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本木雅弘×竹原ピストル『永い言い訳』対談 本木「“自意識の歪み”は、私の中にもある」

2016年10月16日 11:21  リアルサウンド

リアルサウンド

【左から】竹原ピストル、本木雅弘

 本木雅弘主演作『永い言い訳』が10月14日から公開中だ。本作は、『ゆれる』『ディア・ドクター』『夢売るふたり』の西川美和監督が、第153回直木三十五賞の候補作となった自身の書き下ろし原作を映画化したヒューマンドラマ。歪んだ自意識を持ち、妻・夏子(深津絵里)を事故で亡くしても泣くことができなかった小説家・衣笠幸夫が、誰かのために生きる幸せを知り、変化していく模様を描く。主人公の衣笠幸夫役を演じる本木雅弘をはじめ、同じ事故で妻を亡くした夫・陽一をシンガーソングライターの竹原ピストル、幸夫の担当編集・岸本を池松壮亮、幸夫の不倫相手・福永を黒木華らがそれぞれ演じている。リアルサウンド映画部では、劇中で互いに支え合う関係を築いていく、本木雅弘と竹原ピストルにインタビュー。“共演した印象”や“幸夫と陽一の関係が出来上がる過程”などの撮影エピソードから、それぞれが持つ“芝居に対する考え”についてまで語ってもらった。


参考:スチャダラパーANIが語る、50セント製作総指揮『POWER/パワー』の面白さ


ーーまずはお互いの印象を教えてください。


本木雅弘(以下、本木):この映画で初めて竹原さんの存在を知ったのですが、その野性みと温かみが共存したような風貌を見た瞬間に、なにか惹きつけられるものがありました。その後、竹原さんが原爆をモチーフにした曲を歌っている映像を見て、さらに衝撃を受けたことを覚えています。私にはない“純粋さ”を持っている方だと感じ、少しだけ卑屈な気持ちにもなりましたが、こんなにコントラストのある二人が並んだら、必ず面白い雰囲気が出るだろうと直感しました。


竹原ピストル(以下、竹原):最初からとにかく優しくしていただきました。撮影に自分が参加してもいいんだと、現場に安心感を与えてくれたのは本木さんだったと思います。世間一般でいう優しさやかっこよさとは違う、本木さんにしかない魅力がにじみ出ていましたね。それに僕がする質問への回答が人とは全然違っていて、その話を聞くことも撮影の楽しみになっていました。たぶん変な質問もたくさんしたと思います。


本木:なんだろう…どんな質問だったか覚えてますか?


竹原:「ハイロウズの“青春”っていう曲に出てくる“心のない優しさは敗北に似てる”という名フレーズについてどう思いますか?」とか、わけのわからない質問をしていたと思います(笑)。けど、そういう質問も本木さんだからこそ聞いてみたかったし、いつも最終的には僕の気質も肯定してくれるような優しい回答をしてくれましたね。


本木:そうでしたね(笑)。僕にとっては、そういう竹原さんならではの人間性が、すごく新鮮だったと思います。竹原さんのような意外性を持つ役者さんは、面白くもあり、脅威に感じることがある。先が読めないスリリングさを間近で見ることができて、僕自身も刺激を受けました。それに、話してみるとシンガーソングライターらしい独自の世界感を持っていて、どんな場面でも堂々としている、そのてらいのなさが強い存在感を放っていましたね。


ーー幸夫と陽一、二人の関係はどのように作り上げていったのでしょうか?


竹原:二人の関係性はクランクインした時からすでに出来上がっていたかもしれません。初対面の時に本木さんが僕の歌の一節を歌ってくれたり、親切にしてくれたので、どんどん本木さんことが大好きになっちゃうわけですよ(笑)。劇中の陽一も最初から幸夫に愛着を持っているキャラクターだったので、そこは素の自分と一緒でやりやすかったですね。


本木:竹原さんの詩は本当に面白いんですよ。親しみやすいようでいて深い。そこには竹原ピストルの人となりが漂っていて、最後には聞いている人の背中をグっと押している。私もブルーハーツなどを聞いていた時期があったので、唄を聴いて気持ちが奮い立つとか、浄化されるような感覚が蘇りました。いま思えば、幸夫は陽一のことを異人種のように扱い、距離をとって眺めている存在なので、本来であれば私自身もそうすべきでした。しかし、実の本木雅弘の方が竹原ピストルに魅了されてしまい、前のめり的に愛おしくなってしまった。そこは反省すべきところかもしれません。


ーー幸夫と陽一一家の間に、少しずつあたたかい絆が生まれていく過程は微笑ましかったです。一方、本作には“人間関係の不確かさ”も描かれていると感じました。


本木:たしかにそうですね。人間関係の不確かさ、大切さはテーマのひとつです。現実でも、誰もが弱さや脆さ、どうしようもなさをそれぞれに抱えている。けど、それに折り合いをつけながら、他者との関係で傷つき、気づかされながら少しずつ成長していく。西川監督は、“そんな人間の無様はどこか愛おしい”という思いを、映画の中に漂う“かすかな幸福感”と共に映し出していきます。観終わって完結する作品ではなく、観終わった後から考え始める映画になっていると思います。


竹原:あまりこの言葉は使いたくないですが、素晴らしい映画であることは間違いない。ただ、作品が持つテーマなどを考える余裕が僕にはありませんでした。撮影を無我夢中に、一生懸命積み重ねていくような日々だったので。「どんなことを考えて演技していましたか?」と質問されても、自分が普通に過ごしていた日々を考えてどうだったか、と聞かれている気分です。僕としては、その日その日を生きていただけ、としか言えません。


