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春畑道哉が振り返る、TUBEとギターに打ち込んだ音楽人生「いいメロディは更新されていく」

2016年11月11日 16:01  リアルサウンド

リアルサウンド

春畑道哉

 TUBEのギタリスト春畑道哉が、ソロデビュー30周年、50歳を迎える節目に通算9枚目のフルアルバム『Play the Life』をリリースする。「人生を奏でる」というタイトル通り、本作には自身のこれまでの音楽人生を振り返りながら、様々な瞬間をギターインストという形で描いた全12曲を収録。ロックはもちろん、ラテンやポップス、さらにはEDMまで取り込んだ多彩なアレンジからは、彼の引き出しの多さと懐の深さをうかがわせる。これまで数多くのヒット曲を生み出してきた、そのソングライティングの秘密は一体どこにあるのだろうか。


 今作のアートワークを手がけた写真家レスリー・キー曰く、「最もセクシーなギタリストの一人」である春畑。しかし素顔はとても穏やかで、独特な間を持つ素敵な方だった。(黒田隆憲)


(関連:TUBEは“日本の夏”を更新し続けるーー28回目の横スタライブで見せた熱と色気


・「“ギターを歌わせたい”と思いながら弾いています」


ーー今作『Play the Life』は、これまでのギターインストという流れを汲みつつ、エッジの効いたビートやシンセ音などEDM的な要素が加わったように感じました。


春畑:そうなんです。今回、TUBEでキーボードを弾いてくれている旭 純さんに、共同アレンジャーとして何曲か参加してもらって。今までとは違う新しい音色を試したんですよ。「俺は今、こういう音楽にハマっているんだ」みたいな感じで、幾つか好きなCDを旭さんに渡して聴いてもらったりしつつ。同い年で話も通じやすいので、非常にやりやすかったですね。ちなみに最近は、ゼッドが好きで参考にしました。


ーーああ、なるほど。ゼッドってロックの要素が多分にあるから、春畑さんのギターと非常に相性がいいですよね。


春畑:ありがとうございます。そう、ビートやシンセの切れ味とか、ボーカルのエフェクト処理の仕方とかロックっぽいんですよね。非常に気に入ったので、車の中でよく聴いていました。例えば「Smile On Me」のボーカルエディットは、ゼッドの影響です。歌をシンセの音色のように扱っているというか、何度もエディットをしながら人間っぽさをどんどん消していきました。その際、いろんなプラグインを試しましたね。結果オートチューンになったんですけど、 かかり具合、EQやコンプのバランス、空間系エフェクターの量など、ものすごく試行錯誤を繰り返しました。


ーーサウンドプロダクションで、他に試みたことはありますか?


春畑:普通ミックスダウンというのは1人のエンジニアが行なうものですが、今回はちょっと個性の違う、2人のエンジニアにあえてお願いしたんです。僕と、その2人のエンジニアと3人で、ミックスも打ち込みも、エディットも全て一緒に作業しました。人によっては嫌がることかもしれないんですけど、これが予想以上に良くなりましたね。1曲の中に様々な色が混じり合って、1+1が2以上になったというか。機会があれば、TUBEのレコーディング現場でも試してみたいですね。


ーー春畑さんのソロは、基本的にインストですが主旋律がはっきりしていて、まるでギターが歌っているように感じられます。


春畑:まさに、「ギターを歌わせたい」と思いながらいつも弾いています。ギターを始めたばかりの中学生の頃は、「いかに速く弾けるか?」ということばかり追求してましたけど(笑)、さすがに50歳にもなると「少ない音数で、説得力のある表現」ということを心がけるようになりましたね。まだまだ道半ばですが。


ーーご自身が歌わないからこそ、代わりにギターを歌わせているという感覚なのでしょうか。


春畑:ああ、確かにそうかもしれないですね。ほんと、アンプやエフェクターを探す時も、言われてみれば声に近い、息遣いを感じるようなサウンドを求めているところはありますね。アンプやエフェクターを選ぶ時も、ギターの手元のツマミを動かした時に、大きい音から小さい音まで正確にレスポンスしてくれる機種を探していますし。


ーーおっしゃるとおり、ギターなのに息遣いまで聞こえてきそうな気がします。


春畑:あ、本当ですか。それは嬉しいですね。


ーー具体的にはどんな機材がお気に入りなんですか?


