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England PUNKは死んでいないーーDEATH SIDE ISHIYAのロンドン~ブリストル現地レポート

2016年10月17日 16:51  リアルサウンド

リアルサウンド

DEATH SIDE、THE DOME公演。ヨーロッパ各国から観客が集まった。

 2016年9月16日、17日とイギリス・ロンドンにてDEATH SIDEの公演があるため、余暇を含め5日間ロンドンとブリストルを堪能してきた。


 バンドを始めたときからの憧れの土地であるイギリスでライブを行なうことができるのは感慨深いものがあり、筆者がパンクに目覚めたきっかけでもある、イギリスのロンドンとブリストルという街のパンクシーンなどについてレポートしていきたいと思う。


 今回のロンドン公演では普段の海外ライブと違い、ロンドン市内を車で移動することはほとんどなかった。東京でも同じであるように、大都会では慢性的な渋滞により車を使う方が不便なことが多い。そのため、東京でいうSUICAのような電車用の磁気カードを購入し地下鉄などを使いロンドンを堪能してきた。海外で度々電車に乗ることはあるが、ここまでメインの交通手段として使うのは初めてだった。


 空港まで迎えに来てくれた、今回のライブのオーガナイザーであるSIMONに、OYSTERというイギリスのSUICAのようなものを支給され、ひとまず今回の滞在先であるホテルへ向かった。ホテルの場所は大英図書館の目の前で、市内の要所にすぐアクセスできる素晴らしい場所だった。ホテルは6人部屋で、二段ベッドが3台あるドミトリー形式のような部屋だが、非常に快適に過ごせた。


 到着したのが昼間だったので、INNNER TERRESTRIALS/ex.CONFLICTのドラムであるパコの墓参りに行った。このときのみ車で行ったのだが、ロンドンの渋滞は東京やニューヨークと同じようにひどいものだった。


 DEATH SIDEでギターを弾いているORIのバンドPILE DRIVERで親交が深く、日本でもかなり良くしてもらった友人のようだ。


 CONFLICTとは、イギリスハードコアパンクの重要バンドであり、CRASSと並び世界に「ハードコアパンク」を定着させたバンドである。そのサウンドの激しさ、メッセージは、本家CRASSを凌ぐほど世界に多大な影響を与えたバンドであり、INNNER TERRESTRIALSといえば2度の来日を果たし、日本のパンクスたちに強烈な印象を与えたバンドである。


 安らかに眠るパコの墓の前で、友人であるポーランド人から「パコは楽しいことが大好きだった。だから、墓の前でも楽しくやってくれ」と言われ、パコという人間の素晴らしさが、他界してもなお、パンクスたちの心に息づいていることがよく伝わった時間だった。


 その後本場イギリスのパブに連れていってもらい、生ギネスビールとサイダー(日本のシードルみたいなものだが、全く違った味のイギリスパンクスのソウルフード的アルコール)を堪能し、そのまま夜にはSIMONを始めとしたオーガナイザーたちや、ロンドンに住む旧知の友人達がウエルカムパーティを開いてくれるというので、サッカーで有名なアーセナルの街まで移動。


 イギリスにはインド料理店が多く、ベジタリアンやヴィーガンにも対応するインド料理は、日本でもイギリスパンクスたちはよく利用する。(参考:菜食主義、シェアハウス、パーティ……現役パンクロッカーが見た、アメリカ・パンクスの生活


 ロンドンに住む旧知の友人たちには、スパニッシュや、今回よく遊んだり世話をしてくれたポーランド人もいて、オーガナイザーのSIMONもニュージーランドから移住してきたように、色々な国からの移民が多い。様々な人種が混在する日常が垣間見え、イギリスでパンクというものが生まれた背景にはそういった文化も深く関係しているのではないだろうかと感じる部分が多かった。


 日本でも近年はそういった諸外国との交流が盛んになってきており、アメリカや他外国もそうだが、パンクスたちの友好がワールドワイドだということがよくわかる。そうしてウエルカムパーティ終了後、やっとホテルへ戻ったイギリス初日だった。


 翌日はロンドンのライブ1日目だが、時間があるために電車でカムデンタウンに向かった。カムデンタウンとはロンドンの原宿のような観光地で、昔からパンクスが観光客などに写真を撮らせ金を稼いでいた場所だ。現在もまだそのようなことを行っているパンクスがいると聞いていたのだが、雨の金曜日のためかそういった姿は見かけず、ショップのビラ配りや看板持ち、店員のパンクスなどに2~3人会っただけだった。私事ではあるが、筆者も若い頃は原宿で同じようなことをしながら金を稼いでいたため、会えるのを楽しみにしていたので非常に残念だった。


