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音楽シーンの“90年代復活”は何を意味する? TAKUYA、イエモンらを例にレジーが考える

2016年09月29日 17:01  リアルサウンド

リアルサウンド

THE YELLOW MONKEY『砂の塔』

・「90年代」にタイムスリップした2016年9月9日

「本日はレッツ渋谷。クアトロでTAKUYAの25周年45歳記念ライブ。ジュディマリファンは来たほうがいいらしいですよー。」(参考:佐々木美夏(@sasamika815)Twitter2016年9月9日投稿https://twitter.com/sasamika815/status/774132360765804544)


 音楽ライターの佐々木美夏氏のこんなツイートを9月9日の午後に見つけて、いても立ってもいられなくなり諸々の予定の都合をつけて19時に渋谷クラブクアトロへ足を運んだ。この日行われたのは、JUDY AND MARY(以下ジュディマリ)のギタリストとして活躍したTAKUYAの45歳の誕生日を祝うバースデーライブ。この日のために組まれた全24曲のセットリストは、まさに「ジュディマリファンは来たほうがいい」という形容がふさわしいものだった。


(関連:「97世代」が音楽を豊かにするーー降谷建志、TRICERATOPS、GRAPEVINEのアルバムを聴く


 ROBOTSとしてリリースした最初のソロアルバム『GUITAR DE POP』の1曲目「ROBOT」で幕を開けたライブは、2曲目で早速ジュディマリの楽曲「Brand New Wave Upper Ground」が投下される。そこから「BIRTHDAY SONG」「RADIO」「Cheese“PIZZA”Large!!」「夕暮れ」が惜しげもなくぶちかまされ、さらには個人的にとても好きなアルバム『MIRACLE DIVING』(1995年)から「KYOTO」も情感たっぷりに演奏された。本編ラストは1996年の大ヒット曲「クラシック」。この楽曲はボーカルをオーディエンスに委ねる形となり、おそらく自分と同世代が多かったと思われる客席から大きな合唱が(歌詞のテロップなどがない状態にもかかわらず)響き渡った。さらにアンコールではバンドとしては後期の楽曲となる「LOVER SOUL」「イロトリドリ ノ セカイ」が披露され、ジュディマリを追っていた人にはたまらないステージが展開された。


 「彼のキャリアを総ざらいする」というコンセプトのもと、ジュディマリの曲もジュディマリ以外の曲も並列に演奏されたこの日のライブは、曲を追うごとにTAKUYAというミュージシャンが「Jポップの礎を作った存在の一人」であることを証明していくかのようなものになっていた。ジュディマリと並行してメジャーで作品をリリースしていたROBOTS名義のソロ作「コイビト」や「ALCHEMIST」のポップでスイートな雰囲気は今聴いてもまったく色あせていないし、90年代のビジュアル系ブームを意識しながらテレビアニメ向けに書き下ろされた「堕天使BLUE」(Λuciferが1999年にリリース)やSMAPに提供したミディアムナンバー「ススメ!」などは、彼がバンドの枠を越えてシーン全体の輪郭に影響を与えていた作家であったことを雄弁に物語っていた。アンコールでは「ハイタテキ!」(私立恵比寿中学)や「こいしょ!!!」(おはガールちゅ!ちゅ!ちゅ!)など昨今のグループアイドルへの提供曲が続けざまに演奏されたが、彼の遺伝子が10年代のアイドルシーンにも受け継がれていることがよくわかって非常に感慨深かった。


 クアトロでTAKUYAのライブを見たあとに帰宅して録画していたその日の『ミュージックステーション』を確認すると、くるりが森信行も含めたオリジナルメンバーで「東京」を披露していた。様々な音楽性を変遷するくるりの最もプリミティブな魅力が凝縮された「東京」が、いつ聴いても素晴らしい楽曲であることは間違いないが、ジュディマリの楽曲をがっつり聴いたあとに1998年の名曲がかつての顔ぶれで演奏されているのを見たことで「今って何年だっけ?」というような不思議な感覚がわいてきた。98年と言えば自分はまだ高校2年生で、くるりは男性3人組で、ジュディマリは現役のバンドとして活動していた。そんな18年前の1日にタイムスリップしたような感覚に陥った9月9日の夜だったが、そういうことを感じる瞬間が最近多いような気がしている。


・「20年ひと昔」の再評価が意味するもの


 スピッツ『醒めない』、サニーデイ・サービス『DANCE TO YOU』など、2016年の夏には90年代から活躍するグループが今の時代の息吹を感じながら自らのキャリアを更新していくような素晴らしい作品のリリースが続いた。ただ、個人的にそれよりも気になっているのが、「90年代そのものの音」を2016年に鳴らそうとする取り組みの数々である。


