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長渕剛、ファンとの信頼関係を確かめた夜 決意の「乾杯」歌ったスペシャル公演レポート

2016年10月24日 16:11  リアルサウンド

リアルサウンド

長渕剛(写真=辻徹也)

 2016年9月8日、Zepp Tokyoーー。ビシっとキメ込んだスーツに帽子とサングラス。体はひと回りもふた回りも大きくなったが、歳を重ねようとあの頃の“アニキ”と何も変わっちゃいない。そこから発せられるエネルギーはあの頃よりも強靭になっている。「あと10年、」昔、そんな言葉をよく口にしていたのを覚えている。当時、その“10年”が短いのか長いのかはわからなかった。ただ、先のことを考えることができないくらい、ギリギリだったのだろう。


(関連:長渕剛『THANK YOU ACOUSTIC TOUR 2016』写真はこちら


 あれから、10年どころか、20年、30年が経つ。


「60歳になったぜ! 世の中じゃ、還暦、還暦というけど、オレには関係ねぇ!!」


 2016年9月7日、長渕剛が60歳を迎えた。


 昨年8月、『10万人オールナイト・ライヴ in 富士山麓』という前人未踏の山で10万人とともに奇跡を起こしたアーティストは、この先どこへ向かおうとしているのか? そのひとつの答えを見た気がした。8月12日鹿児島県・宝山ホールより始まったファンクラブ限定の特別な全国ツアー。『THANK YOU ACOUSTIC TOUR 2016』である。


 今年初頭、Blu-ray&DVD『富士山麓 ALL NIGHT LIVE 2015』リリース時のインタビュー(http://realsound.jp/2016/01/post-6131.html 長渕剛が語り尽くす富士山麓ライブ、そして表現者としての今後「世の中に勇気としあわせの爆弾を落としていく」)で長渕は「今年はゆっくりしようかと思っている」「今後のことをきちんと考える」と語っていた。そして、「ファンとの信頼」のことも。それが明確に現れたツアーになった。


 ステージに置かれたグランドピアノに今宵のパートナーである中西康晴が座る。80~90年代に長渕サウンドをともに創り出してきたキーボーディストだ。尖っていた30代の長渕を支え続けた盟友が奏でるジャジーなピアノの旋律が、軽快なブギーへと変わると、サスペンションライトに照らされた長渕が軽快にステップを踏みながら歌いだす。いつもより小さいスタンディングの会場と相俟って、大衆酒場に狂い咲いたバレルハウスのような雰囲気で「BAY BRIDGE」が始まった。これまで幾度もアコースティック形態のライブを行ってきたが、今までとは少し趣向が違う。ブルージーでジャジーで、アダルトな雰囲気で気の合う仲間と音楽を愉しむ、そんなライブだ。


 長渕と中西が一緒のステージに立つのは20年以上ぶりになるだろうか。しかし、2人は阿吽の呼吸を魅せていく。流麗なピアノの旋律に合わせて長渕が語り出した。「1年前の今頃、よくぞみんな富士にきてくれた、ありがとう!」感謝の意と天候への不安、1年前の気持ちを思い出すように口にすると「生意気なパートナー」が歌われた。これまでほとんど歌われたことがなかった、20代の頃に作られた男の弱さを歌ったラブソング。「好きで好きでたまらないヤツが、はるか何百キロも遠くで待っていてくれたとしたら、オレはどんな思いをしてもそいつに会いにいく」そう語った後に60を迎えた男が歌うこのラブソングは別の意味にも聴こえてくる。


 神秘性を帯びた「かりそめの夜の海」「海」など、これまた久しぶりとなる美しいメロディの歌が続く。両曲ともに発表されて20年ほど経つ楽曲だが、決して古くはない。かといって「色褪せない」と言ってしまうのは違う気がする。長渕の歌はいつもそうだ。時代によってさまざまに形を変えながら、聴く者の心に襲いかかってくるからだ。長くファンであればあるほど、歌に対する思い入れも思い出も多くあると思うが、ふとしたときに、歌の持つ違う表情に気づくときもある。


 筆者自身、子どもの頃から長渕剛の歌を聴いてきた人間だが、あの頃は表面の言葉だけをなぞっていただけだった。歳を重ねるごとにそこに込められた意味がわかるようになった。他人事のように思っていた出来事が、自分の身に降りかかってきたとき、初めて気づくこともあった。長渕の歌に励まされたこともあれば、心をえぐられたこともある。疑問も投げかけてくる。ときに「それは違うだろ?」と思うことだってある。長渕剛というアーティストは完璧なわけではない。それが実に人間らしいところであり、大きな魅力なのだ。


 「交差点」で一緒に歌っていたファンの合唱が、歌の入りを先走り、長渕に「せっかちだなぁ(笑)」と諭される場面があった。別れの歌であり、哀しみの曲。本来はじっくり聴き入る歌だ。これを書いた20代の頃はほとんど歌われていない。それが、30代になってから歌われるようになり、いつしかみんなで歌えるような曲になった。哀しみが思い出に変わった。歌が深化したのだ。そして、30代の頃、病気の母への想いを綴った「MOTHER」。この日歌われた「MOTHER」は今の長渕ならではのものであり、「歌は生きているんだ」と改めて感じた瞬間でもあった。


