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映画館は作品の魅力をどう“宣伝”する? 立川シネマシティによる『この世界の片隅に』戦略

2016年10月21日 19:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

 東京は立川にある独立系シネコン、【極上爆音上映】で知られる“シネマシティ”の企画担当遠山がシネコンの仕事を紹介したり、映画館の未来を提案するこのコラム、第9回は“映画館独自の宣伝”について。


 まず最初に、前回のコラム(邦画“日本語字幕つき上映”のメリットと課題ーー『シン・ゴジラ』『君の名は。』の実績から考える)で邦画の日本語字幕つき上映について書かせていただきましたことの結果報告とお礼を。状況に一石を投じるため、シネマシティの『シン・ゴジラ』【極上爆音邦画字幕版上映】を観に来てくださいと青臭く呼びかけたところ、大変大きな反響をいただき、字幕なしの通常版を上映していた前週よりも格段に動員が増えました! 本当にありがとうございます。情報を広めてくださった方、ご来場くださった方に、心より感謝申し上げます。嬉しくて、びっしり埋まった座席表を見ながら泣きそうになりました。


 そしてさらに嬉しいお知らせ。その回の後半でちらりと紹介させていただいた、メガネ型ディスプレイ端末をスマホに接続して上映中に字幕を表示させる「UD CAST」が来年からTOHOシネマズ様で導入が決定したとのこと。なんて素晴らしい! これはシネマシティも導入の検討に入らなければ。あとメガネディスプレイ使って何か面白いことできないか考えよう。空耳ニセ字幕上映とか(笑)。


 さて、本題に。映画の宣伝は基本的に配給会社が行うものですが、しかしとりわけ独自の取り組みを行う場合などは劇場も頑張らなければなりません。様々な劇場が、ユニークな取り組みを行っています。お住まいの近くの劇場でも、スタッフのコメントを掲出していたり、独自の装飾をしたりしているのを見かけたことがあるのではないでしょうか。あるいはブログやメルマガをやっている劇場もあります。


 僕が働いているシネマシティは東京都立川市だけにある映画館で、零細企業です。パチンコやボーリング場もいっしょにやっているとか、ショッピングセンターに組み込まれているのでもなく、ただ映画館だけをやっています。 そんなシネコンとしてはちっぽけな存在ですので、とにかく政治力もなければ、お金もないわけです。なにか面白いことを思いついて実行するとなっても、新聞や雑誌、テレビやネットに広告を出すわけにもいかず、せいぜいチラシを作って劇場に置くか、ポスターを貼るくらいです。


 ですが、そんなか弱き者のためにこそ、インターネットはあります。ネット、とりわけソーシャルネットワークサービスの誕生が、シネマシティの成功を生み出してくれました。


 現在シネマシティでは、広告にかける費用はほぼゼロに近いのです。おつきあいのあるマスコミ各社へのプレスリリースすら出していません。ポスターやチラシのデザイン、そこに書き込む文章もすべて僕がやっているので、ライターやデザイナーにお願いすることもありません。それゆえに素人くさいのですが、それも一種の味わいになればいいやと割り切っています。


 使う武器は3つ。自社のホームページ、会員様(Web予約時に登録していただく)へのメール、Twitterです。大切にしていることは、思わず笑ってしまうようなものであること。あるいは涙がこぼれそうになるようなものであること。胸が熱くなるようなものであること。誰かに話したくなる知識や情報が含まれていること。作品への愛が伝わるものであること。 つまり、きちんとエンタテイメントになっているかどうか、ということですね。 先日、こんなニュースを出しました。


どうしても、観てほしい映画があります。『この世界の片隅に』11/12(土)公開【極上音響上映】決定。


 予想を遙かに超える大きな反響をいただき、片渕監督、松原作画監督からもTwitterでコメントをお寄せいただきました。いくつかのニュースサイトにも取り上げていただき、この宣伝自体を話題にすることができました。


 『この世界の片隅に』は、戦時の広島が舞台であり、こうの史代という稀代の天才漫画家をご存じなければ、よくある戦争の悲惨さを伝える教育的アニメーションのひとつだと思われるかも知れません。多くの方に興味を持っていただくのはそう簡単ではないように思えます。


 ですが、実際の作品はそうではありません。ただ反戦的でも、もちろん好戦的な内容でもありません。横暴な日本兵のようなティピカルなキャラクターなどが出てくることはなく、一人の若い女性の日常生活を淡々と描くことで、戦争とはどういうものであったかを浮かび上がらせるのです。あるいは、幸福とはどういうものであるか、をです。


 僕は『夕凪の街 桜の国』からのこうのさんのファンで、今作には強い思い入れがあります。ですが、想うだけではいくら強く想っても、たくさんの人に伝えることはできません。ではこの作品を観てもらうために、何ができるか?


