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本田翼、女優としてのイメージに変化? 映画『少女』で見せた新しい顔

2016年10月13日 06:11  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2016「少女」製作委員会

 三島有紀子の映画では度々、どこか似ていながらも対照的な二人が中心に描かれてきた。デビュー作となった2009年の『刺青 匂ひ月のごとく』では明るく外交的な姉(さとう珠緒)と、おとなしく内向的な妹(井村空美)が対比となり、2014年公開の『ぶどうのなみだ』では大泉洋と染谷将太の兄弟がそれぞれ複雑な感情を抱え、共存していた。


(参考:本田翼は棒ではない、真っ白なキャンバスなのだ


 現在公開している『少女』にも三島映画特有の、“どこか似通っているが対照的な二人”が健在だ。授業中に小説を書きながら、周りと距離を置いて自分の世界に浸る“孤高”の本田翼と、内向的で不安を抱え、いじめられっ子で“孤独”の山本美月の二人である。


 そこに、“死”への漠然とした好奇心を持つこと、同世代の第三者と出会うこと、そして世代が違う者と出会うこと、といった共通項が並べられ、必然的に二人が同じ境遇に置かれているということがわかる。それでも、互いのベクトルは明確に正反対を貫き通しており、たとえば本田翼は真剣佑と出会いながらも自分のペースは崩さずにいるが、佐藤玲と仲良くなる山本美月は完全に呑み込まれる。また、片や子供と仲良くなるのに対し、もう片方は倍以上も年の離れた大人と親しくなる。


 そういった対比は個々のキャラクター性にも垣間見られ、幼い頃に祖母から与えられた手の傷を持ちながらも、それをあまり露見させないようにする本田翼に対し、山本美月はすでに治っている足を、いまだに学校では引きずって歩く。強さを求める者と、弱さに安住したい者という正反対な二人なのに、クライマックスには手を取って走り出すことで、妙に爽やかな共犯関係が成立させられるあたり、“友情”というものは言葉では説明できない恐ろしさを帯びている。


 ポスターの中央に原作者・湊かなえの名前を堂々と掲げ、『告白』と連なったヘビーな学園ミステリーを継承しようとしていることは決して上手くいったとは思えない。それでも、湊かなえミステリーとしての風体を保つためには、『告白』の松たか子のような“孤高”のキャラクター、本田翼をどう扱うかがひとつの重要な要素となる。


 本田翼といえば、現在放送中の水曜ドラマ『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』でファッション誌の編集者として出演しているが、まだ演技に関しては未知数な部分が多い。過去にリアルサウンド映画部では、月9ドラマ『恋仲』と、昨年の秋に公開された映画『起終点駅 ターミナル』の際に、彼女を(良い意味での)「空洞」であり、演出家の腕で化けるタイプの女優であると評してきた。今回の『少女』では、三島有紀子にまんまと化かされ、これまで彼女が見せてきたイメージを封印した冷徹な表情を見せるのだ。


 ことに、映画になると本田翼という女優は、転々とイメージを変えていく。世の中が持つ彼女のイメージが、2011年のダイドーコーヒーのCMで、「ぶれんじゃねーぞ」と自分に言い聞かせる前向きな彼女に端を発しているならば、これはもはや「ぶれている」とか「ぶれていない」とかではない。将来的に「ぶれない」ためのキャラクターをまだ模索しているかのようだ。


 『すべては君に逢えたから』で見せた、どこにでもいる普通の少女か、それとも『アオハライド』での突き抜けて溌剌とした姿か、とくに本田翼らしいイメージが出ているのはこの二本だろう。対照的に『ニシノユキヒコの恋と冒険』で見せたようなミステリアスな魅力は、前述の『起終点駅 ターミナル』でも発揮された。いずれも微かに明るさは残されていたが、今回はそれさえも封印して、静かに、かつ冷ややかで一定という、まったく新しい境地に挑んでいるとみてよいだろう。


 もっとも、中盤で彼女が突然海に飛び込むシーンだけは、冷めた表情とは打って変わって魅力的だ。そこでは活発さを通り越した、危うい魅力が放たれる。何の前触れもなく水に飛び込む場面というのは、冒険心に溢れた若気の至りを表すエモーショナルな芝居になるものだ。これまでもドラマやCMでプールに飛び込む彼女を見たことがあるが、やはりこういう芝居の方が、本田翼にはよく似合っている。(久保田和馬)