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『この世界の片隅に』は奇跡的な作品だ 東京テアトル・沢村敏が“単館系の使命”語る

2016年10月29日 10:21  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

 スペースシャワーTVの高根順次プロデューサーによるインタビュー連載「映画業界のキーマン直撃!!」第8回には、株式会社東京テアトルで番組編成を務める沢村敏氏が登場。いわゆる“単館系”の代表的な劇場であるテアトル新宿では、これまで『そこのみにて光輝く』『恋人たち』『百円の恋』など良質の日本映画を上映してきた。11月12日には、こうの史代の漫画を原作に、片渕須直監督が6年の制作期間を経て完成させたアニメ『この世界の片隅に』の上映も控えている。女優・のんにとって本格的な復帰作となることでも話題の本作は、すでに高い前評判を集めており、テアトル新宿にもますます注目が集まっている状況だ。独自のカラーを持った劇場として熱心な映画ファンから厚い信頼を得るテアトル新宿は、映画をめぐる状況が大きく変化するいま、どんなビジョンを抱いているのか。作品を選定する際のポイントから単館系映画館の未来についてまで、大いに語ってもらった。


参考:庵野秀明に実写を撮らせた男、甘木モリオが語るプロデューサーの資質「嫌われる覚悟が必要」


■人の心をグラグラ揺さぶる作品を


--新作映画のチラシや情報をもらった時、なんとなく「テアトル新宿っぽいよね」と思う作品があります。それを言語化するのが難しいんですが、テアトル新宿でかける作品を選ぶ際の何か基準のようなものがあるのでしょうか。


沢村敏(以下、沢村):実は僕らの中では明確に言語化されているんですが、ネタバレになってしまうので公表しておりません、なんて(笑)。端的に言うと、「人の心をグラグラ揺さぶる作品」という表現になるでしょうか。おそらく、皆さんが思うテアトル新宿でかかる作品のイメージに、エロや暴力の要素が含まれているものが多いというのがあるかと思います。そういった要素がある作品を選ぶのは、シネコンでは上映しにくい作品のため差別化を図りやすいことも理由のひとつではありますが、それ以上に、往々にして作家や演者の覚悟がつまった熱い作品になっていることが多いからです。自ずと、作り手たちも上映活動にも携わってくれる。その覚悟が人の心を揺さぶっていく。そこから生まれてくる空気感、ニオイのようなものが、テアトルらしさにつながっているんだと思います。


--作り手の方たちからしてもテアトル新宿でやりたいという方は多いですよね。


沢村:有り難いことに非常に沢山のオファーをいただきます。でも、来たものを受け取っていくだけでは劇場のカラーは作れません。これは故・若松孝二監督から散々言われたことなんですが、ミニシアターこそ作品を選べと。作品がなければ僕らの仕事は成り立たないので、おこがましいことではあるんですが、選別は必ずしなければならない。そこは、お付き合いとか、慣例的なものではなく、本当に面白いと思える作品やこの人の作品だったら懸けてみたいと思えるものを大事にするようにしています。


--沢村さん自身の心を揺さぶる作品なのか、それともそれが観客の心なのか。観客といってもどの層をターゲットにするのか。非常に難しい問題ですよね。


沢村:基本的にはお客様だと思っています。自分の意見を全面に出すのは社会人として問題があると思いますし、限界があります。なので、若いスタッフや劇場アルバイトスタッフの意見も参考にしながら反映させているつもりではあるんですが……やっぱり最後は自分の心を揺さぶるものを大事にしたいというのはあると思います。


--僕がプロデュースした『私たちのハァハァ』をテアトル新宿で上映していただいた時に感じたのですが、劇場のスタッフみんなから「映画が好きなんだろうな」という雰囲気が伝わってくるんです。僕がスタッフの一人に「テアトル新宿はいつもいい映画がかかってますね」と話しかけたら、「いやいや、個人的にはどうかと思うものもありますよ。」とか遠慮なく意見も言ってくれて。それを言える環境っていいなあと。


沢村:映画好きなお客様を、一番身近で感じているのは現場のスタッフなんですよね。ビジネス的な面や、劇場のカラー作りというのは編成の方でやっていかなければいけないことですが、編成が頭で考えている情報と、現場でお客さんの意見を肌で感じているスタッフの間には意見のズレがあるわけです。そこを埋める作業はいつも行うようにしています。単館系ですから。


