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欅坂46『徳山大五郎』が優れたアイドルドラマになった理由 YAミステリーとしての充実を読む

2016年10月04日 06:11  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)「徳山大五郎を誰が殺したか?」製作委員会

 率直な感想で『徳山大五郎を誰が殺したか?』をまとめるとするならば、こんなに面白いドラマになるなんてまったく予想できなかった。もし「所詮はアイドルのドラマだ」とたかをくくっているミステリーファンがいるならば、それは非常に勿体ない。欅坂46という新進気鋭のアイドルグループを知ることができることはもちろんだが、テレビドラマとしての完成度と、YA(ヤングアダルト)ミステリーとしての充実感の高さも決して侮れないのだ。


参考:『徳山大五郎』『ラブラブエイリアン』『HiGH&LOW』……深夜ドラマが生み出す新たな潮流


 これまでも乃木坂46の『初森ベマーズ』やAKB48の『マジすか学園』と、秋元康の企画で作られたドラマはあったけれど、それらはいずれもグループの主要メンバーを中心にまとめあげられ、奇抜な設定で面白みを追求するような演出が目立ち、ドラマとしての出来栄えは今一つであった。しかし今回、まだメンバーが少ないことの利点が活き、全員の特徴を描ききることができていた点で、同じアイドルドラマとして圧倒的に優れている。そして何より、徹底した演技指導があったことも功を奏しているのだ。


 また、深夜枠ということもあって、視聴率がそれほど伸びなくても12話フルで描ききることができたのも本作の成功の一因だろう。作り手が初めから狙った通りの引き伸ばしを実現させ、終盤で慌てて伏線を回収する必要もない。一定のリズムを序盤から維持し続けることができるというのは、1クール通して描かれるミステリードラマには欠かせない要素ということだ。


 第1話の頃から言われていた、中島哲也の『告白』を彷彿とさせる色調や、インサートの数々は、ドラマが進むにつれてあまり違和感を感じなくなってきた。それは、ひたすら教室の中だけで物語が進行する閉塞感と、冷ややかな色調がマッチしたこともそうだし、終盤に進むにつれて、夕陽が入り込んで教室全体が橙色に染まる画面と好対照になったからだろう。とくに、最終回のクライマックスで、窓の外を眺めるメンバーに当たる夕陽と、そこに微かに当たる赤い照明で、文化祭の終わりを告げるキャンプファイヤーを描き出したことで、印象深いフィナーレとなった。この、いかにもこれはフィクションであると堂々と宣言するような演出法を見せたことは実に興味深い。


 それも、欅坂46メンバー21人と、怪しげな大人たちが教室で繰り広げるワンシチュエーションを、最後まで崩さなかったことでより完成度が高まる。最後が文化祭で幕を閉じるとなると、賑わう学校の描写が映ってもおかしくないところを、クラスの発表の準備が間に合わないからと突然中止にし、文化祭が行われていること自体を放送ひとつで表現したのだ。この巧妙な御都合主義によって、例えばNHK教育(今のEテレ)でかつて放送されていた「ドラマ愛の詩」を思い出させるような、ドラマらしい風格を見せつけたのだ。


 最終回の目玉はタイトルにもある「徳山大五郎を誰が殺したか?」が明らかになることに他ならない。すでに前話の時点で犯人と思しき人物を見つけ出し、追求することでもう一人、クラスの中に隠れていた犯人が暴き出されるのだ。探偵役にあたる平手友梨奈が最初の犯人を追求する周りで、クラス全員がお面や紙袋をかぶって顔が見えなくなっている。そこからもう一人の犯人の存在が明らかになるまでに、ひとり、またひとりとかぶり物を外していき、最後まで犯人だけ顔が見えない。そして犯人が顔を見せると、そこから動機を語りだす。これはまさにYAミステリーとして大ブームとなった『金田一少年の事件簿』でも見られた、解決編の王道演出である。


 それにしても、渡辺梨加の独白シーンはお見事であった。欅坂46の最年少メンバー平手が探偵で、最年長の渡辺が犯人というポジショニングもさることながら、これまで素質を感じさせてきた他のメンバーも太刀打ちできないほど、圧倒的な演技力を披露する。涙を流すというのは演技の基礎中の基礎であるが、わずか3ヶ月でその基礎を攻略しただけでなく、目を真っ赤に充血させ、セリフのトーンを一定に保ったまま涙を流すというのは、とても演技初心者が易々できるものではないだろう。


 やはりこの欅坂46というグループは、とんでもない才能を持ったメンバーが集結している印象を受けた。この3ヶ月で、ほとんどのメンバーが演技のレベルを格段に上げてきているのは目に見えてわかる。11月には3rdシングルの発売が決まり、しばらくは本業であるアイドルとしての活動が中心になるだろうが、今後ドラマや映画で、彼女たち欅坂46の女優としての姿を見ることができることが楽しみでならない。(久保田和馬)