春畑:すぐ思いつくのは、Free The Toneのオーバードライブとか。スティーヴィー・レイヴォーンやロベン・フォードが使う、ハワード・ダンブルのアンプのような、太くて暖かい音が目標なんです。


ーー今作はピアノ曲も2曲入っていて、どれも音の響きが印象的です。


春畑:「Mystic Topaz」は、僕が小さい頃からずっと家にあったアップライトピアノを自宅スタジオに持ち込み録音しました。エンジニアと相談して、蓋を全て外し弦をむき出しにして、そこにマイクを立てたんですけど、一度これでレコーディングしてみたかったので嬉しかったですね。


ーー打鍵の音や、ペダルを踏む音もかすかに聞こえて、その臨場感、緊張感がたまらない。


春畑:生々しいですよね。ミックスエンジニアもマスタリングエンジニアも気に入ってくれて、「これ以上、手を加えたくない。コンプもEQもリバーブも要らない」って言ってました。「Timeless」で弾いているピアノは、TUBEがデビューの頃からお世話になっている、ソニーの故・ミセス盛田さんの所有する1920年代のスタインウェイです。このピアノの音が大好きで、ミセスのご自宅へ行くたびにポロポロ弾かせてもらっては、「いい音だなあ」って思ってて。


ーーどの辺りが気に入っていたのですか?


春畑:決して完璧な音じゃないんですよ。鍵盤によって音量にバラつきがあったり、こもっていたりするんですけど、その入り乱れ方が「味」どころじゃなく素晴らしくて。クラシックのピアニストにはちょっと弾きづらいのかもしれないけど、ポロポロ弾くには最高に気持ちいいんです。オルゴールみたいな音色というか。で、ミセスに「これで録音してみたいんですけど」ってダメ元で頼んだら、「どうぞどうぞ」って言ってもらえて。エンジニアと一緒にプロトゥールズとマイクをリビングに持ち込み、貸切状態でレコーディングしました。夢のようでしたね。


・「進路指導の用紙にも、“プロのギタリストになる”って書き続けていた」


ーー春畑さんは、元々はギターではなくピアノを弾かれていたそうですね。


春畑:幼稚園から小学6年生までピアノをやっていました。小さい頃から音楽は好きだったみたいですね。親戚からもらったクラシックのレコードを聴きながら寝ていたみたいですし。ただ、大きくなるにつれて野球とかやりたくなり、段々ピアノは辞めたくなってしまって。毎日の反復練習が、とにかく苦痛だったんですよ(笑)。で、中学校への入学を機に辞めようと思っていたら、僕がピアノを弾けるという噂をどこからか先輩が聞きつけて、「お前、ピアノ弾けるんだったら俺たちのバンドでキーボードを弾け」と。


ーーせっかく辞められると思ったのに(笑)。


春畑:「次の練習までにこれ、弾けるようにしておいて」と言って先輩に渡されたのが、ジャーニーの「Any Way You Want It(お気に召すまま)」だった。それが、自分にとって最初の「耳コピ」でしたね。


ーーそれは、今まで春畑さんが馴染んできたクラシックピアノの奏法とは、全く違うものだったわけですね。


春畑:そうなんですよ。ただ、小学生の頃からクラシック以外の音楽も、色々と聴いてはいました。まず、小学六年生の時にサザンオールスターズがデビューして、短パンにランニングシャツというスタイルにテレビを見て衝撃を受けたり(笑)。クラスでもメチャクチャ流行っていましたね。他にもゴダイゴやツイスト、アリス、松山千春さん、それからオフコース。ギターにも興味を持ち始めて、叔父さんが持っていた白いアコギで、柳ジョージさんの「微笑の法則 SMILE ON ME」をコピーしたのを覚えています。


ーーその頃、洋楽は聴いていましたか?


春畑:小学生の頃は、ベイ・シティ・ローラーズとかキッスとかアバとか。中学に入ってからは、カルチャー・クラブやデュラン・デュラン、マイケル・ジャクソンなど一通り聴いていましたね。いわゆる『ベストヒットUSA』世代です。


ーー曲を書き始めたのはいつ頃ですか?


春畑:バンドをやり始めてしばらくすると、メンバーそれぞれがオリジナル曲を作るようになっていました。中学の頃のバンドって、音楽の好みもバラバラのメンバーが、自分の好きな曲を何でもやりたがるじゃないですか。それで、ハードロックから歌謡曲からフォークから手当たり次第にコピーして、その延長でオリジナル曲も作っていた感じです。とはいえ、3コード程度の簡単な曲でしたよね。


ーーその時は、鍵盤で作ったのですか?


春畑:いや、曲を作り始めた頃はもうギターに夢中になっていましたね。最初に僕をバンドに誘ってくれた先輩が、ギターがメチャメチャ上手かったんですよ。ニール・ショーンでもヴァン・ヘイレンでも何でも弾きこなしていたので、まずはその先輩に憧れてギターを持ちました。で、高校に入ってからはさらにバンドにのめり込んで、いくつか掛け持ちで弾いていましたね。


ーー高校生の頃は、春畑さんの腕前もかなり知れ渡っていたとか。


春畑:色んな噂が流れてくるんですよね。「成瀬高校の誰々って奴は、カシオペアの何々が弾けるらしいぞ」みたいな(笑)。


ーーインターネットどころか携帯もない時代に(笑)。


春畑:そうそう。どうやってそんな情報が流れてきたのか、今となってはよく分からないんですけど。で、当時の僕は、とにかく「弾けない曲は一つもない」っていう状態になりたくて。特にハードロック系ですよね。テクニカルな奏法を、スポーツのようにクリアしていくことが楽しかった(笑)。


ーー「どれだけ指が早く動くか?」みたいな(笑)。それって、ピアノの反復練習が活かされたと思いますか?


