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電通で繰り返された「過労自殺」、25年前にも起きた悲劇の過酷な実態

2016年10月13日 11:41  弁護士ドットコム

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広告会社「電通」の新入社員だった高橋まつりさん(当時24歳)が2015年12月に自殺したのは、長時間労働による過労が原因だったとして、労災認定された。この問題は大きくクローズアップされ、「第2の電通事件ではないか」と指摘されている。


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●25年前に起きていた、もうひとつの悲劇

電通では25年前の1991年にも過労自殺が起きている。このケースでは、遺族が電通の損害賠償責任を追及するため裁判を起こし、最高裁まで争われた。労働法の分野では「電通事件」などと呼ばれる著名な裁判だ。


裁判所が認定した事実は次のようなものだった。


・自殺した男性(当時24歳)は、1990年に電通に入社。ラジオ広告の企画と営業を担当する部署に配属された。男性は素直で責任感があり、ものごとには粘り強く取り組み、完璧主義の傾向があった。


・当時の電通では、従業員の長時間に渡る残業が常態化していた。また、実際の残業時間より少ない時間を申告することも行われていた。


・男性は、1990年11月末ころまで、遅いときは出勤した翌日の午前4時、5時ころ帰宅する状況だった。それ以降は、帰宅しない日や、家族が都内で利用していた事務所に寝泊まりすることがあった。


・男性の様子を心配した家族が、有給休暇をとることを勧めたが、「上司から仕事は大丈夫なのかと言われており、取りにくい」と答えて応じなかった。


・自殺する前月である1991年7月ころになると、出勤したまま帰宅しない日が多くなり、帰宅しても朝6時30分~7時頃で、8時頃には再び自宅を出るという生活だった。


・その頃になると、男性は、心身ともに疲労困ぱいの状況で、顔色が悪く、目の焦点も定まらない状況だった。上司も、男性の健康状態が悪いのではないかと認識していた。また、男性の言動に異常があることに気づいていた。


・男性は、1991年8月27日、午前6時ころ会社から帰宅し、午前9時ころ「体調が悪いので会社を休む」と職場に告げた後、自宅の風呂場で首を吊って死亡しているところを発見された。


・男性が所属していた部署には、1991年の7月にいたるまで、新入社員などの補充はなかった。


●電通側の責任を全面的に認めた

最高裁は、このような事実認定をもとに、男性が自殺したことについて、電通側が使用者責任を負うと判断した。理由は次のようなものだ。


・労働者が長時間にわたり業務に従事する状況が継続して、疲労や心理的な負担が継続すると、心身の健康を損なう危険がある。


・使用者(会社)は、従業員の業務を管理するにあたって、疲労や心理的負荷が過度に蓄積して従業員が健康を損なうことがないように注意する義務を負っている。


・こうした義務があるのに、男性の上司は、男性の業務量を適切に調整するなどの措置を怠った。


・その結果、男性は心身ともに疲労困ぱいした状態になり、うつ病になって、衝動的に自殺するにいたった。


一方で、男性がもともとうつ病にかかりやすい性格であったこと、同居の家族にも自殺を予見することができたことなどの理由で、下級審が賠償額の減額を認めていた点については、「判断の誤り」として破棄し、改めて判断するよう東京高裁に差し戻した。


差し戻し審では、会社が遺族に約1億6800万円を支払う内容で、和解が成立した。


●過労死問題に関する「憲法」のような判例

今回の「第2の電通事件」でも、高橋さんは亡くなるおよそ1か月前までの残業は月105時間にのぼり、休日や深夜も勤務が続いていた。仕事のストレスでうつ病も発症していたとみられており、2016年9月30日、仕事量と残業が大幅に増えたことなどが原因だとして、過労による労災と認められた。


電通で悲劇が繰り返されたことについて、過労死問題に取り組む岩城穣弁護士は「2000年の最高裁判決は、それまでなかった認定基準を示した非常に画期的な判決。今では、過労自殺の問題にとって、憲法のような判例となっている。電通で、ふたたびこうした事件が起きたことは残念というほかない」と語った。


そのうえで、「過労の危険について、教育などを通じてより周知を徹底していく必要がある。こうした事件が繰り返される以上、社会の理解が進んでいるとは言えないと思う」と指摘した。


(弁護士ドットコムニュース)