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【大谷達也コラム第4回】なりふり構わず勝利を奪いに行く、メルセデスの伝統手法

2016年10月18日 11:41  AUTOSPORT web

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メルセデスのスリーポインテッド・スターのロゴを持ち上げるワークスドライバーたち。
メルセデスが本格的にモータースポーツ活動を再開したのは1985年のこと。この頃、コンパクトセダン市場に初めて参入した190シリーズのプロモーションを兼ねてグループAやグループNと呼ばれるツーリングカーレースにエントリーするとともに、1986年にはドイツ・ツーリングカー選手権(DTM)にも参戦。

 1996年にはDTMが国際ツーリングカー選手権(ITC)に発展したものの、同年限りで参加者を失って空中分解すると、今度はCLK-GTRでスポーツカーレースへの挑戦を始める。ところが、その発展形であるCLRで1999年のル・マンに挑戦したところ、エアロダイナミクスの問題からストレートを走行中に宙を舞うアクシデントを繰り返すことになる。

 幸いにもドライバーや観客が負傷することはなかったが、1955年を思い起こすこの事故をきっかけにしてル・マン参戦も休止に追い込まれてしまう。

 こうして行き場を失ったかに見えた彼らのモータースポーツ活動を救ったのは2000年に復活したDTMだった。旧DTMが終焉を迎えた要因のひとつにコストの高騰があったことから、開発費の抑制に取り組んだ新DTMは現在も活況を呈していることはご存知のとおり。いまもDTMに参戦するメルセデスは、3社のなかでもっとも多くのタイトルを勝ち取ったメーカーとして歴史にその名を刻んでいる。

 一方、現在に続くF1参戦は、1985年にスイスのザウバーとともにグループCレースに挑んだことに端を発している。メルセデスが開発したV8エンジンを搭載するザウバーのグループCカーは、1990年に世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)でドライバーとコンストラクターのダブルタイトルを獲得。しかし、同選手権は1991年をもって消滅し、彼らは一時的に活動の場を失うことになる。

 ここまでの活動を引き継ぐ形で、ザウバー・メルセデスは1993年よりF1グランプリへの参戦を開始するも、1995年にはこの関係を解消し、新たなパートナーとしてマクラーレンを選択する。トップチームだったマクラーレンはメルセデス・エンジンを得て躍進、1998年、1999年、2008年にドライバーズ・タイトルを勝ち取ったほか、1998年にはコンストラクターズ・タイトルも手中に収める。

 こうした流れを一気に変えたのが2009年のブラウン・メルセデスだった。ホンダがF1から撤退したため、ロス・ブラウンを代表として立ち上げられた新チームはメルセデスにエンジン供給を依頼。ダブルデッカーディフューザーという“違反スレスレ”の空力デバイスで圧倒的なパフォーマンスを獲得したブラウン・メルセデスは並みいるワークスチームを打ち破ってワールドチャンピオンに輝くことになる。

 この結果に自信を得たメルセデスはブラウン・チームの買収を決定。2010年からメルセデスの名でF1グランプリに参戦することを発表する。

 当初は確固たるアドバンテージを築けなかったメルセデスだが、2014年に回生エネルギーを用いる現行型パワーユニットが導入されると、長年培ってきたハイブリッド・テクノロジーを駆使して異次元のスピードを発揮。2年連続でダブルタイトルを勝ち取り、メルセデスの名声を一気に高めることになった。

 こうやって100年間を越すメルセデスのモータースポーツ史を振り返ってみると、みずから自動車を生み出したメーカーだけにその歴史は長いものの、何度も困難に直面し、撤退と復帰を繰り返してきたことがわかる。

 もうひとつ、メルセデスのモータースポーツ活動で特徴的なのは、ときには撤退もするが、やるときはなりふり構わずにやり尽くす姿勢が明確な点にある。

 1930年代のグランプリレースや速度記録挑戦、1955年のF1ならびにル・マン24時間挑戦、1990年前後のグループCレース、そして現在のF1参戦などがその象徴といえるだろう。

 また、本文では触れなかったが、1990年代にアメリカのCARTシリーズ(現在のインディカー・シリーズに相当)にエンジンを供給していた当時、シリーズ最大の一戦であるインディ500ではプッシュロッド・エンジン(OHV)にのみレギュレーション上の優遇措置があることを見抜いた彼らは、1994年のこのレースだけのために巨額の予算を投じてOHVエンジンを開発。

 ライバルたちが用いるDOHCエンジンを上回る排気量とターボ過給圧を利して40万人が見守る伝統の一戦を制したこともあった。

 一方で、初期のDTMなど一部の例外を除いて、市販車との関連性があまり深くないレーシングカーでの参戦を厭わない姿勢も特徴的である。同様の理由からか、プライベートチームを支援するカスタマーレーシングについても、現在AMG GTで参戦しているGT3レースを除けば、これまで積極的に取り組んできたとは言いがたい。

 つまり、戦うのであればまずはワークス、そして勝利と最短距離にある技術を存分に活用して栄冠を奪い取りにいくのがメルセデスの伝統的な手法なのである。

 このことは何を意味するのか? 彼らが第一に考えているのは、メルセデスというブランドのイメージ向上にあるのではないか。だからこそ、量産車やそこに用いられる技術との関連性にこだわることなく、最高峰カテゴリーで絶対的な強さを発揮することを最優先してきたと考えるとすっきり腑に落ちる。

 なにしろ、メルセデスといえばラグジュアリーブランドの雄。技術よりも何よりも、まずは勝敗にこだわり、メルセデスというブランドの認知度とイメージの向上にこだわるのは当然のことなのだ。