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アンジャッシュ・児嶋一哉、なぜ実力派監督に起用される? コントで培われた“くどくない個性”

2016年10月15日 12:31  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2016「少女」製作委員会

 湊かなえのベストセラー小説を映画化した『少女』。本作で、ある問題を起こす国語教師を演じているのが、お笑いコンビ・アンジャッシュの児嶋一哉だ。現在は“イジラレ芸人”として、お笑い界で強い個性を発揮している児嶋だが、2008年に黒沢清監督の映画『トウキョウソナタ』で役者デビューして以来、コンスタントに映画やドラマへの出演が続いている。しかも、その多くは飛び道具的な色物枠ではないのだ。


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 現在公開中の『少女』では、本田翼や山本美月演じる女子校の国語教師という役柄に扮している児嶋。陰湿でコンプレックスの塊でありながら、生徒たちには「夢をあきらめるな」と説く、破たんした教師——。そこには色物的な要素も、極端なキャラクター像もない。一人の歪んだキャラクターが、デフォルメされることなくある意味淡々と描かれおり、演じる側の力量が要求される。


 芸人が映画やドラマに出演する際、宮迫博之や原田泰造のような“俳優”として地位を確立している人がキャスティングされる場合もあるが、一方で、ドラマの起爆剤となるような飛び道具的な意味合いで出演することも多い。児嶋の場合、『闇金ウシジマくん Part3』のような“芸人枠”的な出演も見受けられるが、本人も「あまり個性の強いキャラクターを演じたことがない」と言っているように、プロデューサーや監督は色物というよりは、俳優・児嶋一哉としてキャスティングしているように見受けられる。しかも、前述の黒沢清監督をはじめ、吉田大八監督(『クヒオ大佐』)、園子温監督(『恋の罪』)など実力派監督が彼を起用しているのだ。


 どの作品でも、強烈な個性を発揮するキャラクターを演じるわけではないが、劇中であとを引くような余韻を持たせる。『少女』でも、ややもすれば内在する狂気性が漏れてきそうな役柄を演じていたが、作品の世界観を壊すことなく、そして主人公を邪魔することなく、しっかりと“歪み”を表現し、視聴者にいい意味での不快感を残す絶妙な演技を見せている。


 こうしたさじ加減は天性のものなのか、それともしっかり計算されているのか——。本人に問うてみたことがあるが「特に意識しているわけではない」と語っていた。さらに理由を追及すると、一つのキーワードが浮かび上がってきた。それがアンジャッシュの“コント”だ。「キャラクターがない二人の苦肉の策」だと児嶋は語っていたが、人物を追求し、ストーリー性のあるシュールなコントを作り、演じてきたことが、どんな人物にもスッと入り込める下地となっているのだろう。そのことは児嶋本人も同意していた。


 ただ、本人は「やるからにはもっとうまくなりたい」と言いつつも「軸は芸人」と断言している。決して自身を「演技派」であるとは認識していない。しかし、しっかりと個性を出しつつも、作品に溶け込むことができるのは、芸人というジャンルでは、稀有の存在だ。児嶋の演技を総称して「くどくない個性」と表現すると、本人は「それいいフレーズだね。使わせてもらおうかな」と満面の笑みを浮かべる。前述したように“イジラレ芸人”という飛び道具的なキャラクターも兼ね備え、しかも真正面から俳優としても高い評価の児嶋一哉。これからも映像界で活躍することは至極当然のことなのかもしれない。(磯部正和)