--多分、映画業界を目指す若者の中に、自分もテアトル新宿の編成をしたいという人はたくさんいると思います。


沢村:そうなってくれたら嬉しく思います。映画が当たる、当たらない、その分析をして当てる確立を上げる検証は必要ですが、確実なものは多分ありません。そうなると情報を掴むセンスや、勘、映画興行の流れをいかに読むかという数字で表すことが難しいものが重要になってきます。歳を取れば、若い作家との感覚もずれてくるときが来るとは思っているので、それができなくなったら編成を辞めるべきだと思っています。


■上映する作品を決めるのは一年以上前


--ちなみに、年間何本くらいの映画を見ているんですか。


沢村:仕事の時間も含めて毎年250本弱ぐらい、そこに自主系映画80本程度を加え全部で300本ちょっとくらいですかね。あとは脚本も相当数読んでいます。基本的には、一年先の番組を決める状況なので完成された作品を見て決めるということはほとんどありません。企画書だけの時もありますし、その時点でキャスティングが決まっていない作品も多々あります。


--例えば、9月に公開された『オーバー・フェンス』も企画書などの段階で上映を決めていたんですか。


沢村:『オーバー・フェンス』に関しては、弊社配給で70周年記念作品なので、スタッフの座組みが出たかなり早い段階で決めていました。もちろん、佐藤泰志3部作の最後ということで、前作『そこのみにて光輝く』を上映した以上、この作品もうちで、テアトル新宿でやらなきゃいけないと考えていた作品ですね。例えば、橋口亮輔監督の『恋人たち』は、最初にお話をいただいてから2年間作品を待ちました。今年の11月に公開される『この世界の片隅に』は作品の完成まで6年間かかっています。なかなかビジネススキームでは切れないようなスパンで完成された作品を、タイミングを見定めながら一年間のスケジュールにはめ込んでいかなければいけません。テアトル新宿は1館1スクリーンでやっている以上、そういう奇跡的な作品を組んでいくしかないんです。そう言う作品に魅力がある事が多い。まさに単館系です。


--『この世界の片隅に』は、アニメ豊作年の今年の中でも、個人的に一番素晴らしい作品だと感じました。


沢村:監督自身、単なる「戦争もの」をやるつもりはなくて、戦争中であっても、恋もすれば鼻歌も歌う。あの時代に生きていた人々の日常を描きたかったんです。その時代なりに幸せに生きようとした人々の姿です。特に声高に反戦を謳っているわけではありません。でも、戦争が一瞬にして人の生き方を変えてしまう怖さ、実はそれがすごく出ている作品です。一見、画の感じでほわっとしたものに見られますが、そんな映画じゃない。ぐっさり刺してくる。テアトル新宿では、アニメ作品でも、日本人の監督で日本人のお客様、もしくは世界を相手にしているということで、紛れもない「日本映画」と捉えています。そういう意味ではアニメ、実写という分け方はしていなくて、人の心を動かすというテアトル新宿の番組編成の方針とも合致した作品でした。自信作になっているので是非、多くの人に見て頂きたいです。


--6年前に製作が始まった作品を、完成のタイミングを見計らって組み込むというのがすごいです。


沢村:片渕監督は原作の舞台である広島に6年間も通って、膨大な資料集めやヒヤリングなどを行っています。原作者・こうの史代さんへのリスペクトが強くてやっていることだと思いますけど、時代考証をここまでやって映画化した方はいなかったんじゃないでしょうか。最終的に画として使う使わないは別に、その姿勢は確実に画面の中に表れていると思います。のんさんが主人公の声優を務めてくれたことも大きかったです。監督やプロデューサー、いろんな繋がりが奇跡的に重なり完成された作品です。


--それでも、どんなにいい作品でも当たる当たらないは始まってみないと分からないのが映画の難しいところですよね。


沢村:そうですね。1本1本が勝負ということもあるので、企画からご一緒させていただく場合はもちろん、出資配給の場合やそうではない場合でも、プロデューサーや宣伝担当者と情報を共有して一緒にやっていくというのは心がけています。単館系ですから。


