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宇多田ヒカルと椎名林檎の佇まいは“神話”のよう 長きの親交が結実した“二人のための歌”

2016年10月29日 14:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)松村早希子

 “宇多田ヒカル featuring 椎名林檎”ーーこの文字の並びを見ただけで、ドキドキしてワクワクして、居ても立っても居られなくなります。2016年は、私の、私たちのHikkiが、長い休業期間を経て日本の音楽界に帰ってきてくれた、特別な年です。


(関連:宇多田ヒカル、新作『Fantôme』を大いに語る「日本語のポップスで勝負しようと決めていた」


 椎名林檎が、いつまでも恋い焦がれる少し年上のお姉さんだとしたら、Hikkiは、いつも隣にいてくれる同年代のともだちです。林檎は「林檎様」と呼びたくなるけれど、宇多田ヒカルには「様」は付けたくありません。それはHikkiの音楽が、憧れや空想の世界のものではなく、私の心の一番奥にある、誰にも見せたことのない場所に、直に触れるものだからです。


 その場所を忘れそうになったり、帰りたくなった時は、いつもHikkiの音楽を聴いてきました。そして、あえて聴く時間を作ろうとしなくても、人生の様々な場面で当たり前にHikkiの音楽が在りました。


 インターネットが世間に広まり始めた頃、コンピュータースクリーンに映るHikkiの言葉に手を当ててみると、本当に温かかったのです。それがどんなに贅沢な時間だったかということは、Hikkiが音楽活動を休止していた期間に、身に染みてわかりました。


 1998年に東芝EMIからデビューした宇多田ヒカルと椎名林檎は、1999年10月に行われた新人発表イベントで一夜限定ユニット“東芝EMIガールズ”として初共演。その伝説のユニット東芝EMIガールズは、椎名林檎のカバーアルバム『唄ひ手冥利~其の壱~』で再結成され、カーペンターズの「i won't last a day without you」を残してくれました(カラオケで女友達と挑戦したけれど、難しすぎて全く歌えませんでした)。17年に及ぶ二人の親交が、今度はカバー曲ではなく、二人が歌うための新たな楽曲の形で結実しました。


 Hikkiの楽曲の多くは、たとえばTVのCMで流れる曲の一部分だけを聴いた時と、全体を通して聴いた時の印象が全く異なります。


 「二時間だけのバカンス」冒頭の、「家事や育児に追われる女性の、日常から抜け出したい気持ち」を描いた部分は、普通の人間には絶対に歌いこなせない複雑なメロディーを、さらっと歌うR&B調で、サビの「バカンス=非日常」を描いた部分から、ガラッと一転し、合唱曲のように一度聴いたら誰もがすぐ憶えられる調子になります。この展開が、新しい扉を開けて別の世界に飛び出す印象を与え、ひたすらに爽快です。 「女性の日常」を描いていると書きましたが、曲を最後まで聴くと、女性だけに限定されないことがわかります。そして、アルバム全曲を通して、一見とても限定された詞世界に見えながら、実は誰もが当てはまる、という寓話的な描き方になっています。アルバムジャケットで、曲目リストが書物の目次のようにデザインされていたことも、それを際立てていました。


 この曲の歌詞でドキッとしたのは、<優しい日常愛してるけれど スリルが私を求める>というところ。「私」がスリルを求めているのではなくて、「スリル」の方から求められている。自分の力では抗えない何かに突き動かされて、どうしてもこの場から抜け出したい。どこか違う所へ行きたい、二時間だけでもいいから、という切実さが、この一節にあります。


 MVの映像の中で、二人は恋人同士のようにも、姉妹のようにも見えますが、未来世界と宇宙を舞台にしていて、触れ合っていても生々しさはなく、神話に登場する神々のような佇まいです。


 Hikkiは、このMVでも、アルバムのジャケットでも、音楽番組やインタビューなどのメディア露出でも、常に、この「母・藤圭子のかつての髪型と同じ髪型」を貫いています。そして母の死と、自らも子を持ち母親になったことが、このアルバムを作った動機であると繰り返し語っています。その語られる言葉とビジュアルから、誰もが、彼女に起こった悲しい体験と、このアルバムを結びつける筈です。しかし実際に耳にした音楽は、限定された個人の状況にしか当てはまらないものではなく、誰もが「これは自分のことだ」と思える普遍的なものでした。


 iTunesにこのアルバムを入れると「R&B」ジャンルと表示されます。けれど、このアルバムこそが、日本語で歌われたポップミュージック、「J-POP」の代表格なのだと思います。


 Hikkiの音楽は、思い出の数々と直結しています。


 「気配」を表すフランス語の『Fantôme』というタイトルを冠したこのアルバムは、金木犀が香りはじめて秋の気配を感じる季節に届けられました。美術館で素晴らしい展覧会を観た帰り道に大粒の雨に降られて、隣を歩く友人が「今『真夏の通り雨』が頭の中で鳴ってるよ!」と、小さく叫んだ思い出と、私の人生の道の上で結びつきました。(松村早希子)