 TAKUYAがジュディマリの曲を多数演奏したのは「セルフカバー」と呼ぶべきものだと思うが、今年は「セルフカバー」ではなく「再現」と表現される企画がいくつか行われている。GRAPEVINEとTRICERATOPSはそれぞれのメジャーでのファーストアルバム(ともにくるり「東京」と同じ1998年リリース)を曲順通りに演奏するライブを8月末から全国ツアーの形で行っており、また4月には90年代におけるメジャー感のあるポップスの金字塔ともいうべきMy Little Lover『evergreen』(1995年)の再現ライブが行われた。


 それらの取り組みとは別に、当時活躍していたバンドが復活する事例もある。90年代をトップランナーとして走り切って15年前の2001年に活動休止、12年前の2004年に解散したTHE YELLOW MONKEYは解散年と同じ申年である今年になって再集結。全国のアリーナツアーを完遂し、ROCK IN JAPAN FESTIVALやSUMMER SONICといった大型フェスへの出演も果たした。「90年代からの復活」という意味では、映画『スワロウテイル』と連動して「Swallowtail Butterfly ~あいのうた~」を大ヒットさせたYEN TOWN BANDもこれにあたるかもしれない。昨年から活動を再開させていたが、今年はフルアルバム『diverse journey』をリリース。そこには97年にメジャーデビューしたDragon AshのKjをフィーチャーした「my town」も収録されている。


 90年代に鳴っていた音楽が、今のシーンの至るところで「復活」している。ここに何かしらの意味付けをすることは可能だろうか? まずあらかじめ考えておきたいのが、単純に自分の「世代」の問題、昔聴いていた音楽に耳がいっているだけではないかということである。おそらくこの指摘自体を否定することはできない。音楽が個人的な思い出と不可分なものである以上、「昔聴いていた音楽」は何とも言えない心地よさを携えながらいろいろな感情と一緒に耳に飛び込んでくる。それはある意味「ちょうどよい湯加減のお風呂に浸かっているような感覚」であり、何のストレスもない音楽体験に耳を持っていかれがちになるのは、ある意味では仕方のないことのように思える。


 ここではそのような個人的な事情を差し引いたうえで、もう少しマクロな視点から考えてみたい。最近は音楽マーケット全体で「90年代ブーム」とも呼ぶべき状況が出来上がっているが、インディーシーンでは数年前からこの手の流れは顕在化しつつあった。代表的な作品が、2012年に注目を集めたtofubeatsの「水星」。この曲の下敷きになっているのは、テイ・トウワがプロデュースして1996年にリリースされたKOJI1200(今田耕司)の「ブロウ ヤ マインド」である。tofubeatsは自身の活動において「ブックオフの低価格棚で売られている90年代のCD」を「宝の山」と読み替えて、あの時代の音楽が備えていた「キャッチーさと切なさが同居するメロディ(当時の音楽が「日本全国で聴かれる、もしくはカラオケで歌われる」ことを前提としていたからこそまとっていた要素である)」「メロディが際立つ開放感を担保しながら随所に小技や冒険が施されたアレンジ」を自身のアウトプットに忍ばせていった。そんな彼のスタンスは、森高千里や藤井隆といった90年代におけるポップアイコンをフロントに立てながらも海外のダンスミュージックの進化ともシンクロするという活動スタイルによく表れている。また、「水星」も震源地の一つとなったここ最近の「シティポップ」と呼ばれるシーンにおいても、「渋谷系」とのリンケージが指摘されるなど90年代の音楽シーンの影響が見え隠れする部分がある。


 このような一連の流れから読み取れるのは、「90年代から20年程度時間が経ったことで、その時代の音楽が参照に耐えうる歴史性を持つようになった」ということではないだろうか。「少し前の音楽」はともすれば「時代遅れ」として処理されるが、20年経てば「一つの歴史」として認識されるようになる。そしてこの考え方は、前述した「再現ライブ」や「90年代活動組の復活」にも共通しているように思える。もちろん先ほどあげたライブ企画やそれぞれのアーティストの動きには個別の事情があり、明確な関連性はないはずである。ただ、近しいテーマに沿ったアプローチが短いタイミングで連続する際には、何かしらの「大きな流れ」が知らぬ間に影響を及ぼしていることが多い。そして、ここでの「大きな流れ」こそが<メガヒットの時代を「商業主義的な時代」ではなく「産業として元気な中で自由に音楽を作れた時代」としてポジティブに捉え直す>というアンダーグラウンドな場所から少しずつ広がりを見せていたムードであり、そんな空気が様々なアーティストを「90年代」という時代の再解釈に向かわせている側面もあるのではないだろうか。


