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amazarashiが幕張360°ライブで見せた“集大成” 秋田ひろむが『虚無病』で描く世界とは

2016年11月01日 19:11  リアルサウンド

リアルサウンド

amazarashi

 「虚無病」ーー無気力、無感動、行動力の低下など、精神疾患の症状に似た、テレビ、インターネットで感染する病気。


 この架空の病をテーマに、amazarashiは同名小説を付属したミニアルバムをリリース。10月15日には幕張メッセイベントホールでのライブを開催した。言うなれば、アルバム、小説、ライブ、その3つを持って「虚無病」という一つの物語が完結するという壮大なプロジェクトであり、amazarashiにとっての集大成と言えるものであった。


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 amazarashiのライブの特徴はステージ前方の紗幕に写される映像演出とタイポグラフィー。amazarashiの中心人物、秋田ひろむによる歌詞世界がスクリーンに視覚化され、独自のライブ体験を生む。幕張メッセイベントホールは、キャリア史上最大規模の会場。『amazarashi LIVE 360°』と題し、ホール中央には四方に巨大透過性LEDモニターを据えたステージが構えられていた。


 『虚無病』は、ナツキ、サラ、ヒカル、クニヨシ、タダノリの5人の登場人物が中心となり織りなすストーリー。ライブは第1章から第5章までで構成され、秋田による小説『虚無病』の朗読とライブパフォーマンスが交互に続いていく。会場がゆっくりと暗転すると、スクリーンには、“涅槃原則”を唱えるクニヨシの姿。カラーバーが映し出された後、秋田による小説『虚無病』の朗読が始まる。「この世界はつまらない」と秋田が吐き捨てるように言い残すと、1曲目「虚無病」の演奏がスタートした。


 冒頭でこの日のライブを“集大成”と先述したが、そう思わせたのはセットリストがミニアルバム『虚無病』からは2曲のみの披露であり、これまで発表してきた楽曲から構成されたものであったからだ。逆説的に言えば、小説『虚無病』は秋田のこれまで発表してきた楽曲を元に描かれたものとも言える。披露していく楽曲が秋田が朗読する物語とリンクし、章と章の間にある余白を想像させていく。病の感染経路の一つ、“報道”を映写した「虚無病」に始まり、「季節は次々死んでいく」ではフルカラーレーザーによって会場の天井に歌詞が映し出された。中でも強く印象付けたのは、第2章で披露された「穴を掘っている」だ。ここで登場人物がCGモデリングされ、アニメーションキャラクターとしてスクリーンに登場。ダンスカンパニーDAZZLEのパフォーマンスによって舞踏するその姿は何とも薄気味悪く、物語のバックボーンにある“虚無”というものをより一層色濃いものにしていた。直前に秋田が朗読したストーリーは、虚無病患者となった父親を土に葬るというもの。その穴を掘るために使用したスコップを持ったまま舞踏する映像はどこか狂気的で恐怖感すら覚えさせた。「穴を掘っている」の内容は「自暴自棄になり、人生を諦める」といったものであるが、秋田の綴る歌詞は自省する内容が多い。それでも、最後に少しの希望を垣間見せることでリスナーを引きつけている。<諦めの悪い人間になってしまうぜ>と締め括られる「穴を掘っている」もそうだ。


 「逃げるぞ、走れ」、秋田の朗読が終わると、第4章は疾走感を帯びた「逃避行」で幕を開けた。これまでモノクロで描かれていたスクリーンに色彩が加わり、物語は佳境へと向かっていく。スクリーンに映る“雨降る雑踏”の中で秋田の優しい歌声が温かみを持つような「夜の歌」に続いて披露されたのは、1stミニアルバム収録の「つじつま合わせに生まれた僕等」。これまでもライブで歌われ続けてきた楽曲であるが、<罪深い君も僕も いつか土に還った時>という歌詞が『虚無病』の内容と痛いほどにリンクし、曲中で歌われる<つじつま合わせに生まれた僕等>の部分では物語の主要キャラ3人がシルエットで登場。魂の叫びのような秋田の歌声に、バンドメンバーのエモーショナルな演奏がライブのクライマックスを生んだ。


 最終章、「僕が死のうと思ったのは」はスクリーン演出なしでの披露となった。侘しさの残る朗読を終えると、秋田がそっと光を灯すように同曲を歌い上げた。エンドロールが流れ終わった後、秋田は初めて口を開く。「ありがとう幕張メッセ。最後の曲です。夜の向こうに答えはあるのか。『スターライト』」、スクリーンには曲中の歌詞<僕らはここに居ちゃ駄目だ!>が大きく映し出され、そのまま夜の道を走り続ける映像は朝焼けの海へと到着する。希望を抱くラストに会場には自然と拍手が起こった。


 終演後には、秋田が書き下ろしたもう一つの「虚無病」ストーリー『kyomubyo another story picture book -nothingness-』が制作・販売されることを発表。あわせて秋田はこうコメントしている。


「僕らは人生を諦めない為の歌をずっと歌ってきた。
そして、これまでの歌に登場したような“未来に期待しない人間”に“虚無病”と名付けた。
これはもう一つの“虚無病”にまつわるお話。
僕らが目指すべきはハッピーエンドなのかもしれない。
そうでなければ未来に期待なんてできないのだから」


 ライブ終演後、会場の幕張メッセから海浜幕張駅までの道中には同じくライブを観ていたファンで溢れかえっていた。周囲から聞こえてくるのは、熱のこもったamazarashiのライブの感想、考察についてであった。amazarashiのライブは、ファンが席から立ち上がって観ることもなく、手拍子をすることもない。傍観に近いとも言える。MCもないに等しく、合間で友達と喋ることもない。終演後、堰を切ったように思いが溢れ出すのはそのためだろう。ファンがamazarashiの楽曲に自身の姿を投影するように、秋田はコメントの中で一人称を“僕ら”としている。目指すべきハッピーエンドに向けてamazarashiは、まだまだ未来に期待させてくれる存在である。


(渡辺彰浩)