 しかし、大都市ロンドンの観光地というだけあってショッピングには最適で、パンクス御用達のブーツ「Dr.Martens」のオリジナルショップにも行き、モヒカンの店員に、イギリスで1番髪の毛が立つヘアースプレーを教えてもらい購入することもできた。


 本場ロンドンのパンクショップで売られているファッションにも興味があり、パンクショップのようなものを探したが、初めて訪れた日本人ばかりで行ったために見つけることができず、残念な思いをした。また個人的趣味で、筆者はバンクシーのグラフティーアートを好んでおり、カムデン周辺にあるバンクシーのグラフティーアートがあるスポットにも立ち寄ったのだが、全て消されていて、これも非常に残念な出来事だった。


 バンクシーという画家は全てが謎で、素晴らしくパンクなアティテュードを持つストリートアーティストだ。その絵を生で体感することは、今回イギリスを訪れた目的のひとつでもあった。この後バンクシーの地元であるブリストルにも足を伸ばすので、彼の絵についてはそのときの楽しみにして、この日はカムデンを堪能した。


 それから一度ホテルに帰り、迎えに来てもらいD.I.Y SPACEというライブハウスに向かった。このライブハウスのある場所は電車を乗り継ぎ1時間ほどの郊外にあり、電車内では麻薬中毒患者と思われる女性に小銭をたかられたり、到着した駅では髪の毛を立てている筆者を珍しがる酔っぱらいがいたりと、ロンドンの中心街周辺とはまた少し様子が違う。


 この日のDEATH SIDE出演はシークレットだったらしく、出演することが宣伝されたのが直前にもかかわらずソールドアウトとなり、ライブハウス内やバーコーナーも人でごった返す大盛況となり、ライブも非常に盛り上がり素晴らしいものとなった。


 翌日は今回のイギリスでのメインライブが行なわれる日だ。THE DOOMという会場は、かなり大きな規模で、500~700人ぐらいは入りそうなライブハウスである。 ステージは高くなっており、エンジニアも完璧な音づくりをしてくれるプロフェッショナルな人物だった。この会場でもすでにチケットはソールドアウトとなっており、当日来た観客も限界まで入場させるとのこと。開場前から、イギリスに住む友人達が多数来てくれ、開場してからも続々と観客が集まり始める。


 超満員の会場での初イギリスのライブは、今までボーカルである筆者が前面に出るような形だったものが、何度かのライブを経験し、ギターのコンビネーションとベース、ドラムのリズム隊の息がピッタリと合い前面に出るという新たな形が出来上がってきたように感じた。元来、ギタリストである故CHELSEAの魂を伝えるために始めたDEATH SIDEであるため、この形が本来のものなのではないかと個人的に感じた部分があった。


 今後、オーストラリアでのライブが決まっているが、そのときにはいったいどういった形が出てくるのか楽しみになるライブだった。


 後から聞いた話だが、今回のロンドンのライブには両日共にほとんどがイギリス以外のヨーロッパ各国から来た人が多かったようだ。イギリスの人間は半分もいなかったと聞いた。


 2日目のメインライブの日は、ロンドン市内でCONFLICTのライブと、別の場所ではDISCHARGE、SICK ON THE BUSのライブがあったのが大きいと思うが、ロンドンやイギリスのパンクスの数自体が減ってきているのだろうか?


 よく考えてみると、たくさん来てくれた友人もフィンランドやスウェーデン、チェコの人間などが多かった。イギリスに住む友人も来てくれたが、やはりロンドンか近郊在住、もしくはブリストルの人間だった。


 初ロンドンは様々なイギリスに触れることができた良い経験だった。地下鉄の乗り方を憶えたり、近隣のパブに行ったり、目の前の大映博物館ではパンク40周年を記念した展覧会が行なわれており、反体制であるパンクが国立博物館で催される展覧会で歴史を知るという不思議な気分も味わった。


 SEX PISTOLSのマネージャーであったマルコム・マクラーレンの息子は、その展覧会に異議を唱え、個人のコレクションを燃やすというイベントも行なわれるという。


 長年のパンクという現象の歴史が、こういった形で国家というものに認められるというのは、なんとも言えない気持ちになり、ロンドンでのパンクスが減っている原因にも関係があるのかと考えてしまった。