 先ほど挙げたエンタテイメントの原則、泣き笑い、知識や情報、愛、を網羅することが、人の心を動かします。それらを組み立てる前に、事前準備として、まずはターゲットを明確にすること。あまり広範囲にすると濃度が薄まるので、僕は今回、“すでにこうの史代作品を知っている人”に絞りました。年代や性別は問わずです。


 ここから企画自体を組み立てていくのですが、今回はテーマを“宣伝”に限っていますので、この過程は割愛。 具体的に行うことは、音響家に依頼して音響調整を行うこと。試写会を開催すること。それ以外に公開直前か直後にもうひとつ隠し玉企画を出せたらいいな、ということが決定。


 さて、これをどう知らせるかが勝負です。ですが、あまり凝ったり、気取ったことをするのはこの作品に向いていません。素直な気持ちを記すのが一番良いと考えました。


 素直な気持ち。だからメインのキャッチコピーは「どうしても、観てほしい映画があります」。これ以上シンプルなものはないというくらいシンプルなメッセージです。これを補完するのに「だからこそ、シネマシティができることを、尽くさなくては」という一文。これも素直な気持ちです。そしてこれは同時に企画の概要でもあり、愛の具体的な証明でもあります。


 シンプルですのでテクニカルなことはほとんどしていませんが、ひとつだけ。 先に“ターゲットはこうの作品を知っている人”と書きましたが、そのため、実はこの文章、なぜ“どうしても、観てほしい”のか、あえてその理由を述べていません。通常の作文法としては、これでは失格です。思いだけが先行していて、説得力がないからです。ですが、そもそも広い層に訴えようとしなければ、つまり、こうの作品を読んでいるという共通基盤を持っている方だけに伝えるのなら、その理由を詳細に記すことは、むしろ限定してしまうことにつながります。だから劇場としては“姿勢”を示すにとどめました。


 多くの方に観てほしい、という気持ちはファンに共通しているでしょうが、その理由は様々でしょう。だからあえて書かないことで、それぞれの心に、それぞれの想いが浮かぶようにしたのです。そうすれば、その方ならではの言葉で、その方の家族や知人に、情報を拡散してくださいます。個々人の胸に届く、それよりも強い訴求力のある“言葉”は存在しないと考えるからです。


 そして仕上げに“情報と知識”を盛り込むことです。これもエンタメの基本のひとつ。新しい情報や知識を得ることは喜びであり、人に話したくなります。そこで用意したのが、同じ極上音響上映でも、いつも上映しているところとは違う劇場にある、デジタルのシステムにアナログの機器をはさむことでデジタル臭さを中和するサウンドシステムを利用しての上映です。作品の手描き感ともぴったりマッチします。このサウンドシステムはまだあまり広く知られていないので、シネマシティによくご来館いただいている方にも、新しい情報/知識として受け取っていただけ、以上でエンタテイメントが完成です。最初に絞ったターゲットをここで少し拡充することも意図しています。


 これは、作品と企画内容と告知方法を、非常にうまくかみ合わせることができた例です。もちろん配給会社様の協力なしにできることでもありません。ここまで高められれば、宣伝を“ニュース”にできます。なかなかすべての宣伝や告知をこのレベルにまで持って行くことは難しいですが、小さな情報の告知であっても、できる限りその作品のファンの方に喜んでいただけるように力を尽くします。それが拡散していただくために行っていることです。


 情報を、単なる情報としてではなくエンタテイメントに仕上げて提示する。ただ広く知られることだけを目的とするのではなく、そのことで映画館がお客様をエンタテイメントできる時間を拡張することが真の目的です。上映している間だけから、観る前、観た後まで、楽しんでいただく。


 まだまだ足りていませんが、アイディアならあります。You ain't heard nothin' yet !(お楽しみはこれからだ)(遠山武志)