ロン・デニスがチームを去るという話が出たかと思えば、パット・シモンズもそろそろ引退というウワサがちらほら聞こえて来る昨今のF1界。80年代を知る者が少しずつ姿を消していく中、現役バリバリで頑張っているのが、ウイリアムズのスポーティングマネージャーを務めるスティーブ・ニールセンだ(写真左)。そのニールセンにとって、アメリカGPは旧知の友と出会ることができる特別なグランプリである。
その友人とは、ケニー・シュマンスキー。78年からロータスのタイヤマンとしてF1の世界に入ったシュマンスキーとニールセンが出会ったのは、ニールセンがトラッキーとしてロータスに加入した、87年。2人が共にロータスで仕事していたのは、88年までの3年間だった。
その後、シュマンスキーは母国のアメリカへ帰国。インディカーのニューマン・ハースに移籍したものの、2000年にアメリカGPが復活すると、フェラーリからフライアウェイときだけの臨時スタッフとして駆り出され、05年までパートタイムでF1の仕事を続けていた。
ニールセンは91年にティレルへ移籍してアシスタントチームマネージャーに昇進した後、ベネトン、ホンダ(HRD)、アロウズ、ベネトン、ルノー、ロータス、ケータハム、トロロッソと渡り歩き、今年でF1生活21年目の大ベテランとなった。
そんな2人がサーキット・オブ・ジ・アメリカで出会うと、必ず話題に上がるのが、87年にロータスからF1デビューした中嶋悟のことである。ニールセンにとって、初めてのF1チームでの仕事をしたときのドライバーのひとりであり、シュマンスキーにとってはタイヤマンとして初めての日本人ドライバーだった。
「数年前にモテギにインディカーで行ったときにサトルと再会した」と言うシュマンスキー。そのとき、中嶋悟がシュマンスキーに語った最初の言葉がこうだった。
「ケニー、僕のタイヤはどこ?」
その話を聞いて、爆笑するニールセン。コース上でコンマ1秒を戦いながら、F1で働く者たちはコース外で永遠の友情も育んでいるのである。