 しかし翌日のオフで訪れるブリストルは、個人的にイギリスでは一番の思い入れがある街であり、1番好きなバンドCHAOS U.Kの街でもある。


 ほかにもDISORDER、AMEBIXなど個人的に神のような存在のバンドがいる街であり、今回の渡英ではライブと共にブリストルに訪れることは、憧れでもあり夢でもあった。(参考:http://realsound.jp/2015/12/post-5666.html)


 ロンドンから高速バスで2時間半ほどで到着するブリストルだが、迎えに来てくれた旧知の友人であるGABBA(CHAOS U.K/FUK)が色々と世話をしてくれ、バスターミナルから歩いて街並を案内してくれ、港町であるブリストスの運河のような場所を、ボートに乗り馴染みのパブまで連れていってくれるという粋な計らいをしてくれた。


 そして、そのパブにはなんと、CHAOS U.KのオリジナルメンバーであるCHAOSや、CHAOS U.K来日時のメンバーであり、歴代メンバーのPAT(DEVIL MAN)、PHIL、MOWERも集まっていてくれた。ほかにもSCREAMERという素晴らしいバンドのメンバーや、最初のアメリカツアーのシアトルで世話になったZANNEなど、心から会いたかった人々が集まってくれ、本場ブリストルのサイダーを堪能した。


 このサイダーという飲み物だが、ビデオUK/DKのDISORDERが集まる溜まり場で樽から注いで呑んでいる酒であり、日本では手に入らない本場ブリストルのパンクスの酒と言ってもよいだろう。 ロンドンのサイダーと違い、ブリストルのサイダーは炭酸がほとんど無く、酸味もない。サイダーの炭酸は、リンゴが発酵するためにできるものなので、ナチュラルのブリストルサイダーが格別に美味い。ロンドンではメンバー皆サイダーの酸味と炭酸で胃を少々やられていたので、このサイダーの味には感動した。


 まして、CHAOS U.Kのメンバーが薦めるブリストルのサイダーだ。美味さは格別なものがある。日本のハードコアパンクスの酒飲みであれば、誰もが飲みたいと思う酒だ。


 日も暮れてきて、別のパブに移動したのだが、このパブのすぐ近くにバンクシーのシークレットの絵があり、あまりに感動してしまいパブに行かず絵の前でずっと佇んでいた。(参考:http://tocana.jp/2016/10/post_11137.html)


 その後、元CHAOS U.KのドラムであるPHILの家でのホームパーティに行ったのだが、そこにはDISORDERのオリジナルメンバーであるTAF、AMEBIXのギターSTIGなどもやってきた。豪華メンバーによるホームパーティで、筆者は我を忘れるほど呑んだ。


 この日だけで筆者が現在パンクスである所以である人間に何人会えたことか。それもひとりひとり個別ではなく同時に。パンクスとして30年以上生きてきたが、この日のことは生涯忘れることは無い。自分が今こうして生きている源となった人間が一堂に会し、その場に一緒にいられる日が来るなどと想像もできなかった。


 我を忘れ呑み続けた結果、見知らぬ公園で踞っているところを発見され、FUKのボーカルRICHの家に運ばれた。


 翌日はブリストルから車で1~2時間ほどの街チェダーに行き、サイダー製造工場などを見学し、生サイダーを購入。チェダーのパブに寄りサイダーを堪能したが、本当に美味い。宿酔でひどかった筆者だが、このサイダーを呑んだ途端に治ったのには驚いた。


 チェダーという街はチェダーチーズ発祥の地で、チーズ工場もあり、ショップにはありとあらゆる種類のチーズがあり、本場のサイダーとチェダーチーズを堪能した。


 行き帰りの道中では農場が広大な規模で広がり、CHAOS U.Kの代表曲であり名曲の「FARMYARD BOOGIE」の意味が理解できる。あの曲のあのままの光景を目の当りにし、30年以上を経てやっと「FARMYARD BOOGIE」が理解できた。


 サイダーが息づくブリストルハードコアを、やっと理解できたことは人生の宝となった。


 こんな夢のようなときを過ごせたことに非常に感謝するとともに、GABBAとブリストルのパンクスたちのフレンドシップには心の底から感動した。


 パンクスとして生きてきた人生の中でこれほど嬉しい日はない。


 今回のイギリス公演を企画し呼んでくれたSIMONとStatic Shock RecordsのTOMには心からの感謝を送る。


 そして、筆者のルーツを知るGABBAの粋な計らいは人生の素晴らしい思い出となった。


 England PUNKは死んでいない。


 次回訪れることができるならば、是非ブリストルでライブをやりたいと、心から願って止まない。(ISHIYA)