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ボン・イヴェール、フランシス......世紀の発明 Prismizerが生んだ“デジタルクワイア”とは?

2016年10月23日 18:01  リアルサウンド

リアルサウンド

ボン・イヴェール『22、ア・ミリオン』

 今、アメリカではポップ・ミュージックの地殻変動が起こっている。


(参考:マックスウェル、フランク・オーシャン……晩夏に聴きたい“メイル・ソウル・ミュージック”選


 フランク・オーシャン、チャンス・ザ・ラッパーなど、ヒップホップ、R&B、フォーク、エレクトロニカという既存のジャンルの垣根を超えて、今までに聴いたことのない感触を持つ素晴らしい作品が次々と届いている。そして、その作り手たちを辿ると、実は点と点が見事につながっている。


 いろいろ調べたところ、どうやら「Prismizer」と呼ばれる1つのボイスエフェクターの発明が、そこに大きく関わっているようなのである。オートチューンともボコーダーとも違う、“デジタルクワイア”とも言うべき多層的なエレクトロニック・ハーモニーを生み出すソフトウェアだ。


 今回のキュレーションでは、実際にそれを用いているボン・イヴェール、フランシス・アンド・ザ・ライツ、カシミア・キャットの新作3枚、そして新たな潮流に同時代性を持って呼応している日本のアーティストであるillion、yahyel、CAPESONの新作3枚をセレクトした。


・ボン・イヴェール『22、ア・ミリオン』


 2011年に発表した前作『ボン・イヴェール』でグラミー賞の最優秀新人賞を受賞した“天才シンガーソングライター”ジャスティン・ヴァーノンのソロ・プロジェクト=ボン・イヴェールによる、5年ぶりの新作。すでに各メディアからは絶賛が集まっている。個人的にも、2016年の最重要作だと感じている。


 もともとフォークをルーツに持つ彼。でも、その音楽は、土着の俗っぽさではなく、どこか神聖さを感じさせる澄んだ空気感に魅力があった。それを成り立たせていたのが、アンビエントやエレクトロニカへの接近と、美しいハーモニーだった。一人でファルセットからバリトンまでを歌い分け、オートチューンも用いつつ、何層にも重ねるコーラス。そこにはゴスペルの高揚感と、その裏腹で、孤独を感じさせる閉ざされた完璧さがあった。


 ちなみに、彼の名を一気にワールドレベルに引き上げたのが、カニエ・ウェストの最高傑作『マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー』(2010年)へのフィーチャリング参加だ。


 この出会いが、ヒップホップとゴスペルとフォークとR&Bとエレクトロニカが混じりあう2010年代の新たなアメリカ音楽シーンの潮流を生み出すきっかけになったんじゃないかと僕は推測している。


 ともかく。新作では彼独自の美意識がさらに推し進められている。


 注目は、ボーカリゼーションのさらなる進化だ。彼自身の歌声とデジタル加工された歌声が混じりあうことで、さらに重層なハーモニーを実現している。通常の人間には出せない音域である低音の声がその厚みを増している。


 今年2月の来日でも、たった一人でエフェクターを駆使して多層的なハーモニーを生み出していた彼。海外メディアのインタビューを読むと、今作には「The Messina」という名のボイス・エフェクターが駆使されているようだ。市販はされていない。クリス・メッシーナという彼専属のエンジニアが開発したものだ。これを使うと、ライブでもリアルタイムで電子的なハーモニーを生み出すことができる。


 そして、彼が「The Messina」の開発をエンジニアに依頼するきっかけになったのが、(これも市販はされていない)新たなボイスエフェクトのソフトウェア「Prismizer」に、とあるコラボレーションを機に出会ったことだった。


・フランシス・アンド・ザ・ライツ『Farewell, Starlite!』


 では「Prismizer」を開発したのは誰なのか?


 それが、ニューヨーク在住のアーティスト、フランシス・フェアウェル・スターライトだ。彼によるプロジェクト、フランシス・アンド・ザ・ライツの初のフルアルバム『Farewell, Starlite!』を聴くと、R&Bをベースにしたその音楽性が、ボン・イヴェール『22、ア・ミリオン』と深くつながっていることがわかる。


 というより、コラボを通してより直接的に両者は結びついている。アルバムのリード曲「フレンズ」で、カニエ・ウエストとボン・イヴェールをフィーチャリングしている。


 ここでもキーになっているのはエレクトロニック・ハーモニーだ。アルバム全体を通しても、ピアノの詩情と電子音のひんやりとした冷たさの上で、デジタル加工された声が独特の歌心を見せる一枚になっている。


 それを成り立たせているのが、彼自身が開発したエフェクト「Prismizer」。詳しい仕組みはわからないが、オートチューンともボコーダーとも異なり、まるでプリズムのように一つの声から多重コーラスを生み出すソフトウェアのようだ。


 僕自身は機材方面に疎いので周囲の詳しい人に訊いたところ、旧来のハーモナイザーでは単に3度上とか5度上のように音程を変化させるだけなのでどこかで不協和音になってしまうところを、キーやコード進行をリアルタイムで解析して和音を生成し多彩なハーモニーを生み出すことのできるソフトウェアなのではないか、ということだった。