春畑:それもあるかもしれませんが、ピアノのおかげで音感が鍛えられたのは大きかったですね。耳コピする速度が、他の人よりもかなり早かったので。例えばオフコースとかアリスの曲をコピーしたことで、コード進行の仕組みなどをより理解するようになったと思います。


ーー高校時代、選りすぐりのメンバーを集めた「バッキングM」というバンドで、本格的にプロを目指したそうですね。


春畑:デモテープを作っては、レコード会社に送りまくっていました。中学1年でバンドを組んだ時から、自分はプロのミュージシャンになるつもりでいたし、もちろんその時もプロになることしか考えていなかったですね。迷いは一切なかった。学校で配られる進路指導の用紙にも、「プロのギタリストになる」って書き続けていましたから、高3の時の担任にはさすがに諦められて(笑)。「お前はもうギタリスト以外ムリだから頑張れ」って言われました。


(一同笑)


春畑:高3の終わり頃にはもうTUBEを結成していて、地元から六本木まで通うようになっていたんですね。ほとんど学校へ行けなくなってしまったんですけど、先生はとても応援してくれていましたね。ちゃんと卒業できるように、出席日数も誤魔化してくれましたし(笑)。


ーー曲の作り方も、どんどん進化していったのでしょうね。


春畑:そうですね。始めの頃はただカッコいいリフを並べて、そこにメロディを乗せるような作り方ばっかりでした。でも、いつからだか織田哲郎さんのコピーをするようになって、そこからはメロディが主体で、後からコードやアレンジが付いてくるような、そういう曲作りをしていましたね。まだ楽曲提供していただく前だったんですけど、「織田哲郎&9th IMAGE」時代の楽曲を、TUBEのレパートリーに加えるくらい好きでした。


ーー織田哲郎さんの楽曲の、どういうところに惹かれたのでしょうか。


春畑:それまでずっとハードロックばかり聴いていたものだから、とにかく楽曲の洗練された美しさに感動したんですよ。それに、アレンジのバラエティも豊かで、バラードからロックンロールまで幅広くやるし、すごく軽快なポップミュージックもやる。それをバンドでカバーしたのはとてもいい経験になりました。


・「TUBEのアルバムは、一枚一枚違うことをやっている」


ーーその織田哲郎さんが、TUBEのために作曲した3rdシングル『シーズン・イン・ザ・サン』が、空前の大ヒットとなったわけですよね。あの曲を初めて聴いた時のことは鮮明に覚えています。とにかく、聴いた瞬間にハートを掴まれました。


春畑:この曲のトップノートが、前田が最も声を張った時の音になっていて、しかもそれが曲のアタマにくるっていう。そのインパクトたるや、ものすごいものがありますよね。「ストップ!」の1音だけで持っていかれる。それに、メロディと歌詞の相性もバッチリだった。実は、いろんな歌詞のパターンがあったんですけどね。


ーーただ、オリジナル曲でヒットを狙いたいという思いはありませんでしたか。“TUBEといえば「シーズン・イン・ザ・サン」”というイメージが、強烈に付いてしまったことへの葛藤というか。


春畑:ありましたね。自分たちのオリジナル曲で勝負するようになってからは、周りからしょっちゅう「『シーズン・イン・ザ・サン』を超えろ」って言われましたよ。それはもう、辛かったですね.(笑)。


ーーどうしたって「名曲とは?」「ヒットとは?」って考えますよね。


春畑:考えざるを得ないですよね。さっきも話したように、「シーズン・イン・ザ・サン」がどれだけ上手く作られているかを、研究し尽くしました。アレンジの巧みさ、メロディとコードの関係、ボーカリストの音域の使い方、テンポ、ビートの組み立て方まで。だからこそ超えられなかったんですよね。


ーーお手本が近くにあり過ぎたんですね。その葛藤から抜け出せたというか、自由になれたのはいつ頃から?


