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『手紙は憶えている』アトム・エゴヤン監督が語る、いま“ホロコースト”を描く意味

2016年10月28日 10:51  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2014, Remember Productions Inc.

 『スウィート ヒアアフター』『白い沈黙』のアトム・エゴヤン監督最新作『手紙は憶えている』が本日10月28日に封切られた。本作は、最愛の妻を亡くしたことさえ覚えていられないほどもの忘れがひどくなってしまったアウシュヴィッツ収容所生存者の90歳のゼヴが、友人のマックスから1通の手紙を託されたことにより、家族を殺した犯人への復讐の旅に出る模様を描いたサスペンスだ。リアルサウンド映画部では、メガホンを取ったエゴヤン監督にインタビューを行い、映画制作におけるスタンスや、主演のクリストファー・プラマーについてなどを語ってもらった


参考:加賀まりこ、黒木瞳、森達也ら、アトム・エゴヤン監督作『手紙は憶えている』に絶賛コメント


■「僕はどんな映画にも“軋轢”が必要だと考えている」


ーーあなたは脚本と監督を兼任することもあれば、監督に専念することもありますね。本作が脚本家デビュー作となるベンジャミン・オーガストの脚本はいかがでしたか?


アトム・エゴヤン(以下、エゴヤン):僕はこれまで15本の長編映画を監督してきて、多くの脚本を自分で書いてきた。だから余計に痛感するわけなんだけど、この作品は完膚なきまでにオリジナルだ。ベンジャミン・オーガストは、我々がどういったことについて恐怖を覚えるのかを知りつくしていて、それを前代未聞の形でストーリーに織り込んでいるんだ。ある意味、とてもシンプルな話の展開だから感情移入しやすい。それに、何重にもストーリーが折り重なっていて、胸が苦しくなるほど複雑な問題を描いているんだ。


ーー自分が書いた脚本を監督するときと、別の脚本家が書いた脚本を監督するときで違いはありますか?


エゴヤン:別の人が脚本を手がけている場合、クランクインの段階で映画の構造の方向性がある程度固まっている。一方で、自分が脚本から手がける場合は、映画が完成する最後の段階まで進化を続けているような感じなんだ。『デビルズ・ノット』の時は例外で、撮影中にいろいろ変更したりもしたけどね。だから、最後の瞬間まで映画が変化し続けていることを周りのスタッフにもわかってもらえるように意識している。そこが一番違うところかな。


■『手紙は憶えている』撮影現場の様子


ーー脚本から改変した部分はありましたか?


エゴヤン:脚本では過去の回想シーンがあったんだけど、完全に現代の物語として綴ったんだ。そこが唯一脚本から改変した部分だね。実際は音での回想はあるけど、視覚的な回想は使っていない。そうすることで、ありきたりな映画的手法になるのを避けたんだ。それに、5年後、10年後にこの作品を作ろうとすると時代劇になってしまうけど、いまは戦争を体験した最後の存命者たちがいる。人生の最後の章に入っている登場人物たちの中では、自分たちの経験した歴史が未だに現在進行形で続いているんだ。映画の中で年老いた人が歴史を語ったりすると、そのことに対して何かケリをつけていたり、心の安寧を見つけていたりする描き方が多いが、この作品では、主人公のゼヴはまだまだ憤怒を感じている。戦争を体験してきた人たちとともに、未だに残り続けているこの問題に向き合って映画を作れるのは、これが最後の機会だと思ったんだ。この作品は、第二次世界大戦という題材を、現在進行形の問題として描くことのできる最後の映画になるだろう。その時代特有のトラウマが世代を越えて、どのように屈折していくか、僕はそこに一番興味があるんだ。歴史的な出来事が、加害者や被害者の子どもたちにどのような影響を与え、彼らの人生をどうねじ曲げてしまうのか。どんな結果をもたらすのかは誰にもわからないことで、予期せぬ変化を映画の中で追いかけていくことになるんだ。


ーー毎回異なるテーマを描きながらも、あなたの作品にはサスペンスやミステリーといった要素が常に盛り込まれているように感じます。


エゴヤン:僕はどんな映画にも“軋轢”が必要だと考えている。僕の場合、それが事件の被害者であったり、何かを強いられてしまった結果であったりして、キャラクターが自分たちに起きてしまったことに対してどう向き合うか、さらに、それととともに生きていかなければいけないということになる。そういう意味で、僕の作品には個人や国家、文化的なレベルで歴史と向き合う作品が多く、それが僕のこだわりでもあるかもしれない。それは、自分自身の育ち方や、今の生き方などからやってくるんだと思う。


■「この作品を作りたかった理由のひとつがプラマーだった」


ーー今回の作品は、あなたのルーツでもあるアルメニア人虐殺を描いた『アララトの聖母』とも繋がるような作品だと感じました。自身の出自が本作に与えた影響もあるのでは?


エゴヤン:ホロコーストを描くということは、誰もが知っている事件を描くことだ。今回の作品では、そのような題材を扱いながら、トラウマがいかに人物の中に長く残っていくかという極めて私的なテーマと向き合うことができた。『アララトの聖母』は、歴史の説明をしつつストーリーを進めなければいけない上に、四世代に渡る物語だったため、本当に複雑な構造で作る必要があった。それに対して、今回の作品で描いたホロコーストは説明が不要で、細かいディテールを説明することなしに、一風変わった旅路に観客を誘うことができる。ただ、物語の後半で登場する少女が「ナチってなに?」と言うように、ホロコーストも次の世代では誰もが知っているような集約的な記憶ではなくなるかもしれないね。


ーーその『アララトの聖母』以来のタッグとなるクリストファー・プラマーとの仕事はいかがしたか?


エゴヤン:この作品を作りたかった理由のひとつがクリストファーだったんだ。脚本を読んだとき、途中から彼のイメージが浮かんできて、いまの彼の人生の段階になんてぴったりな役なんだろうと思った。この作品に出演してもらうにあたって、彼が出演した舞台作品をすべて観劇し、彼の自伝も読んだ。じっくり2回読んだおかげで、彼自身が忘れてしまったような出来事まで説明できるようになってしまったよ(笑)。今回のゼヴの役作りで決定的だったのは、撮影の何ヶ月も前にコネチカット州にある彼の家を訪問したときのことだった。僕を出迎えてくれた彼はシャワーを浴びたばかりで、髪が濡れて後ろに流されていた。それを見た瞬間に、僕は彼に告げたんだ。「その髪型でいこう!」とね。それは、これまでに見てきた彼のどのスタイルとも違っていた。今思えば、あれがゼヴを作り上げていく行程の最初の共同作業だったね。彼はこの作品で、いままでに見せたことのない芝居を披露している。ゼヴは非常に不自然な環境に置かれながらも、クリストファーはとても自然な演技をしている。その不自然さと自然さの緊張感が、彼の芝居をより魅力的にしているんだ。まさに“演技マシーン”だね。それに、マーティン・ランドーやブルーノ・ガンツをはじめとする、この年齢の素晴らしい役者たちも人生最高と言える演技をしている。彼らを演出している瞬間、これを世界にいつシェアできるのかすごくワクワクしていたから、ぜひその目で確かめてほしいね。


(取材・文=宮川翔)