■新しいミニシアターブームの気配


--現在、ミニシアターを取り巻く状況というのはどう変化しているんですか。


沢村:80年代に始まるいわゆるミニシアターブームがありました。シネコンの興隆、映画人口の減少、デジタル化の波など、様々な要素が重なり次々にミニシアターは閉館となりました。代表格でもあったシネマライズの閉館(2016年1月)もあり、ミニシアターの役割が一段落したと言う見方もあります。でも、次のミニシアターブーム的なものを新たに生み出していかないといけない。ミニシアター全盛期は、映画市場の10~15%程度だったと言われています。それが今は約5%。しかも、放っておくとどんどん縮小してしまう。0になってしまうと、映画業界の多様性がなくなり、作り手たちが小~中規模の作品を発表する場もなくなってしまうので、何が何でも守らなければいけないという風に思っています。


--僕も自分が映画を作り始めて、それを実感するようになりました。シネコンでかけられていない面白い映画はたくさんあります。情報の拡散の仕方などで、まだまだ工夫ができるんじゃないか、という感覚はあります。


沢村:そうなんですよね。宣伝の仕方も変わっていくべきだし、変えていかなければいけない。画一化された作品を受け取るのではなく、多様な映画の中から自分が観たい作品を選ぶことができるのが、成熟した映画社会と言えると思います。嫌な気分の時に、あえて嫌な気分の映画を見て自分が救われることもあると思うんです。その選択ができない状況に陥ると、映画は面白くなくなってしまう。僕らはこの5%を10%に拡げ、作り手が映画を作りやすい環境にしたい。5%というと20人に1人。先日、映画系ではない一般大学で40人の学生相手に講義をさせていただく機会がありました。そこで、『百円の恋』と『恋人たち』のポスターを貼って、見たことがある人!って聞いたら、手を挙げたのは2人だったんです。もちろんこの例だけをとってサンプルにすることはできないけれど、やっぱり5%なんだという実感がありました。5%の人しかテアトル新宿でかかるような単館系作品のことを知らない。そもそも単館という言葉自体を知らない。確かにシネコンができて25年くらい経つので、今の大学生は生まれた時からシネコンで映画を見る環境です。当たり前と言えば当たり前なのですが……。


--ミニシアター的なもののファンが20人に1人というのは、たとえば音楽畑でも昔から変わらない気がします。ただ、映画館に来ていたその1人が、配信系サイトやDVDなどで済ませてしまう時代に差し掛かっているわけですよね。インターネットによって、限りなく情報は広がったのに、どこか劣化してしまった部分もあるなと感じています。


沢村:映画館に関しては、少なくとも無くなることはないと思っているんです。当然、おごってあぐらをかいてしまうような態度では危険だとは思います。でも、作り手が映画館という真っ暗な環境でお客様と対峙する、それを想定して作品を作り続ける以上は無くならない。音楽でいうと、ライブは人が入るようになっているけどCDが売れないというのがありますね。映画に置き換えた場合、映画は複製芸術なので“ライブ感”のような1回性はないですが、ライブ的な要素を持ち込むことはできると思っています。今では当たり前ですが、舞台挨拶やトークショー、最近ではマサラ上映もありますね。ほかにも、絶叫上映や応援上映、クラッカーを鳴らしながら映画を見たり。4DXのような設備投資なしでも、映画館でしかできないことはまだまだあるんです。臨場感や一体感が味わえるという点は、配信やソフトにはない魅力だと思います。もっと映画館自体が色んなことを考えて、お客様に色んな映画の見方を提供したいと思っています。


--恥ずかしい話なんですけど、映画を作り始めるまでは映画館で見なくていいじゃん、って思っていたんです。映画館で見るようにし始めたら、やっぱりこっちの方がいいなって思うようになったんですよね。


沢村:映画館で映画を見ること、それ自体がそもそも身体的なものじゃないですか。映画館に行くという行為が発生するわけですから。となると、体験的に映画を見る演出みたいなものが映画館にはあっていいんだと思うんです。弊社でいうと、上映中の作品に合わせたオリジナルドリンクを作ったり、ロビーに展示ものをしてみたり。すると見終わって出て来た人が、また映画のことを考える時間ができる。僕らは「持ち帰りの感情」と言っているんですけど、笑った泣いたという自分の感情以外にも、見た触ったという体験を演出してあげると外に持ち帰ることができるんです。『百円の恋』なんかは見終わった後に、「隣の駅から走って帰りました」とか、「雨が降っていたんですけど傘をささずに帰りました」みたいな意見が出るわけですよ。それって普通に暮らしていたら絶対にしないことじゃないですか。映画を見ることによって、その人は何かを受け取ったわけで、それこそが映画の持つ力だと思っています。映画館じゃなくても与えることはできるかもしれないですけど、スマホでもテレビでもなく、映画館でそれを感じてくれるのが、作り手にとっても一番の理想ですよね。


