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週刊誌の本質を捉えた“最高だけど最低”な映画 現役記者が『SCOOP!』を語る

2016年10月18日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2016「SCOOP!」製作委員会

 福山雅治が中年のパパラッチ役を演じていることで話題の映画『SCOOP!』。スキャンダルを狙う側の人間たちにスポットを当てた本作を、現役の週刊誌記者はどう観るのか。某大手週刊誌にて活躍中の記者・月島四郎氏によるレビューを掲載する。


参考:二階堂ふみのラブシーンはなぜグッとくるのか? 『SCOOP!』の成熟に見る“心のヌード”


■本音で言えば週刊誌は楽しい仕事


「最高だけど最低――」


 週刊誌記者が映画『SCOOP!』を見たら誰しもがこうした感想を持つであろう。例え福山雅治や二階堂ふみがタイプではないとしても、映画にドップリはまり魅了され、そして苦々しい気持ちになってしまうはずだ。


 ヒロインの新人編集者・行川野火(二階堂ふみ)は編集部に配属した当初「最低の仕事ですね」と吐き捨てる。しかし現場を重ねていくうちに、思わず「最高!」と呟いてしまう。福山雅治演じる中年パパラッチ都城静は、その言葉を聞いて衝動的に彼女を抱きしめ強引にキスをしてしまう。


 不貞腐れているように見えて実は静が週刊誌の仕事を好きであるということが判るシーンだ。


「お前らゴキブリ以下だな。そんな仕事をしていた楽しいのか?」


 週刊誌の仕事をしていて、誰しもが現場でこうなじられた経験を持つ。芸能人であろうが、一般人であろうが週刊誌を最低だと思っている人は少なからずいるのだ。ゴキブリなんて言われたら、普通心が折れるものだ。


 確かに人の恥部を暴き立てる仕事をしているのだから、それを最低と言う人がいても仕方がないと思う。でも不思議なことに心は折れない。


 映画で描かれている現場の数々は多少の演出過多はあるものの割とリアルだ。政治家や芸能人の隠された日常を覗く。普通の生活をしていたらなかなか経験できない場面に遭遇できるのもこの仕事の醍醐味だろう。


「ゲスなことを暴くのも仕事だから仕方ないよね?」


 こう問われることも割と多い。仕事だから嫌々やっているのかと問われれば、それは違う。芸能人や政治家の張り込みは、いわば大人が真剣に鬼ごっこしているようなものだ。大人になっても遊んでいられるわけだから、本音で言えば週刊誌は楽しい仕事なのだ。


 張り込みを続けて一週間もたつと、記者やカメラマンは話すことがなくなり「俺たちの仕事、時給換算するといくらになると思う?」という会話になる。真剣に計算すると千円を切ることもシバシバで、「俺たち何て仕事をしているんだ!(笑)」と不貞腐れる。


 しかしスクープを撮ったときの快感は合理的な考えを吹き飛ばすほど爽快だ。写真が撮れたときは記者は「ウォー」と叫び、カメラマン「オッシャー」と絶叫をあげる。全力疾走で夜の街を走ることもザラ。静と野火がそうした環境の下デキてしまうのはいわば必然。吊り橋効果、スットクホルム症候群のようなものだ。


  『SCOOP!』のラストはある意味で“最低”だ。都城静の運命を狂わせたチャラ源(リリー・フランキー)みたいなネタ元、週刊誌記者なら必ず一人や二人いる。他人事ではなく、人一倍後味の悪さを感じてしまう。


 殺人事件、金銭トラブル、不倫等々――、人間の深淵を取材しているうちに記者達は魔界を覗いているような気分になる。いつまでこの仕事を続けられるだろうかという思いとともに、いつしか“滅びの予感”のようなものを抱くようになる。それを最悪の形で提示されるのだから気分も悪くなるというものだ。そういう意味では大根仁監督は、映画の中で週刊誌の本質を的確に捉えているといえる。


 週刊誌は「最低だけど最高」の仕事だ。その光と影を鮮やかに切り取った『SCOOP!』は、だからこそ「最高だけど最低」の映画だと思うのだ。(文=月島四郎)