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宇多田ヒカル『Fantome』、国内外で大反響ーーグローバルな音楽シーンとの“同時代性”を読む

2016年10月03日 20:01  リアルサウンド

リアルサウンド

宇多田ヒカル『Fantôme』

 宇多田ヒカルのニューアルバム『Fantome』が、世界中で大きな反響を巻き起こしている。


 発売日翌日9月29日のiTunesアルバム総合ランキングでは全米3位を記録。ヨーロッパではフィンランドで1位となり、イギリス、フランス、イタリア、スペイン、スウェーデンなどでTOP20以内にランクイン。アジア各国においても、香港、台湾、シンガポールで1位となり、その他の国でも軒並み上位を記録し、全世界のiTunesアルバム総合ランキングでも6位を記録した。


 これらの結果に対して、宇多田ヒカル本人も「なにこれどういうこと?笑」「ええええ?!」とツイート。スタッフも「マーケ担当者として正直に告白しますが、ここまでの筋書きはなかったです」とツイートしている。


 果たして何が起こっているのか。約8年半ぶりの新作は、なぜ日本だけでなく海外でもヒットしているのか。


 本人やスタッフが率直な驚きを表明していることからもわかるように、海外に向けての大掛かりな展開や仕掛けのようなものは、ほとんど無かったはず。むしろ、当サイトに掲載されたインタビュー(参考:宇多田ヒカル、新作『Fantome』を大いに語る「日本語のポップスで勝負しようと決めていた」)で本人も語っている通り、「日本語のポップスで勝負する」ということが『Fantome』の大きなテーマだった。研ぎ澄まされた言葉と余計な音を削ぎ落としたサウンドで、鮮やかな情景や、胸を揺さぶる強い思いを描き出す。そういう「歌としての強度」をひたすら高め、磨き抜いたアルバムだった。


 ということは、単なる話題性やプロモーションによるものではなく、作品の圧倒的なクオリティと洗練が、国境を超えて話題が伝播する原動力となったのだと思う。


 もちろん、これまでの活動を通して海外にファンベースを築いていたこと、特に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の主題歌を通して今まで彼女を知らなかった層にも知名度が広がっていたことは大きいはずだ。アルバムには『エヴァンゲリオン新劇場版: Q』(2012年)主題歌の「桜流し」が収録され、スタジオカラー制作の「ヱヴァ Qバージョン」のMVも公開された。YouTubeとSNSの普及によりリアルタイムでその話題性が国境を越えて伝わるようになった情報環境の変化もある。が、何より大きいのは楽曲の持つ説得力だろう。作品の圧倒的なクオリティと洗練が、最大の原動力となったのだ。


 というわけで、今回の記事では、グローバルなポップ・ミュージック・シーンとの“同時代性”をキーに、新作『Fantome』を読み解いていきたい。


 まず、大きなトピックとしてあるのは、「忘却」にフィーチャリングで参加しているラッパー、KOHHの存在だ。互いにファン同士だったという両者が、死ぬことと生きること、記憶と忘却ということをじっくりと話し合い、曲のテーマでを深く掘り下げたコラボレーションになっている。母の死が大きなモチーフとなっているアルバムの中で、「いつか死ぬ時 手ぶらがbest」と彼女の死生観をありありと示す、アルバムの中でも核心を担うような一曲だ。


 そこで大きな役割を果たしているKOHHが、フランク・オーシャンの新作『Blonde』にフィーチャリング参加しているというのも象徴的な出来事だ。小冊子『BOYS DON’T CRY』と共に配布された限定版のCDに収録されたリード曲「Nikes」で、彼独特の日本語のフロウを響かせている。


 2016年はアメリカのポップ・ミュージック・シーンは何年に一度かというくらい傑作が相次ぐ一年で、その中でも屈指の注目度と反響を巻き起こしているのが2013年のグラミー賞で2冠を勝ち取ったR&Bシンガー、フランク・オーシャンのアルバムだ。こちらの記事でも書いたが(参考:http://realsound.jp/2016/08/post-8957.html)、アメリカのメインストリームのヒップホップとR&B、エレクトロニック・ミュージックとフォークとソウルとゴスペルと、いろんな流れが折衷的に流れ込んでいる作品である。それと宇多田ヒカル『Fantome』をKOHHがリンクしているというのは、ゾクゾクするような事実だ。