--いまおっしゃっていた「持ち帰りの感情」を持てる映画、それが当たる映画とそうではない映画の違いにも言えるのかなと感じました。


沢村:それはわからないです。同じ映画がないのと一緒で、同じ売り方をして当たる映画もないんです。単館系ならなおさらです(笑)。だから、私的には毎回その映画らしい展開ができるかどうかが勝負だと思っています。それは決して予算の大きさや宣伝費のかけ方ではなく、その映画にとってどういう宣伝の仕方でどういうお客様に刺さるか、そこからどう広げるか、それは毎回違う。それをいつも宣伝会議で考えて、フィードバックしています。5%という数字は全体から見れば限りなくコア商売であり、メジャーとアングラで分けたらアングラでしかないんですよ、僕らの世界は。アングラになればなるほど画一化できませんし、同じやり方で当たるものはない。本当は決まった宣伝のやり方で、作品を変えても大ヒットが続くのが労力も少なくて一番いい。でも、ミニシアター系ではそれはできません。


--映画館=シネコンの図式が当たり前となっているいま、ミニシアターには何が求められているでしょうか。


沢村:100人が見て100人が喜ぶ映画はないとダメです。大きい映画はあった方がいいし、それを上映する映画館は必要です。でも、100人が見て、1人だけが喜ぶ映画があってもいい。そういった映画を観る環境を、我々ミニシアター側が提供し続けないといけない。そこから80年代におきたミニシアターブームに代わる何か新しい動きがお客様から生まれてくれればいいと思っています。実は、2014年、2015年ぐらいからちょっとその雰囲気が戻ってくるかなという手応えは少し感じているんですよ。


--どういった部分で感じたのでしょうか。


沢村:テアトル新宿の来場者数が安定してきているんです。ミニシアター作品や上映する劇場自体も減ってきているので、一概にキープしていることがいいとは言えないんですが。ミニシアターの映画の面白さに気づいた人たち、固定客が数年前より確実に増えてきたんです。あと、今年のメジャー作品の中にも『ヒメアノ~ル』や『怒り』など、キャスティング規模こそ違えど、賛否両論がでるような作品が公開されてきています。お客さんの「映画を観る目」が肥えてきた気がしますし、メジャーさんがそういった作品を作ってくれることは大歓迎です。


--そのためには映画の“ファッション化”がもっと必要なのかもしれません。90年代後期、レコードがものすごい流行ったじゃないですか。あれはDJブームから派生したファッション面も大きかったんですけど、あのブームによって、アナログに触れる人が増えたのはとてもよかったと思うんです。それが根っこになって、今また新たなアナログブームが来た。でも、今のブームは本当に好きな人が残った足腰の強いブームになっている感じなんですよね。


沢村:いや、好きな人が残った足腰の強いブーム、いいですね。SNSの時代ですし、楽しんでいる人が声を上げることが重要だと思います。一方、映画もインディーズシーンはどんどん肥大化していると思います。そして、若い監督がきちんと映画を掘って作ってるというよりは、ファンション的な面も感じます。でも、入口はあっても、かつてあったVシネマやピンク映画といった出口が今はない。映画は商売としての一面も、もちろん持っているわけで、稼ぐことができなければこのシーンは衰退していってしまうんです。インディーズでデビューして、商業映画へ、というステップアップができるのが一番ですが、これからは配信系のドラマなどが監督たちの新たな受け皿になっていく可能性はあるかもしれません。


--『溺れるナイフ』を撮った山戸結希監督のステップアップは、肥大化したインディーズシーンが生み出したプラスの側面と言えるかもしれませんね。


沢村:それこそ『君の名は。』の新海監督だって元々はインディーズのアニメから始まっている人ですからね。彼等のようなスターが出て来くることはとても喜ばしいことですし、そういう風にやっていきたいと思う作り手たちと一緒に仕事をしたいです。(高根順次)