。


B:私は幼い頃から音楽家である父と、母は女優だったので映画人に囲まれて育ったの。ナナや、今作で共演しているシンガー、ジャニ・ドゥボキは私の人生でも、とても大切な人。ナナにとって、音楽は人生だった。ナナは音楽を通して、自分を表現し、他人も表現できたの。また私にとって彼は、父親同然だった。曲を聴くだけでナナの気配を感じるの。ナナとレコーディングした日は特別だったわ。涙がとまらなくなって、私もナナも抱き合って、ずっと泣いていたの。言葉は必要なかった。音楽がすべてだったの。ナナは父にとって特別な人で、それは私にとっても同じだった。


―― 今年4月に、ナナとエグベルトのステージが日本で行われる予定でした。それが叶わず、当日はナナ追悼のソロステージになってしまいましたが、彼のナナへの思いが感じられる素晴らしいコンサートでした。お父様はピアノとギターを演奏されますが、偉大な父親と同じ楽器を演奏するにあたって、プレッシャーなどはなかったのでしょうか。


B:ピアノのレッスンを始めたのは9歳だったので、なかったわ。なぜ、私はピアノを選んで、兄はギターを選んだのか、不思議ね。子どもだったので、自然ななりゆきだったの。特に難しいことはなかった。家には本当にたくさんの楽器があって、その中でもピアノが大好きだったの。


――作詞・作曲のアイデアは、どこから得ているのでしょうか。


B:出逢う人、訪れた国、ミュージシャン、すべてね。私にとって、作曲は生活の一部なの。日本で感じたこと、聴こえてくる音楽、そのすべてが作曲に通ずる。まるで日記のようにね。海外の新しいミュージシャンを見つけると、いつも曲を書くの。次作もそのように生まれ、すべての作品は、とても違ったインスピレーションをもとに作られているの。


―― 最後に、あなたの目指す先について、教えてください。


B:私の父やナナ、キース・ジャレット、私が尊敬するアーティストの楽曲には、自由と真実が込められているの。どんな時もそれは変わらない。他人の意見に左右されずに、そのままの自分でいられる。いつか、私もそんなアーティストになれたらと思うわ。