 「ともだち with 小袋成彬」も刺激的な曲だ。NHK『SONGS』のインタビューでも告げていたように、同性愛をテーマにした一曲である。シンプルなビートとアコースティック・ギターのサウンドに、色気あるファルセットを響かせる小袋成彬と溶け合うようなハーモニーを聴かせる。彼と宇多田ヒカルも曲のテーマについて深く語り合った上でコラボレーションを果たしている。これまでほとんどのコーラスレコーディングを一人で完結していた宇多田ヒカルにとっても、初めての試みと言えるだろう。フランク・オーシャンもゲイであることをカミングアウトしているが、この曲のテーマは音楽シーンだけでなく、世界中でLGBTのあり方が問われるようになり、性的指向をよりオープンにする生き方が選択されるようになりつつある潮流を反映していると言えるかもしれない。日常から非日常に誘うスリリングな関係を描く「二時間だけのバカンス featuring 椎名林檎」での宇多田ヒカルと椎名林檎の絡み合う歌声にも、単なる不倫というだけでなく、どこか同性愛的なイメージも感じ取ってしまう。


 「ともだち with 小袋成彬」では、<胸の内を明かせたら いやそれは無理>という一節に自嘲気味の笑いを忍ばせる歌い方にもハッとさせられる。改めて感じ入るのは、歌の世界観を「演じる」宇多田ヒカルの徹底した振る舞いだ。それが鮮やかに見られるのが「俺の彼女」。すれ違う男女の性愛を描いたこの曲では、「クールな俺」と「あなたの好みの強い女」という二人の登場人物をはっきりと歌い分けている。下降するラインをたどるアコースティック・ベースが印象的で、生音の響きが大きなポイントだ。


 今回のアルバムにおいては、ピアノやストリングスやアコースティック・ギターの生音が大きな存在感を持つ曲が多い。ひょっとしたらアデルを想起する人も多いのではないだろうか。実際、「道」や「俺の彼女」など大半の曲は、アデルやサム・スミスのレコーディング・エンジニアを担当したスティーブ・フィッツモーリスがレコーディングとミックスを手掛けている。繊細な生音の響きと歌の表現力を封じ込める録音術としては、宇多田ヒカルのプロダクションも、アデルやサム・スミスに並ぶワールドクラスの仕上がりになっていると言える。


 宇多田ヒカルは圧倒的な「個」の才能だ。『Fantome』というアルバムのテーマも、母と彼女の間のパーソナルな関係が軸になっている。しかし、そのサウンドには、やはり当たり前に世界中の同時代的な音楽シーンの潮流と呼応するようなセンスが息づいている。たとえば宇多田が先述のインタビューで「最近好んで聴いていたもの」として挙げていたライ、ホット・チップ、ディアンジェロなども、それぞれのやり方で音楽に宿る「ソウル(=魂)」をアップデートするような試みを成しているミュージシャンたちだ。「日本語のポップス」であることを貫きながら、世界中の先鋭的なミュージシャンたちとの呼応も感じられる。


 かつて、Utadaとして全米デビューを果たした宇多田ヒカル。その時の彼女の動きは「海外進出」と喧伝された。しかし、よくよく考えると、「進出」という言葉は、もはや、今の時代感覚とはズレてしまっているような気すらする。かつては「国内」と「海外」、つまり「内(=日本)」と「外(=英米)」のシーンの間には大きな壁が意識されていた。しかしSpotifyやApple Musicを日常的に使ったり、その各国チャートを見るようになって思うのは、日本という国も、英米以外のヨーロッパやアジアや南米の各国と同じように、グローバルに広まるポップカルチャーと特殊な自国カルチャーが混じりあう一つの国でしかない、ということ。


 宇多田ヒカルが素晴らしいアルバムを作り上げたこと、そしてそれが世界的にも躍進していることは、J-POPという文化が発展してきた一つの成果と言えるだろう。


 しかし、だからこそ、今回の宇多田ヒカルの新譜を手に取った沢山のリスナーが、日本の音楽シーンだけでなく、先鋭性とポピュラリティを兼ね備えたグローバルなポップ・ミュージックの潮流にアンテナを張るようになると、この先の日本の音楽がもっと面白くなるような予感がする。(柴 那典)


※宇多田ヒカルアルバムタイトル内「o」はサーカムフレックスつきが正式表記。