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Galileo Galileiの“ラストライブ”は、ひとつの区切りだが終着点ではない 武道館公演で感じたこと

2016年10月20日 18:11  リアルサウンド

リアルサウンド

Galileo Galilei(撮影:エンドウ アキラ)

 『パレード』『PORTAL』『ALARMS』『Sea and The Darkness』という4枚のアルバムで音楽的進化を遂げたこれまでのキャリアが、目の前でひとつに繋がっていくようなライブだった。2008年、10代限定のティーンネイジロックフェス『閃光ライオット』に優勝して2010年にメジャーデビューを果たし、今年1月にリリースした最新作『Sea and The Darkness』をもってGalileo Galileiの“終了”を発表した尾崎雄貴(Vo./Gt./Key./Prog.)、佐孝仁司(Ba./Key.)、尾崎和樹(Dr./Per./Pn./Prog.)の3人。ラストライブとなった武道館公演は『Galileo Galilei Last Live~車輪の軸~ at 日本武道館』と名付けられ、キービジュアルとして彼らの歩みを車にたとえたスティーヴン・チータムのイラストを起用。このバンドには珍しく、これまでの歩みを過去へとさかのぼるセットリストが用意され、彼らがGalileo Galileiとして回してきた車輪の最後の回転を見守る場となった。


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 立見席も開放し、超満員となった会場に3人がふらっと登場すると、尾崎雄貴が「ハロー」と呟いて、まずは『Sea and The Darkness』から「クライマー」「恋の寿命」「嵐のあとで」を披露。弾き語りのデモを出発点とし、歌や楽曲そのものに焦点を当てたサウンドは、以前に比べてどっしりとしたスケール感を持ち、そこにフリートウッド・マックら70年代のロック・バンドからアーシーなサザンロックまでを詰め込んだ豊富な音楽性が溢れ出す。彼らが手にした「普遍性」を象徴するような立ち上がりだ。続いて披露された『ALARMS』(2013年リリース)の収録曲「サークルゲーム」では、淡いリバーブがかかったソフトサイケ風の音響美やビーチ・ボーイズにも通じる流麗なコーラス・ワークで、海外のポップ・ソングの構造を吸収していった時期の楽曲を披露。本作はポップ・エトセトラのクリス・チュウのプロデュース作品で、後に実現するアークティック・モンキーズやThe 1975のプロデューサー、マイク・クロッシーの参加を前に、人脈が海外にまで広がりはじめた時期でもある。


 以降もライブはさらに過去へ遡る。制作に初めてラップトップを導入し、当時の海外インディ・ロック勢やチルウェイヴ、エレクトロと共振した2012年リリースの2ndアルバム『PORTAL』は、現在までの道のりを決定づけた作品だった。本作からは「明日へ」「さよならフロンティア」、そしてインディーズ時代からの盟友・Chimaをコーラスに迎えた、アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(フジテレビ系)の主題歌「青い栞」を披露。改めて聴いても、フレーズを基調に組み立てる楽曲が増えるなど、この時期にバンドのアレンジが一気に多様化したことが伝わってくる。しかし、すべての楽曲に言えるのは、彼らはすでに海外にあるような音楽を作ろうとしたことは一度もないということ。むしろその音楽から感じられるのは、彼らが生まれた北海道の雄大な風景や、普遍的な形に落とし込まれた日常の機微のようなものだ。その核となったデビュー作『パレード』から「僕から君へ」のイントロが鳴り響くと、以降は「夏空」や久しぶりに披露された「四ツ葉さがしの旅人」「ハマナスの花」、そしてオリジナルに忠実なアレンジでの「管制塔」を披露。初期衝動だけで作られているかのような粗削りな楽曲の数々は、同じギター・サウンドでありながら最新作『Sea and The Darkness』とは対照的で、国内/海外を問わず受けた影響と、音楽の歴史を過去にさかのぼって手に入れた成熟とが、彼らに大きな変化を促したことを伝えるようなセットリストだった。


 そして結局のところ、3人がGalileo Galileiとしてのラストライブを迎えることになった理由は、この音楽的な変化にあるのかもしれない。『閃光ライオット』をきっかけにデビューを掴んだ彼らは、2作目『PORTAL』を作り終えた直後から、バンドのパブリック・イメージと変わりゆく自分たちとの間にギャップを感じていた。つまり、Galileo Galileiの歴史とは、北海道の自宅ガレージで遊びの延長線上にはじまったバンドが当初のバンド像を追い越し、その先へと可能性を広げていく歴史だったのだろう。ステージ終盤は彼らが作品に迎えた数少ないゲストのひとりであるAimerを迎え、「バナナフィッシュの浜辺と黒い虹」を披露した後、いよいよキャリアをまとめるようにライブでの定番曲に突入。会場から手拍子が生まれた「老人と海」や、キラキラ輝く星空のような照明に息を呑む「星を落とす」などで大歓声が巻き起こり、本編ラストの「Birthday」では尾崎雄貴が<廻り続けている/砂時計をどうか止められたらって/思うくらい/思うくらいだよ>と歌いあげる。アンコールは「Imaginary Friends」を披露したあと、最新作のラスト曲「Sea and The Darkness II」へ。スティーリー・ダンやAORにも通じる香り立つようなサックスの音色、演奏のキレ、音楽的な成熟度がひとつになった、キャリアの最高到達点と言える瞬間だった。


 ダブルアンコールは『閃光ライオット』で披露された彼らのはじまりの曲のひとつ「ハローグッバイ」と、この日のために作られたGalileo Galileiとしての最終曲「車輪の軸」。「何か言わなきゃいけないと思っていたんですけど、『みんな本当にありがとう』『またね』」と相変わらず口下手な尾崎雄貴のMCが、「こんな時に気の利いた一言を言えればいいんですけど……」と困惑気味に話していた『閃光ライオット』優勝時と重なって見える。そう、彼らは初期からずっと、自分の思いを面と向かって言葉で伝えるのは得意ではない。けれど、その音にはいつも、言葉以上に熱い気持ちやピュアな音楽への愛情のようなものが詰まっていた。そしてそれこそが、多くのリスナーがGalileo Galileiを支持した理由でもあったのだろう。「車輪の軸」のアウトロでは3人が向き合い、徐々に徐々に音が小さくなっていく。割れんばかりの拍手を背にステージを去るメンバーは、この先の可能性に静かに興奮しているようだった。


 昨年末、Galileo Galileiの終了に際してインタビューをさせてもらった際、彼らが強調していたのは「これからも3人で音楽を続けるためには、Galileo Galileiという車を降りなければならない」(参考:http://natalie.mu/music/pp/galileogalilei04)ということだった。つまり、この武道館公演はひとつの区切りではあっても、決して終着点ではないということだ。ひとりの人間が青春時代を経て大人になっていくように、ここから3人の新しい音楽が鳴り始める。そんな雰囲気が強く胸を打つ一夜だった。(文=杉山 仁)