 「自分で書いた歌なのに、自分に刺さってくる時がある」ーー長渕は昔、そう言っていたことがあった。怒り、悲しみ、喜び……、己の感情をそのまま歌にしてきた。これほどまでに自分を包み隠さず晒け出すアーティストはそうはいないだろう。ゆえに他者から誤解を招くこともあれば、そのまま自分に降りかかってくることもある。だから自然と歌わなくなった曲もあるし、自ら封印してきた曲もある。そして、時代によって歌い方もアレンジも、時にメロディですらも変わる。


「ラジオから、昔の俺の曲が流れてくることがあるんだけど…すごく嫌なんだよね。俺はあの時よりもず~っと先に進んでるつもりなのに、長渕剛の過去も現在もなく、そのまんまの形で流れてしまうラジオを聴いている人間には、俺がどれだけ進んだかなんて関係ない、どっちでもいいことなんだよね。」
「24歳の時によく書けたな…なんて詩もある。すでに作品として輝いてる昔の曲を、今の声で、今の気持ちで歌い直そうと思ったんだ──。」


ーーアルバム『NEVER CHANGE』ライナーノーツより


 1988年にリリースされた『NEVER CHANGE』は78年にデビューした長渕が10年を迎え、シングル曲ではない楽曲をニューアレンジでセルフカバーした作品だ。20代から30代へ。ライブはギター1本からバックバンドをつけるようになった。ファルセットを巧みに使った澄んだ歌声もいつしか野太く、吠えるような歌声になった。トレードマークだったサラサラのロングヘアーも短く刈った。長渕にとっての最初の10年はアーティストとして、人間として大きく変化した10年であった。


 このアルバムからシングルとしてリリースした「乾杯」が大ヒットした。ファンのみならず、今なお世代を超えて多くの人に歌われ愛されている歌だ。「Aメロ→Bメロ→サビ」という90年代の音楽シーンに確立された楽曲展開を持たず、抑揚のついたおおらかなメロディは、唱歌に通じるような普遍性を持った歌である。この日のセットリストの中で、唯一歌われたシングル楽曲がこの「乾杯」だった。ファンは長渕本人のことはもちろん、“長渕の歌”が好きだ。だからライブでは声高らかに長渕とともに歌う。「乾杯」はその象徴といえる歌である。東日本大震災後に航空自衛隊松島基地でこの歌を贈ったとき、自衛隊員が肩を組みながら合唱する光景も印象的だった。


 富士のあと、長渕は「ヒット曲はもう歌いたくない」そういった胸中を幾度となく明かしていた。歌われた「乾杯」は我々の知っているものではなかった。


 「騙されねぇぞ、マスコミ」赴くまま怒りをぶちまけるような詩、新曲と思われた節に続いて、そのまま突如「乾杯」が始まったのだ。これまでは“ともに歌う”「乾杯」であるのなら、この日は“じっくりと聴かせる”、いや、“聴く者をねじ伏せる”「乾杯」だった。激しく打ち鳴らされるギターと、けたたましく咆哮する歌声。会場全体が鬼気迫る長渕の姿に飲みこまれていく。これは穏やかな祝杯ではない、同じ志を持つ者が盃を交わし、ともに闘っていく決意の「乾杯」だった。


 「勇気としあわせの爆弾を落としていかなればいけない」先述のインタビューで語っていた言葉だ。「歌を書き続けてファンと一緒にロックして、世の中に発信していく」「研ぎ澄ました歌を書きたいという気持ちは以前より強い」とも。一緒に、自分の原点であるギター1本とハーモニカだけでステージに立ち、自分をもっとも愛してくれるファンといつもより近い空間で信頼関係を確かめ合い、ともに闘っていくことを誓った夜だった。


 この公演終演後、最大の理解者でありパートナーである悦子夫人が「とてつもない緊張感の中でのライブ」「一秒の狂いも間違いも許されない現場の殺気のような空間から生まれるもの」と自身のブログに綴っている。(http://nagabuchietsuko.com/blog/4765/ 「こっから!!こっから!」長渕悦子 official site)長渕自らが音響、照明など演出に関わるすべてをプロデュースし、一切手を抜かないことは知られているが、それはたとえ、10万人の壮大なライブでも、2000人のライブでもそこに注がれる熱量は同じ、常に命懸けである。セットもないシンプルなステージだったが、照明の動き、色、楽曲ごとにこまめに持ち変えるギターのタイミング、各ギター、ピアノの音……、すべてにおいて寸分違わぬ完璧に近いステージであったことは言うまでもあるまい。


 長渕剛ほど、良くも悪くもパブリックイメージが両極端になるアーティストもいないだろう。好きな人はとことん好きだが、そのぶん苦手な人も多いのも事実だ。現在、長渕剛LINE公式アカウントの登録者数は72万人を超えたという。無論、内容の充実さ面白さもあるし、その数すべてがファンだということではないだろう。だが、それだけ注目されている存在であるということは間違いない。60歳を超えて、今なお刃を研ぎ澄まし、これだけの影響力を与え続けるアーティストは日本に、世界に、何人いるのだろう。


 音楽は多様化し、その在り方も愉しみ方も変わった。この先ますます変わっていくはずだ。そんな中で長渕剛はどんな歌を書き、歌っていくのだろうか。我々の心の中にどう響いていくのか。楽しみで仕方ないのだ。(冬将軍)