 ちなみに、フランシス・アンド・ザ・ライツはすでに各方面にフィーチャリング参加し、この「Prismizer」を使った歌声を披露している。各方面から大絶賛を浴びたチャンス・ザ・ラッパー『カラーリング・ブック』には、「サマー・フレンズ」「オール・ウィー・ゴット」の2曲で参加している。チャンス・ザ・ラッパーはアップル・ミュージックのゼイン・ロウのインタビューに答えて「まるで15体のサイボーグがオートチューンを使って歌ってるみたいだった」とフランシスの歌声を評している。


 そして、彼はやはり2016年を代表する一枚であるフランク・オーシャン『ブロンド』にも「クロース・トゥ・ユー」で参加している。


 どうやら、フランシス・アンド・ザ・ライツが2016年のアメリカ音楽シーンの「影のキーパーソン」であることは間違いなさそうだ。


・カシミア・キャット『ワイルド・ラブ』


 そして、やはりフランシス・アンド・ザ・ライツが参加し「Prismizer」を駆使したエレクトロニック・ハーモニーを響かせているのが、カシミア・キャットの新曲「ワイルド・ラブ」。この曲にはザ・ウィークエンドもフィーチャリング参加し、色気ある歌声を聴かせてくれている。


 カシミア・キャットはノルウェー出身のDJ/プロデューサー。ハドソン・モホークやラスティーを輩出したレーベル<Lucky Me>所属で、今のエレクトロの最先端を突き進んでいるトラックメイカーの一人だ。カニエ・ウエストやリアーナ、アリアナ・グランデなどのビッグネームとの仕事で名を上げてきた彼。今年のサマソニでも衝撃的なライブを見せてくれたが、この原稿を書いている10月時点では、まだフルアルバムのリリースは未定。次の時代の主役の一人になりそうな予感がする。


・illion『P.Y.L.』


 さて、ここからは日本のアーティスト。まず取り上げたいのはillionのセカンド・アルバム『P.Y.L.』だ。


 RADWIMPSの野田洋次郎のソロ・プロジェクトとして始まったillion。なので、どうしても日本ではその文脈で捉えられることが多く、バンドとの比較で語られることが多い。特に『君の名は。』と「前前前世」が大ヒット中、11月にはRADWIMPSとしての新作のリリースも控えている今なら尚更だ。


 しかし、そういう先入観とか前提を全部取っ払った上で、まずは以下の動画を見てほしい。3年前の2013年にロンドンのシェパーズ・ブッシュ・エンパイアで行われたillionの初ライブの映像。披露されたのはファースト・アルバムに収録された「GASSHOW」だ。


 これを率直に聴けば、ここまで語ってきたボン・イヴェールやフランシス・アンド・ザ・ライツと同じ文脈にillionを位置づけることができるのではないだろうか。「Prismizer」は使っていないにしても、やはり野田洋次郎もエレクトロニック・ハーモニーに挑んでいる。


 アルバム『P.Y.L』でも、電子音を主体に、声を重ねることで孤独を浮上させるような新たなスタイルのソウル・ミュージックを開拓している。5lackをフィーチャリングした「Hilight」など、まさにエレクトロニカとヒップホップとソウルが折衷する新しい刺激を形にしている。


 また、アルバムの最大の聴き所はラストに収められた「Ace」だ。ダークなピアノから始まり、曲後半にかけて野田洋次郎の歌声が徐々に折り重なっていくことでホーリーな響きが増していく一曲。静かに、しかし確実に胸を震わせてくれる。


・yahyel『Once/The Flare』


 そして驚いたのがyahyel(ヤイエル)。今年のフジロックのルーキーステージにも登場し、シングル『Once/The Flare』をリリースしたばかりのニューカマーだ。なのだが、最初に聴いた時には全く日本人だと思わなかった。クールで、洗練された色気あるエレクトロニック・ソウル。歌詞も全て英語。まさに国境を感じさせない音楽をやっている。


 おそらく数年前、フランク・オーシャンらが登場して新しいムーブメントが形になりつつある時(ここまでメインストリームになった今は最早似つかわしくない言葉だが、当時はまだ「インディR&B」という言葉でそれが括られていた)から、それに呼応する感性を自然体で研ぎ澄ましていったのだと思う。


 11月23日に初のアルバム『Flesh And Blood』がリリースされる。とても楽しみ。


・CAPESON『HIRAETH』


 そして、もう1人。今の日本に勃興している新たな音楽ムーブメントのキーパーソンと言えるのが、宇多田ヒカルのアルバム『Fantôme』にも「ともだち」で参加していた、OBKRこと小袋成彬。彼がかつて在籍したN.O.R.K.も、これらの動きにいち早く呼応し、オリジナルな感性で浮遊感と神聖さを音にしていたR&Bユニットだった。


 彼はN.O.R.K.解散後にインディ・レーベル<Tokyo Recordings>を立ち上げ、シンガーと同時にレーベル代表として活動しつつ今に至るのだが、その<Tokyo Recordings>の有望新人がCAPESON。1989年生まれ、東京出身のシンガーソングライターだ。


 10月19日にリリースされたばかりのデビューアルバム『HIRAETH』には、彼の繊細な表現力を持った歌声を活かした楽曲が詰まっている。「Walk Away」のコーラスも聴きどころだと思う。バンドスタイルのアレンジにホーン・セクションを大々的にフィーチャーしたサウンドで、R&Bのクールネスと色気だけでなく、どことなく陰鬱な影のようなものが感じられる。そして、やはりハーモニーがポイントだ。


 yahyelの3人も海外経験のある面々だが、彼も幼少期をボストンで過ごした経歴の持ち主。そういうところも、国境を軽々と超えるセンスにつながっているのかもしれない。


(柴 那典)