今年の夏、エアコンが壊れた。突然室外機の起動音がうるさくなり、近所からクレームが入った。大家さんに電話したところ、交換のために電気屋を手配してくれるということだった。
しかし猛暑真っ只中。エアコンの取り付け工事が相次いでいて、結局僕は7日ほど待たされることとなった。久々に窓を全開にして汗だくで生活したが、その一週間は本当に地獄のような日々だった。
取替え工事当日のことだ。作業員が「長いことお待たせしまして」というので、僕はつい「いや、ホントにね」と返してしまった。その瞬間、「あ、この返しはいかん」と反省したものだ。
このクソ忙しい中、汗だくで猛暑に耐えて工事をしてくれる人に、こういうことを言うのは人としてダメだ。自分の了見の狭さがイヤになった。普段エアコンの恩恵にあずかっていることが、いつの間にか当たり前になっていたからこそ出た言葉だったのだろう。(文:松本ミゾレ)
利便性のために「営業時間を延長すべき」と要求する「ブラック市民」
前置きが長くなってしまった。先日、ツイッターで、ギクリとしてしまう書き込みを目にした。
「ブラック企業をなくしたいなら、社員にまともな賃金を払っている、適切な労働時間を働かせていることによって生じる不便さに寛容でないと
『土日休みなんで納品までにもっと時間かかります』『定時過ぎたんで会社もう閉めました』と言われて文句言う人は、言ってみれば『ブラック市民』ですよ」
これ、もうホントにごもっともな言葉だ。「もっと営業時間を延長すべき」とか「今すぐ家に来て家電の設置してほしい」という願いは、ユーザーなら確かに持っているもの。
しかし、対応するのもまた人なのだから、便利になればなるだけ、彼らは労働に拘束されることになってしまう。
ネット通販も、24時間サポートも、20年前にはほとんど皆無に近いものだった。コンビニだってまだまだ少なかったし、今のように便利なサービスも取り扱っていなかった。人間の慣れって本当に罪だなぁと思う。
当たり前のことが当たり前過ぎて、感謝することを忘れてしまった消費者たち…
ツイッターでも、このツイートには賛同の声が目立った。いくつか反応を引用してご紹介していきたい。
「誰かが何かを得る一方で、誰かの時間が失われてる。便利を当たり前と思っちゃいけない、あたしも気を付けよう」
「実際これ。消費者が利便性を求めるあまり企業がブラック化してるってのは大きいと思う」
人の欲望って際限がないもので、ついつい「ああいうサービスもほしい」「もっとユーザー目線で」と思うけど、結局余剰サービスと呼べるものも多い。ましてその利便性の下敷きになっている労働者もいるわけだし、もう少し不便に寛容にならなければという意見は理解できる。
サービス提供者も消費者も共にブラックな未来は御免被りたい…
今、世の中は過剰なまでに便利なサービスで溢れている。いずれも消費者のニーズがあるからだけど、こうしたサービスがあることは、サービス提供者の"時間"を奪っているということでもある。
そしてサービスを受ける消費者もまた、ブラック企業に勤めているなんてケースもあるだろう。長時間の残業で消耗をしているため、せっかくの休日に買い物をしようと思っても、その体力がないということだってあるはず。
そういうときに利用するのが、便利な24時間対応のネットショッピングだとしたら、これはもう需要にあずかる者、供給をする者、どちらもが疲弊をするブラックの輪廻だ。
このまま消費者が「もっと便利に!」という欲求を募らせ続けると、便利な世の中にはなるかもしれないが、結局疲弊する人が増えるだけだ。どんな便利なサービスも、最初は存在しなかったもの。現状で十分すぎるというか、もう少しだけ不便な社会になったって良いように思うんだけど、こういう進化はきっと止まらないんだろうなぁ……。
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