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奈良発オルタナティヴ新鋭、Age Factoryは“今”だけを見ているーー石井恵梨子のライブ批評

2016年10月05日 15:31  リアルサウンド

リアルサウンド

Age Factory(撮影=西槇太一)

 連載の第二回で、オルタナが地方に戻っていく流れを書いた。例として挙げたのはLOSTAGE。15年ずっと奈良で活動し、地元発信にこだわってきた彼らの遺伝子は、地元の若手にゆっくり確実に浸透していっただろう。今、そこから新しい動きが生まれている。


 俎上に載せたいのはAge Factory(エイジ・ファクトリー)。奈良在住のスリーピース。ギターボーカルの清水エイスケが22歳、ベースの西口直人が23歳、ドラムの増子央人が24歳という若きバンドである。結成は清水が高校1年生だった6年前。最初からオリジナル曲に挑んでいたという。強く影響を受けたのは、bloodthirsty butchetsを筆頭とする札幌のオルタナ・シーン。ただし「最初に聴いた時はまったく良さがわからなかった」というから、それはそれで15歳の平均的感覚だと思う。2010年に中高生が飛びつくロックバンドといえば、9ミリ(9mm Parabellum Ballet)や時雨(凛として時雨)であり、THE BAWDIESやthe telephonesだったはずだから。


 だがAge Factoryの地元は奈良だった。拠点となるライブハウス、NEVER LANDに行けばLOSTAGEが全国からバンドを招聘して自主企画を行っていたし、2011年から五味岳久は自主レーベルを立ち上げ、翌年にはレコードショップ『THROAT RECORDS』もオープンさせている。店に行けば五味本人がいて、彼がセレクトした数多の音源に触れることができるのだ。これは地元の10代にとってどれほど大きいことかわからない。清水エイスケが語る。


「LOSTAGEの活動を目の前で見て、どういうシーンでやって、どういう思想で地元に還元しているのかを感じた時、“いい音楽である”とかの概念じゃなくて……“男の本気を見た”っていう気がしたんです。だったら僕たちもちゃんと考えて、ほんと自分たちの思い描くオルタナティヴを体現化したいと思うようになりましたね。それが、高校2年生の時です」


 2014年に現メンバーが揃い、そこからミニアルバムを2枚発表。いよいよ完成した1stフルアルバム『LOVE』では五味岳久にプロデュースを依頼した。繋がっていくバトン。決して王道とは言えないオルタナティヴ・ロックだが、若い彼らは強気で攻めるのみだ。五味は「地元の先輩である俺たちをまず超えていく、みたいな気概は感じる」と話しているし、清水エイスケは「ずっと対バンには困っていたけど……」と前置きしつつも、こう言い放つ。


「べつに同じようなバンドを探してたわけでもないんです。こういう音を懐かしいと感じる人もいるだろうけど、今は新しいって感じてくれる人もいるだろうし。うん、僕たちが新しいバンドになろう、自分たちが時代になりたい、っていう考えでしたね」


 頼もしい。どこまでやってくれるのか。9月27日、新代田FEVERでAge Factoryのライブを見た。


 まず、ステージに上がった清水の目がいい。なめんな、の気迫に溢れている。髪は短く刈り込まれ、なぜか裸足でギターを構えているから、修行僧みたいなストイシズムも感じてしまう。ウェーイと客を煽りながら笑顔で登場するバンドとは対極の空気だ。長い髪に覆われて顔がよく見えないベース西口の存在感もちょっと異様。そして、増子がドラムを渾身の力でぶっ叩くところから演奏がスタートした。やたらとパワフルなドラミングである。


 ここで絶叫が炸裂するならある意味予想通りだが、しかし一曲目「ロードショー」は、ミドルテンポのフォーキーな歌ものである。何気ない週末の景色、温かさと切なさと悲しさが入り交じる情感を歌い上げる清水のボーカルは、色気というよりは泥臭い男気を感じさせる。ハスキーで、強く太く響いてくる反面、ざらついたトゲやアクも感じさせる不思議な声である。またサビに入ると、リズム隊の二人が女性コーラスかと勘違いするくらいのファルセットを加えていく。男っぽい無骨さと柔らかなハーモニー。歌こそがこのバンドの骨格であると瞬時に理解する。


 その骨に肉付けをするサウンドが、どれも20代前半とは思えないセンスである。ブッチャーズの影響は冒頭にも書いたが、衝動がほとばしるパンクナンバー「疾走」にはゲンドウ(カウパァズ(COWPERS)~スパイラル・コード(SPIRAL CHORD)~現zArAme)の遺伝子を感じるし、極端にヘヴィでフリーキーな「Puke」や「金木犀」には、かつてless than TVやディスコード・レコードから発信されていた個性派たちの匂いが残っている。曲調そのものが似ている、というのとは少し違う。90年代にオルタナ/ポスト・ハードコアと呼ばれたそれらは、どれも作曲者の「キャラ」ではなく「アイデンティティ」を強く感じる音楽だった。Age Factoryもしかり。90’sの意地と反逆と自由度が、今ここで、こんなふうに蘇っているのか。クラクラした。


 音も、佇まいも、若いリスナーにとってはやたらと新鮮だろう。もちろん90年代が青春だった世代が再びライブハウスに戻ってくる理由としても十分だ。懐かしさと新しさ、音源には収まりきらない生演奏の迫力に、何度も背筋がゾクゾクする。40分のセットリスト、一曲目以外はすべてが新作からの未発表曲というのも潔い。清水は「これが奈良スタイル」とMCにしていたが、その真偽はさておいても、とことんまで媚びのないライブをするバンドだった。


 先人の影響が見える箇所も多いから、まだまだ完全なオリジナルとは言い難い。ただ重要なのはそこではなく、若い彼らが昔の音をよく知っていることでもない。Age Factoryの骨はあくまで歌であり、全身から汗を滴らせて歌う清水は、ひたむきに「今」しか見ていないのだ。地方都市で生きている22歳の今。希望も絶望もなく、焦燥とか虚無なら確実にあるという今。「ゆとり世代の心象風景」という言葉で片付くのなら、こんなバンドになってはいない。キャラとは異なるアイデンティティを必死で問い、処し方ではなく生き方を探そうとするロックバンド。たとえば新曲「疾走」の歌詞はこんなふうに始まっている。


 〈生温い腐った風が 俺を時代を舐めて行った
  乾かない心を抱え 俺もお前もどこへ行くの
  吹き抜ける逆方向 終わらない俺の闘争〉


 俺の闘争、訳して『My War』とは、ブラック・フラッグのセカンドのタイトルでもある。それまでのパンクシーンやファンに対して、自分たちは逆方向に行きますよと宣言するような異色作なのだが、その姿勢と意志をAge Factoryは受け継ごうとしているのだと思う。どこに行きたいのか、まだ明言はできない。でも現状は打破したい。少なくとも今の時代とは逆方向へ突き抜けたい。そういう気概が、音に、表情に、ライブ・パフォーマンスにしっかり反映されていた。言い換えれば強烈な野心があるのだろうし、このバンドでこうありたいというイメージをすでに描けている。「奈良なのでたまたまこうなっちゃいました」というボンヤリ感が全然ない。これも好ましい限りだった。


 驚くことだらけだ。若い世代は大人たちが思うほど小粒揃いではないし、物分りがいいわけでもない。奈良発のオルタナティヴ新鋭、Age Factory。この名前は、ここから数年で一気に広がっていきそうだ。(撮影=西槇太一)