本木:そこが竹原さんのすごいところです。監督の言葉を借りると、竹原さんは“丸腰の純粋さ”を持っていて、それが画面からもすごく伝わってきます。もちろん、私も考え抜いて演技をしているわけではなく、演じている最中も戸惑ったり混乱しながら、進んでいるのですが。竹原さんは、結果、器用な人だと思いましたよ。


竹原:あと、陽一と自分の立場でリンクしているところがあったので、自然体で演じることができたと思います。幸夫や子供たちとの暮らしも、本当に生活しているような感覚がありました。さっきまでは自分に懐いていた子供たちが、いつのまにか僕よりも本木さんになついているのを見て、なんか悔しいと思うこともありましたね(笑)。


本木:僕としては、竹原さんのパンチシーンをどこかで見たかったですね。ボクシングの全国大会出場者の拳でガッと。


竹原:(笑)


本木:例えば、本木がリアルに殴られている絵は結構面白いでしょう。幸夫のキャラクター的に、一度痛い目にあった方がいいと思うので(笑)。


ーー本木さんは幸夫を“初めて身の丈にあった役柄”と評していました。


本木:幸夫は、感情豊かで素直な陽一のことを冷ややかな目で見ていましたが、同時に憧れや妬ましさがあったのかも。何層にもねじれた幸夫の自意識の裏側には、陽一のような屈託のなさを身につけていれば周りの人間や夏子とも上手くやれていたのではないか、という思いが渦巻いているわけです。彼が持つそのような“自意識の歪み”は、私の中にもあると思います。


ーー撮影現場では、池松壮亮さんにお芝居の秘訣を聞いていたみたいですね。


本木:私は物事を深く考えているように思われがちだけど、ほとんどそんなことはなくて、監督からも「本木さんはすごくこだわるけど、ちょっと詰めが甘いですよね」って言われてしまいました(笑)。そういうムラがあることは自覚しているので、まず天才ではないし、なんとか秀才になりたいと思ってもがいているタイプです。だから様々な人からのアドバイスをもらいたいし、影響を受けたい。たとえ役者の話でなくても上手に演技へ活かせたらいいなと思っています。


ーーなるほど。


本木:でも、そんなことを一切考えていないように、まるで成熟した大人のごとく淡々とお芝居をこなしている池松壮亮さんのことを、非常に羨ましく思いました。年齢的には私の息子でもおかしくない彼に嫉妬したんです。その一方で、自分の芝居の仕方や表現するときの姿勢は、もう古いんだと感じてしまいました。いつどこでチューニングしているのかはわかりませんが、“頭を使う演技”と“力を抜く演技”のバランスを自然に身につけている彼は、賢さとしたたかさを持つ優れた役者だと感じました。


竹原:こういう話を聞くともう役者業からは足を洗いたい、と思ってしまうんですよ(笑)。


本木:でも、ニュアンスの違いはあると思いますが、簡単に言ってしまえば歌を歌うことも自作自“演”ですよね。僕は、役になりきって自然に涙を流せる人を羨ましく思うのですが、竹原さんは感情が込み上げて、歌っているときに泣いてしまうことはありますか?


竹原:たしかに自作自演ですね。ただ、監督ありきの演技とは大きな差があるので、音楽と演技は別物と考えています。役者としての芝居は、どうにか監督のイメージしていものに近づきたい、と思いながら演じています。そこに自分の主張はまったくないので、歌とは別物なんですよね。それに自分の歌で泣くこともあまりないです。お客さんや歌う環境などの外的な要因で涙を流すことはありますが。


本木:僕も映画は監督のものだと考えているので、懸命に演技はするのだけれど、どこかで監督の良きコマになりたいとも思っています。今回も、幸夫と自分が自然に重なることもあれば、逆に自分の解釈とは違うと感じながら演じている部分もありました。


ーー例えばどんなところですか?


本木:例えば、夏子の壊れかけたスマートフォンに残っていた「もう愛してない ひとかけらも」というメッセージについて、個人的にはあのメッセージの後にはクエスチョンマークがついていたのではいかと考えています。夫を愛し続けられると思っていたけど、そこに陰りが出てきたことを不安に思う夏子が、幸夫のことを「愛してない? ひとかけらも?」と自問自答していたのではないかと。しかし、その捉え方だと物語が進まないのでそうは演じませんが。時々、そういう風に役と自分の解釈に大きな差が生まれることがあります。正直に言うと、自分の解釈に従って演じたくなることもありますが、自分は監督のコマだからとその葛藤は静かに収めます。だからこそ、すべてがうまく噛み合い、役のまま自分事のように涙を流せる人のことを、羨ましく思います。もしも、いつか自分にもその瞬間が訪れた時は、この一本さえ撮れればよかったんだと、役者を引退するかもしれませんね。


ーー「人生は他者だ」のように、映画の中には人生の教訓のような台詞が出てきますが、本作の経験が自身の人生観に影響を与えましたか?


本木:西川監督の書く台詞はシビアに響いてきますよね。すごく端的に言ってしまえば、原作の言葉にもありますが「生きている時間をなめてはいけない」、そこに尽きるかな。実人生でも、もともとあったつまらないエキセントリックさが少しだけ緩みました。もっとおおらかで素直に生きようと、感謝の言葉や返事一つにしても大切に言うべきだな、と改めて思いました。


竹原:本当にいっぱいいっぱいの撮影だったので、そこまで考える余裕がなかったです。ただ、単純な話だけど、灯と真平を演じた子供たちにはどうにか頑張ってほしいなって心底思っている。これから辛いこともいっぱいあるだろうけど、なんとか頑張ってほしいって親のように思っています。(泉夏音)