 「2016年の約20年前、90年代の音楽」という構造を考えたときに比較したいのが、「90年代の約20年前、70年前後の音楽」である。90年代にも、約20年前の音楽を巡るリバイバルの流れは存在した。ただ、当時は野島伸司が脚本を務めるドラマの主題歌としてヒットしたカーペンターズやサイモン&ガーファンクルなどのクラシックな洋楽アーティストがリバイバルの対象となることが多く、「異なる文化圏の音楽を持ってきた」という印象が強い。対して、昨今の90年代の音楽への目線の向け方は、「(何か別のものを持ち出してくるというよりは)今では一般的な文化となっているJポップのルーツ、創生期を改めて甦らせる」というような構図になっている。「20年遡った先にあるものが、今現在のカルチャーとダイレクトにつながっている」というところに、90年代・00年代・10年代と日本のポップミュージックが脈々と積み上げてきた歴史の重みを感じる。


・活性化の呼び水か、世代断絶の象徴か


 「Jポップ」という言葉は、当時開局したばかりだったラジオ局のJ-WAVEにおいて1988年から1989年にかけて誕生したと言われている(烏賀陽弘道『Jポップとは何か』によると、洋楽メインのプログラムを組んでいたJ-WAVEで流してもよい邦楽、というような意味合いだったらしい)。そしてその言葉が音楽産業の拡大とともにより大きな意味を持って浸透していき、広く日本のロック・ポップス全般を指すものとして定着したのが90年代の前半から半ばごろである。その時期を「日本のロック・ポップスの歴史が“Jポップ”として新たに始まったタイミング」と考えると、2010年代のJポップは「ちょうど成人したくらい」の状態と言える。


 「成人式の段階で自らの生まれた時期のことを振り返る」とでも言えそうな90年代の音楽を取り巻く最近のムーブメントは、ここまでのJポップの歴史を伝承するというとても重要な意味を持つ。90年代を知る生き証人たち(しかも今でも素晴らしい作品を出し続けている現役世代)が当時の音楽を生の質感で届けてくれることによって、後続の世代は単に文章やネットの動画で接する以上に説得力のある形でその世界に触れることができる。リアルタイムではない世代にとってこれほど魅力的なことはないし、それによって新しい音楽に対してもこれまでとは違う価値基準を持って接することができるようになるはずである。


 一方で、これらの企画が「リアルタイムでない世代」にどこまで届くのかという点についてはシビアに考える必要もあるかもしれない。前述したTAKUYAのバースデイライブもGRAPEVINEとTRICERATOPSのファーストアルバム再現ライブも当然のことながら客層の中心は(肌感覚ではあるが)30~40代だったし、「若者が新たな世界を発見する」よりも「リアルタイムで聴いていた層が過去の音楽を懐かしむ」取り組みとして受容されている側面は否めない。「一度音楽を離れた層が昔の作品に触れるためにライブに足を運ぶ・音源を買う」という行動が生まれているのであれば素晴らしいことだが、さじ加減を間違えると「オールドファン向けの閉じた企画」になりかねないリスキーな要素もはらんでいる。


 90年代の音を今の時代に甦らせる取り組み(「過去を振り返ることで未来を考える取り組み」とも言えそうである)が連鎖している今の状況が今後のシーンにどんな影響を与えるか、現時点ではまだわからない。「歴史の伝承と価値観のシャッフルを同時に促してリスナーに新たな発見を提示するもの」として機能する可能性もあれば、「過去を振り返る」側面ばかりがフォーカスされることによってその時代の音楽の「懐メロ化」とそれに伴う「世代ごとの断絶」が進む恐れもある。その評価を下すのはしばらく先まで待つ必要があるが、現段階で確実に言えるのは、約20年の歴史を紡いできたJポップという文化は「若者だけの文化」から「老若男女の根底にある文化」として成熟への道をたどっているということである。今後の成熟の過程において「世代ごとに聴く音楽が分かれ、かつそれぞれの良さを認め合わない(あるいは無視する)」というような状況に陥ることも短期的にはあるのかもしれないが、いずれは「若い層が今聴いている音楽の手前に存在していた音楽に敬意を払う」「年配のリスナーが最新の音楽の動向にも関心を持つ」というような時代が来てほしい。今年多方面で行われている90年代を思い起こさせる動きがそんな時代を形作るきっかけとしての役割を果たすのであれば、90年代の音楽を聴いて育った自分としてこんなにうれしいことはない。(文=レジー)