メルセデスF1の元チーム代表、ロス・ブラウンが、チームを離脱した理由を明かし、当時、他のトップ陣営に信頼を抱くことができなかったと述べている。
ブラウンは2009年に自身が率いるブラウンGPでタイトルを獲得した後、チームをメルセデスに売却、2010年からメルセデスAMG F1チームの代表の座に就いた。マネジメント陣営にはメルセデス・モータースポーツのボスであるトト・ウォルフ、非常勤会長のニキ・ラウダが加わり、後にパディ・ロウがエグゼクティブディレクターとして合流。ブラウンは2013年末でチームから離脱、F1から引退した。
ブラウンは、ウイリアムズの元CEOアダム・パーと共に記した「Total competition: Lessons in strategy from Formula 1」という本を11月に発売するが、その本の中で、メルセデスチームから去った理由を明らかにしている。
「最終的に信頼できるとは感じられない人々と折り合いをつけなければならなかった。それはチーム内部の人々で、そのアプローチの段階から失望させられた」とブラウンは記している。
「2013年序盤、パディ・ロウがチームに加入する契約を結んでいることを知った。契約締結はシュトゥットガルトで行われていた」
「トトとニキに確認すると、彼らは互いに非難し合った。とことん話し合うために彼らに会ったのだが、ふたりは相手を非難した……」
「メルセデスで私は、自分が信用することができない人々を押し付けられた」
「彼らが何をしようとしているのか、私には全く分からなかった。ニキから何かを聞いても、その後、彼が他のことを言っているのを耳にする。そういうことが起こるのだ」
ベネトンとフェラーリでタイトル獲得を成し遂げたブラウンは、メルセデスでのそういった状況は初めての経験だったと記している。
「こういう人々を私は信用することができなかった。さらに、マネジメント陣営のメンバーとしっかりした関係を築くことができなかった。理由は分からないが、シュトゥットガルトで時間を過ごすことに熱意を持つことがなかった」
「メルセデスの状況や上層部に信頼を抱くことができず、それによって当惑させられた。そういう状況に対処しなければならないことに慣れることができなかった」
「今になってみれば、そういう状況に陥る理由は私自身が作り出したことなのだと思うし、それを受け入れる」
「だがひとたびそういう状況が形成されると、うまく対処することができなかった。そのため、朝目覚めた時に高い士気を持ってベッドから起き出すことができなかった」
メルセデスはブラウンが記したこの文章についてノーコメントの姿勢をとっている。
ブラウンはまた、ルカ・ディ・モンテゼモロがフェラーリ会長の座から退く前に、跳ね馬に復帰するよう誘いを受けたことも明かしている。
「私はためらい、そのうちに彼は(現フェラーリ会長である)セルジオ・マルキオンネとの問題を抱え、この話は実現しなかった」
「しかし、マネジメント陣営の他の人物に対してアドバイスを求め、どのように運営され、何が起きているのかを尋ねた時、その人物は『ルカがあなたを欲しがっている理由のひとつは、あなたが信用できるからだ』と言った。素晴らしい賛辞だった」