春畑:何年もかかりましたね。ことあるごとに「シーズン・イン・ザ・サン」の名前は出てきましたから。でも、どのくらいだろう。セールス的には「シーズン・イン・ザ・サン」を超えた曲も何曲かあるんですが、やっぱりイメージなんですよね。「夏といえばTUBE」「TUBEといえば『シーズン・イン・ザ・サン』」「Tシャツにジーパン」みたいな」


ーーなるほど。


春畑:そのアプローチで超えていくのは無理だろうというのは、割と早い段階で分かったので、新たな打ち出し方を色々と試行錯誤するようになりましたね。特にラテンの研究は大きかった。他のバンドのライブを観て刺激を受けたり、前田が「これやってみようよ」って、新しいアイデアを持ち込んできたり。メンバー全員が好奇心いっぱいで、好きになるとワーッと傾倒する方なんですね。なので、過去のアルバムを聴き返してみると、本当に一枚一枚違うことをやっていて驚きます。


ーー立ち止まることなく常に新境地を探し続けてきたからこそ、長く続けてこられたのでしょうか。


春畑:そうですね。あとは、各自がソロ活動をしたり、別のバンドをやってみたり、TUBEとは全く違うことを自由にやらせてもらえたことも、長く続けてこられた秘訣だったんじゃないかと思います。やっぱり、ミュージシャンって実験したいこと、試してみたいことって生まれてきますからね。TUBEで実験的なことをやるのはなかなか難しいですし(笑)。


ーー春畑さんにとってTUBEとソロ、一番の違いは何ですか?


春畑:ギターインストの場合、速度や音域を自由に決められるということですかね。歌モノの場合、「いかにボーカリストが気持ちよく歌えるか?」がとにかく大切なので、テンポやキーを調整する必要がある。聴いた人が心地いいテンポやキーも当然あると思いますし。あまりにも複雑な転調や曲構成だと、そもそも歌いこなすこと自体が難しくなってきますしね。


ーーソロの方が、より実験的なアプローチが可能ということですね。先ほど、TUBEではまずメロディを先に作るっておっしゃっていましたが。どんな時に浮かんでくるのでしょう。


春畑:何パターンかあるんですけど、一つは譜面を前に考えるやり方。例えば「ラテンのビートを取り入れた曲を作りたいな」と思いつつ、譜面にどんどん書き込んでいきます。もう一つは、飛行機で窓の外を眺めているとメロディが浮かびやすいので、それを覚えておくというやり方です。飛行機に乗ってると、数時間は何もすることがなくなっちゃうじゃないですか。そういう環境でリラックスした状態になると、どんどんメロディが浮かんでくるんですよね。


ーーよく、新幹線の中や自転車に乗っている時にメロディが思い浮かぶという話を聞くのですが、景色が移動しているとアイデアが湧きやすいんでしょうか。


春畑:ああ、確かにそうかもしれない。バイクに乗っている時にもよく浮かびます。大抵はサビだけだったり、印象的なリフだったりフレーズだったりするんですけど。あと、環境が変わると曲が浮かびやすいですね。ハワイでレコーディングしていた頃は、海辺にウクレレを持って行って作っていました。


ーー最高過ぎますね(笑)。思い浮かんだメロディは、メンバーに聞かせるためにデモ音源として形にするのですか?


春畑:いや、それほど凝った音源は作っていないです。せいぜい、曲の雰囲気がわかる程度の簡単なデモを作るくらい。大抵は譜面のまま書き溜めておいて、レコーディングするときはスタジオで直接歌って聞かせるか、ICレコーダーに歌とギターだけざっくり録ったものを聞かせるくらいですかね。その辺りは、楽曲をどういう風に仕上げたいのかによって変わってきます。


ーーところで、春畑さんは好きなコード進行ってありますか?


春畑:たくさんあります。それを、意識的に使っているわけではないのですが、メロディに対して気持ちいい響きを選んでいったら、それが結果的にクセみたいになっている、ということはあるでしょうね。


ーーとなると、やっぱり最初に浮かんでくるメロディが重要だと思うんですけど、春畑さんにとっていいメロディ、いい曲の基準ってどこにありますか?


春畑:自分にとってのいいメロディは、常に更新され続けている気がするんですよね。前は特にいいと思わなかったメロディが、後から突然好きになるということも結構ありますし、そのメロディを奏でる楽器によっても印象が変わる。例えば、自分としてはソロ用に作ったメロディが、プロデューサーに「これ、TUBEで歌詞をつけてやってみようよ」って言われ、そうしてみたこともある。そんなふうに、自分以外の人に発見してもらったメロディもあるんですよね。その時は、「えぇ? ほんとに?」って半信半疑だったりしても、後になってみると「ああ、確かにいいじゃん」って思うことが多いです(笑)。


ーー今回、デビュー30周年ということで、次の30年に向けての展望をお聞かせください。


春畑:えっ、次の何年ですって?(笑)


ーー30年です!


春畑:80歳になっちゃう(笑)。でも、それまで弾いていられたらいいですね。あと10年くらいは弾いていられると思うんですけど。でも、先輩のミュージシャンで、幾つになってもカッコよくステージに立っている人もいるので、できる限りプレイし続けていきたいです。(取材・文=黒田隆憲)